74 / 168

第74話 泣きっ面に蜂である

 ペア碁大会当日は、朝から大賑わいだった。有名なプロの対局を間近で観られるとあって、観客たちは皆興奮した面持ちだ。  中でもひときわ注目を浴びているのが、遠坂白秋七冠・遠坂晶子三段ペアと、天花寺彰七段・吉田菜乃初段ペアの対決だ。もちろん、七冠が出場するということが大きな理由だろう。でも、それだけではないようだった。俺の周囲の観客たちはひそひそと、『美男美女対決』と囁いている。そう、遠坂白秋七冠は、その端正な風貌でも有名なのだ。そして、彼の義妹にあたるパートナーの晶子三段も、なかなかの美人である。  ――そしてこっちは、注目の若手イケメン棋士と、囲碁界のアイドルのペアだもんなあ。  俺は彰を見やって、ちょっとため息をついた。おまけにそのアイドル・吉田初段はどうやら彰のファンらしく、目を輝かせて彰にべたべたくっついている。  ――面白くねえ。  俺は思わず仏頂面になった。面白くない理由は、他にもある。実は、昔から教えてきた生徒が、最近二人も立て続けに辞めたいと言って来たのだ。『文月』を辞めて、ただでさえ収入はがた落ちなのに、これでは泣きっ面に蜂である。本来なら生徒獲得に走り回らなければいけないところだが、今日は彰の晴れ舞台だ。最後まで見届けてやろうと思っているのである。  ――しかし、知らない顔ばかりだなあ。  俺は、他の出場棋士たちを眺めた。ここに出ているということは有名なプロなんだろうが、プロ界に疎い俺は、顔ぶれを見てもさっぱりだ。  ――あ。  その時、一人だけ知った顔を見つけて、俺はドキリとした。  ――黒川詩織六段。  そう、彰の実母である。四十代半ばだそうだが、とてもそうは見えない。ホームページで見た時も似ていると思ったが、実物は本当に彰そっくりだった。はっきりした目鼻立ちに、茶色がかった髪と瞳。  彼女は若い男性棋士とペアを組んでいたが、パートナーには全くもって関心が無い様子だった。彼女がしきりと気にしているのは……そう、彰。彼女は、実の息子を見つめていた。  しかし、彰の方は、母親のことを一瞥もしなかった。席も近く、明らかに彼女の視線には気づいているはずなのに、彰は決して目を合わせようとしない。知らぬふりで、対戦相手の七冠や晶子三段と談笑している。俺は何だか、やるせなくなった。

ともだちにシェアしよう!