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第75話 母親を恨んでるんかな
――やっぱり、自分を捨てた母親を恨んでるんかな……。
その時、彰がちらと俺を見た。俺は、応援してるぞって思いを込めて、奴に向かって親指を立てた。その途端、彰がこぼれんばかりの笑みを漏らす。まるで、嬉しくて仕方ないって感じで。自惚れかもしれないけど、吉田初段や対戦相手たちに向ける笑みとはまるで違う気がして、俺は胸がじんとした。
対局が開始した。ペア碁のルールでは、対局中にパートナーと相談してはいけないことになっている。七冠は、持ち味の強気の攻めを繰り広げたが、どうやらパートナーの晶子三段とはテンポが合わないようだ。じわりじわりと、彰側が優勢となってくる。
「風間さん! いらしてたんですね」
そこへ、匠さんが現れた。私服で、プライベートで観に来たという雰囲気だ。
「匠さん、お久しぶりです。その後、体調はいかがですか」
「おかげさまで。もうすっかり大丈夫です」
匠さんは元気そうな様子だったが、ふと顔を曇らせた。
「風間さんこそ、大丈夫ですか?」
「え?」
「だって、『文月』を辞められたとか」
匠さんは心配そうな様子だったが、俺は少しむっとした。彰がそんなことまで喋ったのかな、と思うと嫌な気がしたのだ。そりゃあ、二人が仲のいい兄弟だというのは分かっているし、俺と匠さんだって面識はあるけれど……。
――でも、だからって、そんなプライベートなことを漏らすなよ……。
「僕で力になれることがあったら、仰ってくださいね。生徒さんが見つかったら、紹介しますから」
匠さんは、俺のそんな思いには気づかないようで、一生懸命言ってくれる。俺は、一瞬浮かんだ不快な思いを振り払うことにした。
「ありがとうございます。ところで彰、好調ですね」
「そうですね、このままいけば、七冠にも勝てるかもしれません」
匠さんも、にこにこしている。
「ペア碁は、パートナーとの相性で決まりますからねえ。きっと、兄と吉田初段とは相性が良いんですよ。ラッキーだったなあ」
「――そうですね」
俺は、複雑な思いで相槌を打った。匠さんが言っているのは、本当のことだ。ペア碁は、強い相手と組めばいいってもんじゃない。それに彼が言っているのは、あくまで碁の相性の話、だ。
――いや、分かっちゃいるんだけどさ……。
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