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第68話
六月。つがいになった報告のため、いよいよさぎみやはること夜、食事をすることになった。中途半端に顔を知られているだけに気まずいというか、やっぱりつがいになった勢いで報告しておいた方がよかったんじゃないか、何で早く報告しなかったんだと不快に思われるんじゃないか。そもそも自分なんかがつがいになって本当によかったのか。今からでもつがいを解消しろと言われたらどうしよう。亨はそんなことあるわけないと笑っていたけど、息子に見せる顔と本音とはまた別だろう。選挙では『すべての性にひらかれた社会を』なんて訴えていたけれど、実は彼女の所属する党にはアルファが多く、性問題には消極的だ。アルファが一方的につがいを解消する『つがい剥がし』はオメガに深刻なダメージを与え、ときには死に至らしめる。『つがい剥がし』に対して罰則を設けた方がいいという世論の声もあるが、検討しようという動きはない。
「これでようやく、亨もアルファらしくなってほっとしてるの」
今までに一度も行ったことがない……そして今後二度と行くこともないであろう高級料亭。当たり前のように上座に座ったさぎみやはるこは、後ろの床の間に飾られていた花を霞ませるような華やかなオーラを放っていた。
緊張しすぎて、座布団に腰を下ろすのすら、どうやるのか分からなくなってしまうほどだった。そういえばさっき畳の縁、間違って踏んでいなかったっけ……
「やっぱりつがいができてこそ、一人前のアルファ、って感じじゃない」
「ええ……」
同意しながら、いやこれじゃ今まで亨が頼りなかったことを暗に肯定することになってないか? と思い返す。焦る。何が正解か分からない。彼女はベータだが、何を答えても間違えているように思わされるような、彼女が白と言えば黒でも白になってしまうような、そういう圧力は彼女の方がよっぽどアルファらしい。
朱莉が四月から正社員になったことや、つがいになっても仕事を続けていることについて亨は誇らしげに、れいの朱莉がモデルになったパンフレットを広げながら説明していたけれど、さぎみやはるこは「へえ、すごいのね」と一瞥したきり、パンフレットを手に取ろうともしなかった。それより彼女が食いついてきたのは、朱莉が痴漢に遭ったときの話だった。
「ああ……そういえば痴漢に遭ったオメガを助けたとかって言ってた……あれがあなただったの。まあまた面倒なことに首を突っ込んで……と思っていたけれど、どこで何が起こるか分からないものね」
はあ……と苦笑いでやり過ごす。
「あのときは本当に亨さんに助けられました」
と言うと、彼女は前のめりになった。
「自分ひとりだけだったらどうなっていたことか。本当に、亨さんがいてくださったおかげです」
初めて彼女の意に添う受け答えができたのに、そんなときに限って亨が「いいえ、助けられたのは私の方です」などと言う。「政治とはどうあるべきかをあらためて考えるきっかけになりましたから」
話がややこしくなるから余計なことを言うな、と、肘で小突く。
朱莉はさぎみやはるこに、さぎみやはるこは亨に、亨は朱莉に話しかけるという、奇妙なパスの回し合いが続く。
「しかしそう……そういうことだったの。それで納得がいったわ。ごめんなさいね、正直あなたみたいなタイプと享って合うのかしら、って心配だったの。ほら、あなたは何でもひとりでやってしまいそうに見えるから。つがいになるってイメージが見えなかったのよ」
要するにアルファのあとについて、ハイハイと言うことを聞くようなタイプには見えないってことか。
しかしひとりでも生きていけそう……って、まさに会社のひとと話していたそのとおりになったな。
「将来的にはやっぱり子どものこととか。そのあたりのことはどう考えているの?」
「それは……」
それは授かりものだから分からないよ、と、亨が言ってくれたが、「はっ、授かりもの!」とさぎみやはるこに一蹴される。授かろうという意思のないことを見透かされてしまったようだった。
「悠長に構えていると時間なんてあっという間に過ぎちゃうわよ。鷺宮の地盤を引き継ぐことを考えてもらわないと」
孫の顔が見たいレベルと一緒にしないでくれ、という圧を感じる。
「引き継ぐ、ったって、そもそも自分が引き継ぐかどうかも分からないのに……」
「ところでこれからのことはどうするの。住むところは?」
物分かりの悪い息子のことは無視することに決めたらしい。
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