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第5話

 高室様と一緒の時と、全然違う……。ここが大無間山……いや、巴陵と一緒にいるからなのか? 「青葉、泣くな。諦めてここで俺と暮らせ」  そう優しい声がしたかと思うと、青葉の背に温かいものが触れた。 「あの時、切られた羽根がどうなったか気になっていたが……。そうか、こんなことになっちまってたか……」  今にも千切れそうに垂れさがった青葉の右羽根を、くり返し巴陵の手が撫でる。 「触らないでください! 俺は、あんたのことが、大嫌いなんだ!」  そういって、青葉が巴陵の手を跳ねのける。巴陵の手が青葉の背から離れたが、今度は巴陵が青葉に覆い被さってきた。 「生憎と、俺は、おまえが大好きでね」  熱く湿った息が、青葉の耳に吹きかかる。  その瞬間、巴陵から発せられる何かが、毛穴から全身に吸い込まれ、青葉の身を震わせた。  寒気……じゃない。体の奥底が、変に熱い。こんなふうになるのは、初めてだ。  初めての感覚に、青葉がとまどう。 「おい巴陵。盛るのはかまわないが、儂がいるのを忘れるなよ」 「なんかこいつ……いい匂いがするんだよ。真円、悪いが席を外してくれ」  巴陵が青葉の首のつけ根の匂いを嗅いだ。巴陵の唇がうなじに触れて、青葉の肌がざわめく。  巴陵の言葉に、一升瓶を抱え、真円が立ちあがる。 「さて、青葉。そなたは今後、この大無間山の小天狗となるのだ。それが儂の、主としての最初で最後の命よ。今後は、心して、巴陵殿に仕えるよう」 「……」  真円の命令に、青葉は答えず、唇を噛みしめる。  どうして……。どうして、高室様を悲しませた者に仕えなければいけないんだ?  それに、真円様はなぜ、盗人なんかを手助けするんだ? 高室様の友であるならば、そんなこと、できないだろうに。 「達者でな」  そういいおくと、一升瓶を大事に抱きながら真円が部屋を出て行った。  あとには、青葉の匂いを嗅ぎ続ける巴陵と青葉のふたりが残される。 「いい加減、離れろよ!」 「そう耳元で喧々と騒ぐなよ。……それにしても、おまえ、前と随分態度が違うな。初対面の時は、もっとかわいげがあったのに」  拗ねた声でいうと、巴陵が青葉の体に腕を回した。  畳に青葉をあおむけに寝かせると、巴陵が両腕を青葉の脇につき、顔をのぞきこむ。 「……もしかして、俺を庇って片羽根が使えなくなっちまったからか? 俺なんか助けなきゃよかったと、後悔してるのか?」  悲しげな声に、青葉の頭に血がのぼった。 「……馬鹿にするな」  怒りのあまり頭が冷えて、青葉がどすの利いた声を出す。 「困っている天狗を助けたんだ。片羽根がこうなっても、後悔していない」  俺は、仲間を助けた。いいことをしたんだ。  強く、青葉は自分に言い聞かせる。  前に、高室様がいっていた。悪いことをせず、いいことをしなさいって。  だから、俺は高室様の教えを守ったことを誇りに思いはしても、悔やんだりしない。  悔やんだり、したくない。  きっぱりと言い切る青葉を、巴陵が眩しそうに見やる。 「俺がおまえを嫌いなのは、おまえが水珠を盗んだからだ。それとこれとは、話が別だ」 「またその話か? 俺はそんなもの、盗んじゃいない。御座山の使いにも、きちんとそう伝えたはずだ」 「だったら、なぜ、水珠はなくなった。なぜ、あれがなくなった日に、おまえは御座山にいたんだ」  そうだ。偶然にしては、あまりにもできすぎている。 「あの日、手紙で御座山に呼び出されたんだよ。由迦の呼び出しだと思っていたが、由迦はそんな心当たりはないといっていた。俺だって、さっぱり心当たりがない」 「そんな嘘をつくな!」  あくまでも白を切る巴陵に、青葉が大声を出した。 「嘘じゃねぇ。第一、俺が水珠を盗んで、なんの得がある? あれは、俺には使えないんだよ。相性が悪すぎる。使えない宝なんて、言葉通り、宝の持ち腐れだ。そんなもん盗んでどうするってんだよ」  巴陵に答えに、青葉が言葉につまった。  確かに、そうなんだ。水珠は、元が神格持ちの蛇霊だったせいか、使う者を選ぶ。  御座山でも、高室様と俺しか、水珠の力を引き出すことができなかった。  巴陵の説明に納得しつつも、まだ、青葉は巴陵が水珠を盗んだ、という考えを捨てきれずにいた。 「使う以外の目的かもしれない。……水珠は、高室様の大切なものだった。高室様を苦しめようとするなら、あれを盗むのが一番効果的だ。実際、水珠がなくなってから、高室様は変わってしまった……」  高室の変わりようを思い出すだけで、青葉は悲しくて泣きそうになった。  厳しいけれど優しくて、穏やかだった高室が、烏天狗たちに 〝今の主は、高室様ではなく、氷室様だ〟と、陰口をたたかれるくらいに、怒りっぽく、そして冷たく変わってしまったのだ。 「俺は、高室を嫌っちゃいないし、遺恨もない。