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第66話
「朱莉ちゃん、最近様子変わったね」
外回り中、同行していた上司の女性課長に言われて、どきりとした。
反射的に首を押さえてどこまで言うべきか正直に言うべきか悩んだが……
「社員になってから何か自覚がでてきたって感じ?」
「あ、そっちですか」
「そっちですかって何」
「何でもないです」
墓穴を掘ってしまった。
バスなかなか来ませんねー、と、わざとらしく時刻表を見る。
社員になってから、外に営業にも出るようになった。営業といってもモノを売るのではなく、オメガの養護施設や職業訓練所に出向いて、うちで働いてくれる人材をスカウトするのだ。実際社員に昇格した自分自身が、格好の宣伝材料だということは自覚していた。会社紹介のパンフレットにも朱莉の写真が載せられていて、それをネタにすると先方との話も弾んだ。
パンフレットに載せる写真を撮るとき、「オメガは見た目がいいのが取り柄だもんな」と同僚から言われた。嫌味、と感じさせないさらりとした言い方にタチの悪さを感じたが、笑ってやり過ごした。どうでもいい奴にどう言われても、どうでもいい。亨とつがいになってから、さらにその思いが強くなった。
そうか、見た目がいいのか、自分は。
かっこいいとか、髪型とか服装とか持ち物とかについても、享に言われたことは一度もない。おそらく見た目については享は何とも思っちゃいないし、朱莉も享のことをそういった目で意識したことは一度もなかった。
「もしかして朱莉ちゃん、いいひとでもできた?」
ちょうどバスが来たので、えっ、と聞こえなかったフリをして乗り込んだが、課長の追求は終わらなかった。
つがいができた、と告白すると、
「えっ、つい最近まで恋人すらいなかったじゃない。いつの間に一足飛びにそんなことになってんの!」と驚くと同時に笑われた。「朱莉ちゃんって極端から極端に走るタイプだったんだ!」
出会って半年もしないうちに付き合い始め、初挿入で即つがい……と知ったら課長はきっとどん引くだろう。
「でも全然後ろ、目立たないね」
つり革を掴んだまま、上体を逸らせて朱莉の首筋を覗き込む。
「やっぱり、そう思われます?」
「うーん、そうねえ」
「アルファ性の強弱に左右されるって本当ですかね。それか逆に、オメガ性の強弱が関係しているのかも……」
「まあひとそれぞれって言うしね。あからさまにつがわれたオメガですー、って分かっちゃうのも気の毒だと思うけど。ああでも印が分かりにくいかったら、間違われて襲われちゃう危険性もあるわよね」
「はあ……」
「何にせよよかったじゃない。おめでたいことよ。とりあえずこれで将来の不安はなくなったわけでしょ」
つがいになることが果たして将来の不安がなくなることとイコールなんだろうか。これで何も不安がなくなったんだろうか。そもそも今まで自分は不安、だったんだろうか。釈然としなかったけれど、とりあえず、おかげさまで、と答えておく。
「まあだからって、いきなり何が変わるってわけでもないんですけど」
おめでたい、と言いながら課長が、内心では別のことを考えているのが分かった。
つい最近、保育園の空きがないため育休が伸びそうだと、現在育休中のオメガから連絡があったらしいということは知っていた。このタイミングでもし朱莉が産休の可能性を言い出したら、表立っては非難されないだろうが、陰でいろいろ言われるのは目に見えている。しかも正社員になったばかり。子どもは授かりものとはいえ授からないようにすることはコントロールできるわけだし、まだ何も貢献していない段階で休みに入って、いくら権利とは言えど、今後の人間関係に響くことくらい分かる。
今さらながら、どうして子どもができてもいいかも、なんて舞い上がってしまったのか。
別に好きな仕事、というわけじゃない。どうしてもやりたいわけじゃないし、自分じゃないとできない特別な仕事、というわけでもない。それでもここまで来た以上、いざ手放すとなると惜しくなる。キャリア、なんて言ってしまったら失笑を買うけれど、でもようやくのぼった一段だった。またゼロからスタートしないといけないかと思うと気が滅入る。
長く働いてほしいと言いながらも本音では、どうせつがいになるまでの腰掛けだろうと、思っている。それこそ玉の輿に乗れば、逆に不自由な身体で何故わざわざ働くのかと訝しがられる。今まさに育休中のオメガがそうだ。つがいのアルファは飲食店を三店経営していて、しかもテレビにも出ている売れっ子らしい。
辞めると言えば形式上引き留めてもらえるかもしれないが、会社だって別に、朱莉じゃなきゃいけないという理由はない。欠員が出ればすぐに滞りなく補充される。必死でしがみつかない限りは居場所がない。
どうしよう。
ぐるぐると、考えれば考えるほど悪い方に思考が及んでしまう。
不自然なくらい口数が少なくなった。
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