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番外編SS「ポッキーの日」

 小鳥が(さえず)るようなお喋りって、(たすく)さんみたいのを言うんだろうなぁ。  松原(まつばら)亮平(りょうへい)は、自分を見上げる恋人の、ぷっくりした薄桃色の唇をうっとりと見つめる。 「……でさ、僕、塾の合宿で来月は何日かいないから。……って、ねえ。僕の話ちゃんと聞いてる? 亮平」 「うっ、へえ。聞いてます、よ? 来月、塾の合宿ですよね?」  松原と桜井(さくらい)佑は恋人同士になって一年経つ。元々ブラスバンドの先輩・後輩ということもあり、未だに松原は敬語が抜けない。ぼうっとしていたような松原の態度に、桜井が気を悪くしたことは、触れていた肩や腰が少しこわばったことで分かった。何も言わずに俯き、何気ない表情を取り繕っているが、こういう時こそ、二人の関係が危険だということは、一年の付き合いで理解している。  控えめに桜井の細い背中に手を回し、松原は小声で恋人の耳元に囁き掛けた。 「佑さんの話が面白くないとかじゃなくて。  ……笑わないでくださいね。佑さん可愛いなぁって。見とれてました」  俯いている桜井の耳たぶが、桜貝のように染まる。 「なっ……。もう一年以上付き合ってるのに、今更可愛いとかないでしょ」 「いーや。今でも会うたびに最高記録を更新する可愛さです」 「ふふ。口がうまいんだから」  桜井の身体からは緊張がほぐれ、松原の肩にもたれかかってきた。琥珀(こはく)色の瞳を少し細めた表情は、機嫌の良い猫みたいだ。  気位が高くて簡単には懐かないが、一度心を許すと甘えん坊で寂しがり屋。そんな桜井の性格は、祖母が飼っていたシャム猫に似ていると松原は思っている。ほっそりした手足や、少し目尻の引き上がった大きな瞳も。  彼は、元カレに、心変わりで振られた過去がある。それだけに『恋人の気持ちが自分に向いていないのでは』と敏感に考えがちなところがある。  恋人の心変わりに気付きながらも、最後まで気付いてないふりを通し、別れたいと言われたら潔く身を引く。そんな桜井の健気さを知る者は殆どいないだろうが、松原は知っている。そして、優しさと一途さに惹かれ、桜井に交際を申し込んだ。 (俺は、佑さんに不安を感じさせたくない)  改めて決意しながら桜井の横顔を見つめていると、彼は自分のバッグから小さい箱を取り出し、威勢よくパッケージを破いている。国民的に有名なお菓子だ。チラッと松原に意味ありげな流し目をくれたと思いきや、彼はそれをくわえた唇を尖らせて松原に向けてくるではないか。 「ん」  早く食べてと言わんばかりに、下から見上げて、松原の口元にそれを差し出してくる。 「え」  松原は困惑気味に頬を染め、誰か見てないか、周りを見回す。放課後の屋上なんて、カップルの逢引にしか使われない。それに万一他の誰かが来たとしても、先客がいたら引き下がるのが暗黙の了解だ。  周りに誰もいないのを確認しても、もじもじためらっている松原に、桜井は悔しさや腹立ちを感じたのだろう。プイと顔を背け、そのままお菓子をむしゃむしゃ食べ始める。 (やべ、また佑さんを怒らせちゃった)  誰かと付き合うこと自体が初めての松原は、照れや恥ずかしさ、自信のなさが先に立ち、桜井がスキンシップを求めて来た時、つい、ためらってしまう。桜井のほうが年上だし、経験も豊富だ。こんな稚拙な自分に、彼は呆れるのではないか。どうしても、否定的に考えてしまう。桜井の元カレが『ミスター青陵』の一人に選ばれ続けたイケメン・スパダリだったことも、松原には何気にプレッシャーだった。  だが、自分の及び腰が桜井のプライドを傷付けることも分かっている。経験のなさから来るぎこちなさを恥じるより、好きな人を悲しませたくない気持ちが勝ち、瞬間的に松原は恋人の口元に噛み付いた。  たどたどしく舌で桜井の歯列を割り、口の中に残っている分をも舐め取った。以前桜井がしてくれたように、上顎の裏側をそっとなぞる。桜井は、松原のシャツの胸元をキュッと掴み、小さく震える吐息をこぼした。 「……僕の口の中まで食べなくても良いのに」 「や、だって。俺もチョコ付いてるとこ食べたかったし」  普段は滅多に自分からキスせず、しても軽く唇を合わせるだけの松原が見せた情熱に、桜井のほうが戸惑いを見せた。ぱちぱちとせわしなく瞬きを繰り返す。白い頬がうっすら染まり、少し呼吸も早い。自分の拙いキスに、こんなに反応してくれるなんて。興奮で松原の鼓動も早まる。抱き寄せようとした時、恋人のほうから、その鼻先を松原の胸に埋めてしがみついてきた。 「……亮平も、すごいドキドキしてる」 「そりゃ、そうですよ。こんなエッチなこと、学校でするの初めてですもん」 「ふふふ。また、亮平の『初めて』貰っちゃった」  喉を鳴らす猫のように満足げに笑う恋人の細い背中に手を回し、そっと抱きしめる。彼からは、小春日和の温かなお日様の匂いがした。

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