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第94話

車内は静かだった。 彼がこうして怒るのは滅多にないから、緊張して喉が渇く。さっき飲んだばかりの水をまた飲んだ。 家に着いて手を洗い、自分の部屋に荷物を置くと彼に呼ばれてリビングに行く。 「何があった」 「……」 「言えないこと?泣きそうな声で、すごく不安そうだった。」 「あ、の……」 「何」 怒っている雰囲気が怖い。 上手く喉から声が出なくて、絞り出そうとすれば、子猫の鳴き声のような「クゥ」と言う音が喉から出ていく。 「……真樹」 「っ……」 「ごめん。怖かったな。何も知らないのに怒って悪かった。何があったのかは、真樹が話せる事なら話してほしい。無理なら、整理ができるまで話さなくていい。ただそれができたら教えてほしい。」 俺はいつになれば『大丈夫』になれるのだろう。 いつまでも、前の自分と今の自分を比較して落ち込む。全く無関係である他人の評価が気になって仕方が無い。 「凪さん……」 「うん」 「大学の同級生がいたんです……。前の部署にいた時に、そいつは別の会社なんですけど、一緒に仕事をしていて、ミーティングとかで会ったりしてて……。」 「仲がよかったの?」 「いや、仕事で会うくらいです。……そいつと、他にも三人大学の知り合いがいて……」 凪さんに抱きつき、震える体を包んでもらう。 そうすれば少し安心できた。 「オメガになったって、バレました。」 「……そうか。」 「言いふらされるかな……。そうでなくても、雰囲気が変わったって言われて、彼女ができたんだろって……。俺、そんなに前と違う……?」 「違わないよ。彼女ができたんだろっていうのは、幸せそうに見えたんじゃないかな。それだと俺は嬉しい。」 「……真面目に聞いて」 「ごめん。言いふらされるかどうかはわからないから不安だな。ただ……言いふらされても、それが真樹だ。アルファからオメガになったのは事実。でもそれは悪いことじゃない。」 「う……」 悪いことじゃないのは分かっている。 でも、その事実を知って両親は俺に落胆した。 今俺が頼れるのは凪さんだけ。 「真樹、一回落ち着こう。」 「お、落ち着きます、大丈夫……」 「飲み物持ってくるから、座ってて。」 椅子に座り、深呼吸をする。 コーヒーが目の前に置かれて、凪さんを見上げた。 「真樹は暫く仕事休む?それとももう辞める?」 「え……何で……」 「言いふらされて、会社でその噂が流れるのは嫌だろ。それなら暫く休んで何事も無かったら復帰すればいい。今後もそれで悩むのが嫌なら辞めることも一つの手だと思う。」 俺のために凪さんがそう言っているのはわかっている。 けれどどうしてか、胸に嫌な感覚が広がっていく。 凪さんはただ俺を心配しているだけなのに、まるで突き放されたかのような気分だ。『仕事に俺は必要ない。』遠回しにそう言われた感覚。 「……」 「真樹?」 「……俺は……」 「大丈夫?」 グラグラと心が揺らぐ。 視界が滲んで、涙が零れた。

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