……だが、高室が変わったっていうのは、本当なんだな。おまえのその羽根、高室の命令で、治してもらえなかったって?」 「……」 「俺の知ってる高室ならば、絶対にそんなことはしねぇはずだ。罰を与えることはあっても、まずは羽根を治してからにするだろうよ」 「それだけ、おまえに対する怒りが強いということだ」 「俺じゃなくて、水珠を盗んだ奴に対する……だろう? だが、どんな誤解をしたのか知らないが、おまえの羽根を治さないっていうのは、筋が違う。……が、そんなことは、どうでもいいか。もう、おまえは大無間山の天狗なんだし、これからはここで面白おかしく、愉快に過ごそうじゃないか」  巴陵が青葉の頬に手を添えた。その手を、青葉は乱暴に払いのける。 「俺は、納得してない。すぐに俺を御座山に帰せ!」 「帰ったって、もう、あそこにおまえの居場所はないんだぞ。羽根も治してもらえない、ひとりぼっちだ。そんなとこに帰って、何が楽しいんだよ」 「どこだって、盗人のいる場所よりマシだ!」  青葉がいうと、巴陵がついと右眉をあげた。  冷えた怒りが巴陵から放たれ、青葉が身を固くした。  ……怖い。  恐怖の原因は、圧倒的な通力の差だ。巴陵が一山を宰領する大天狗ということを、青葉は、今更ながらに思い出した。  右羽根が無事で、青葉が万全の状態であったとしても、巴陵には敵わない。  そう、本能が囁いた。 「おまえは命の恩人だから、意志を尊重したいと思っていたが、大無間山をそこまで虚仮にされちゃあなぁ。……いい加減、認めろよ。おまえは、高室に捨てられたんだ。もうあそこにおまえの居場所はない。その羽根じゃ、満足に飛べもしないから、他山に山移りもできない。おまえはここで、俺たちといるしかないんだよ」 「……っ!」  認めたくない現実を突きつけられて、青葉が言葉を失う。  あぁ、そうだ、俺は、高室様に捨てられたんだ。  わずか、日本酒一樽と引き換えに、山を追い出されたんだ。  俺はまだ、高室様が大好きなのに、高室様はもう、俺なんかいらないから。  そう心の中でつぶやいた瞬間、青葉の胸が切り裂かれたように痛む。 「――っ。うっ、うう……」  みるみるうちに、青葉の目に涙が浮かび、唇から嗚咽がもれる。  巴陵は、一瞬だけしまったという顔をしたが、すぐに余裕たっぷりの表情に戻った。 「おとなしくする気になったみてぇだな」  巴陵が青葉の着物の襟に手を入れた。 「俺は、おまえを気に入っている。助けてもらった恩もある。だから、悪いようにはしない。……まずは、一緒に楽しもうじゃないか」  襟元から忍び込んだ巴陵の指が、青葉の胸の突起を捕えた。  まだ、悲しみに襲われている青葉は、自分が巴陵に何をされているのか、巴陵が何をしようとしているのか、思いも及ばない。  巴陵の大きな手が、繊細な手つきで白衣を脱がしてゆく。  気がつけば、青葉はほとんど全裸になっていた。 「何を、する……気だ……」  真っ赤な目を手の甲で拭いながら、青葉が掠れた声で尋ねる。 「おまえも天狗なら、わかるだろう?」  巴陵が金色の目を細めながら、舌で唇を舐める。 「あぁ……うまそうな匂いだ。桃のように甘い……食わずにはいられない匂いだ」  巴陵が口を開け、青葉の唇に噛みついた。 「……!」  これ……なんだっけ……。そうだ、口吸いというものだ。  巴陵がやわやわと青葉の下唇を噛んでいる。そうして、白桃のように瑞々しい肌を撫ではじめる。  巴陵の手は熱く、そして優しかった。  なぜか青葉は、こどもの頃、高室の膝に座り、頭を撫でられたことを思い出した。  目を閉じた青葉のまなじりから、ひと筋の涙が溢れ、頬を伝う。  熱い舌が口に忍び込むのを、青葉は黙って受け入れていた。  父とも慕う高室に捨てられたばかりの青葉にとって、巴陵の愛撫は蜜のように甘く、心地よすぎた。  体の重みや、肌の温もり。優しく髪を撫でられることや、他愛のない会話。  どれも、御座山の天狗たちから、久しく与えられなかったものだ。  それだけではない。憎い相手であるとはいえ、巴陵は、青葉の新たな主なのだ。  主に逆らうことは許されない。青葉は、そう高室に躾けられていた。  そして、わずかに、それ以外の何かもあったが、青葉にはそれがわからない。  人形のようにおとなしく愛撫される青葉に、巴陵がいぶかしげに声をかけた。 「……あんまりのってこないなぁ。おまえ、もしかして好きな天狗がいて、そいつに義理立てしてるのか?」 「そんな天狗、いない」  それどころか、性交も、口吸いさえもしたことはない。  巴陵は青葉の答えに、納得できないという表情をする。 「だったら……。…………まあ、いいか。やってるうちに、興ものるだろう」  ひとりごとのような声を聴きながら、青葉は巴陵から顔を背け、まぶたを閉じた。

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