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コンタクトレンズ

あれから宮原は部室から逃げるように自宅に帰った。 自分の精液で汚してしまった沢海のシャツを洗濯し、しっかりと乾燥をして仕上げ、自分のボストンカバンに入れて持ってくる。 『ーーー部室でオナニーするって…… 沢海先輩がオカズって…… ……最低だな、オレ』 沸々と溢れてきた情欲に流されてしまったとはいえ、サッカー部の部室内で自慰に耽っていた自分に呆れてしまう。 衝動を止められずに自分が行ってしまった行為に落ち込んでしまう。 まだ人影も少ない校門の脇を通ると、反対側の通路からあまり見掛けない生徒が歩いてくる。 宮原は反射的に距離を取ると、その生徒はまだ起き抜けていないような曇った声を出して「…おはよ」と言ってくる。 聞こえるか聞こえないかくらいの、か細い声に宮原は訝しむ。 宮原は「…ウッス…」とだけ答えると、その生徒はそのまま前に歩き出した。 宮原も歩き出すが、どうやらその生徒と同じ方向を歩いている。 今日はサッカー部の朝練が休みの曜日の筈だ。 他の部活で朝練をしているのはバスケ部、卓球部、吹奏楽部だけで、どれも第1、第2体育館、防音室の屋内となっている。 そして、野球部は地方遠征を兼ねた合宿で学校には全員いない筈だ。 宮原はその生徒の斜め後ろを歩くと、その生徒の顔を眺めてみる。 瓶底のような分厚い眼鏡を掛け、寝癖なのか癖毛なのか分からないが、髪が逆立ち、ボサボサになっている。 『ーーー誰だ?こいつ?? でも、どっかで見たことあるような…?』 その生徒はサッカー部の部室の前に立つと、何故か個人で所有しているらしい部室の鍵を自分のポケットから取り出し、開錠する。 『ーーーえ? こいつ、サッカー部?? こんな奴いたっけ??」 宮原は怪訝そうにその生徒を凝視する。 ガチャリと部室のドアが開き、その生徒が中に入ると、宮原も続いて室内に入った。 宮原はベンチシートにボストンカバンを置くとゆっくりとその生徒の方を振り向く。 その生徒は眼鏡を外し、制服のポケットからコンタクトレンズのケースを取り出していた。 ボサボサの前髪を軽く手櫛で掻き上げ、後ろ髪に纏める。 「ーーーぇぇえ?…沢海先輩? 本当に、沢海先輩なんですか?」 早朝から宮原の叫声に、沢海の声が不機嫌に低くなる。 「ーーー何だよ」 低血圧なのか沢海の顔が一層険しくなる。 「ーーーブッ……ハハハ。 スゲー眼鏡…… 誰かと思った!」 沢海は眼鏡を外すと裸眼では視力が0.1以下の状態なので、数メートル先の周囲が近視と乱視で滲んでぼやけてしまう。 少し距離を置いていた宮原のいる位置の方に向かって、厳しい視線を送る。 「うっせーなぁ。 朝からコンタクトが入らなくて必死なんだよ、こっちは!」 宮原は笑わないように気を付けているが、耐えきれずにまた吹き出してしまう。 「ーーークッ……ブハハ…… あ、すんません… 悪気はないんですけどーーーちょっと無理…」 ムスッと膨れる沢海に笑いながら謝罪をするが、我慢をすればする程、余計に可笑しくなってくる。 「みーやーはーらー! お前、ちょっとこっち来い!」 宮原は口元を半笑いの表情ままに、沢海の近くに歩み寄る。 沢海は「もっとこっち!」と更に宮原を呼び寄せ、自分の目の前に立たせるとぐいっと宮原の腰骨を掴み、自分の足の間へ引き寄せた。 「うわっ!」 バランスを崩し、至近距離で沢海の顔が近付くと沢海は自分の唇の前にコンタクトのケースを差し出す。 「宮原、コンタクト入れて」 沢海は寝起きでまだ体温が高いのか、触れてくる手の温度が暖かい。 時折、ゆっくりと瞬きをしているから、まだ完全に目が覚めていないのかもしれない。 宮原が腰を屈めれば口付けられる距離感に、宮原は動揺を隠せないでいる。 「今日はコンタクト無しですればいいじゃないですか」 「ーーーん? じゃあ、お前、授業中のノートを取ってくれんの?練習中ずっとオレを引っ張ってってくれんの?」 ニッコリと悪魔のような笑みに宮原も溜息が漏れる。 宮原は沢海からコンタクトケースを取ると、中身を確認する。 「先輩、目薬は?」 「……あぁ…忘れた。 目、舐めて濡らしてよ」 「ーーーは?」 沢海は宮原の腰の辺りで腕を交差させ、身体を引き寄せ、密着させる。 「ーーーっと!ちょっと待ってってば! オレ、目薬あるから!持ってるから!」 「何だ。残念ーーーはい、どうぞ」 沢海が上を向いて軽く目を閉じる。 宮原はキスを待つような沢海の仕草に意識してしまい、動けなくなってしまう。 一度、ゆっくりと深呼吸をすると宮原は沢海の肩に左手を置き、目薬を挿そうと右手を構える。 『ーーー沢海先輩って意外に睫毛が長いんだ… 目が切れ長だから、あんまり目立たないけど…」 沢海の顔の細かいパーツまで覚える事もなかったので、今更ながらに見惚れてしまう。 長い睫毛に付け加え、スッと伸びた鼻梁、薄桃色に引き締まる唇、日に焼けたシャープな頬に宮原は「カッコ良いな」と思ってしまう。 「ーーー?ーーーまだ?」 片目を開け、沢海が催促してくる。 沢海の顔を覗き込んでいた目と至近距離で視線が合ってしまい、宮原の頬に朱が走る。 「何? ーーーオレのこと、カッコ良いって思ってた?」 見透かされたように揶揄われてしまう。 「違うってば! 目薬挿すから動かないで!」 「はいはい」 図星だった事を必死に誤魔化す宮原に、沢海は笑いを堪えている。 「左目、開けて下さい」 「ーーーん」 沢海の左目を開けてもらうと、やはり朝からコンタクトと苦戦をしていたのか目が充血をしている。 目薬を一滴差すと指にコンタクトレンズを乗せ、左目の瞳の上に入れる。 何度か瞬きを繰り返してもらい、目を開ける。 「ーーー左目は入った。 うん。大丈夫。ちゃんと見える」 同じように右目にもコンタクトレンズを入れる。 暫く目蓋の裏で瞳を動かし、ずっと目を閉じたままの状態でいる沢海に、宮原は睫毛に引っ掛かってコンタクトレンズが擦れていないか気になってしまう。 「先輩、右目は? 見えます? ーーー入ってます?」 宮原が腰を屈め、沢海の目を覗き込もうとした瞬間、沢海は宮原の唇に触れるだけの口付けする。 確かに簡単に口付けが出来る距離ではあったけど、実際にーーーキスをされてしまうーーーと、焦ってしまう。 「ーーーッツ!」 驚いて沢海から身体を引くが、沢海は宮原の腰に手を回しているので、微動だにしない。 沢海の顔だけが視界に広がり、心臓がひっくり返りそうになる。 「ーーーなぁ、宮原。 お前、大塚先輩とキスした?」 「ーーーえ?ーーーな…な、何でですか? 何時、そんな?…」 「だって、昨日ベンチでさ……2人でバスタオル被って、何してたんだよ」 不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、沢海はモゴモゴと口籠る。 「そんな……オレが、誰彼構わずキスする訳ないだろ! あれは大塚先輩がーーー」 『大塚先輩がオレと2人でいて、沢海先輩が嫉妬するかどうか試してみただけ』だと今更説明をした所で、沢海の捻じ曲がってしまったご機嫌が直る訳ではない。 「ーーー大塚先輩とは何もしていないよ。 ちょっと相談に乗ってもらっていただけだよ」 「…ふぅん。 オレに相談はしてくれないんだ」 沢海は明らかに拗ねて、不貞腐れている。 沢海は宮原の背骨をなぞり、宮原の胸元に額を付ける。 素直に甘えられる擽ったさに、宮原は笑みが漏れてしまう。 「ーーー相談もしたけど、さ。 ……でも。 沢海先輩の事を話していたのに、それを沢海先輩に言えないよ…」 「ーーーえ?」 ガチャリとドアが開き、藤本がノートパソコンを抱えて出入り口で立っている。 「お前ら、何やってんの?」 宮原は沢海の髪に触れようと、髪を撫でようとしていた両手を慌てて引っ込め、沢海の肩を乱暴に突き飛ばす。 その瞬間、沢海が小声で「チッ…折角、良いトコロだったのに」と舌打ちをする。 宮原は「…えっと、あの……」とあからさまな動揺を隠せず、狼狽る。 そんな中、沢海は臆面もなく理由を言う。 「え?見て分かんない? 宮原に襲われていた」 宮原は顔から火が出るような嘘に声を張り上げた。 「馬鹿っ! 何、言ってんだよーーー!」 「馬鹿って何だよ!」 「あーーー!もう。朝からうるさい! 走力テストの数値の統計出したいから、出てってくれる? …ってか、邪魔! 今日の練習は午後からだから! ーーーさっさと教室に行け!」 藤本に邪険にされ、2人は部室を追い出されてしまう。 「ーーーったく。 部室でシャワー浴びようと思ったのにさ」 宮原はブツブツ文句を言いながら隣を歩く沢海を見上げると、普段見慣れている、コンタクトを付けている沢海の姿がある。 「あの眼鏡を掛けて授業を受ければいいのに…」 「そんな事したら、イイ男が台無しだろ?」 宮原は沢海に聞こえるように、大袈裟に肩を落とす。 「ーーー自分で言っているし……」 2人はまだ人影も少ない教室に向かった。

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