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マッチアップ・藤本VS沢海VS松下

部室から足早に出てきた宮原は、ピッチに出ると芝の上に座り、ストレッチをする。 中学時代に試合最中の接触プレイで左膝を痛めてから、無理な体制で身体を捻ったり、左膝に過度な重心を掛けるような事をすると、炎症で腫れる時があった。 癖になってしまっているのか、フルタイムで試合に出場した後はアイシングを欠かす事が出来ない。 今日はサッカー部の朝練もなく、体育の授業もない。 身体に負担を掛けるような事がなかったにも関わらず、何故か左膝に針を刺したような痛みが走る。 左足の踵を引いて爪先を伸ばすと、足が攣るような痺れがある。 『ーーーどうしたんだろ?』 ーーー何かが違うーーー 左膝を痛めた、他の理由があった筈だ。 ーーー何か違和感があるーーー 自分の記憶の中にある「何か」を思い出させないように記憶そのものを縛り、深く隠蔽されている気がする。 『ーーー古傷だけの痛みだけじゃない』 その「何か」を思い出そうとすると、身体の奥底からそれが這い上がってくるような気がして、畏怖さえ感じる。 『ーーー痛い、よぉーーー』 自分の声が「自分の中」で聞こえ、身体がゾッと震える。 宮原は手の感覚が冷たく麻痺してくるのを必死に押し留めるように握り、ゆっくりと息を吐いた。 ■□■□■□■□ 佐伯監督がピッチのセンターラインに立ち、藤本が全員に集合を掛ける。 円陣を組むように放射線状に集まり、ミーティングを始める。 「今日はアップが終わった奴から、1対1の練習をする。 ピッチを1/4の狭いエリアにして、攻撃1人、守備1人、キーパー1人、入るように。 攻撃はボールをキープした状態で、ラストは必ずシュートで終わる事。 守備はキーパーと連携をして、攻撃陣からボールを奪ったら、外へ蹴り出して終了。 ワンセットは5分。 ーーー藤本!沢海!ちょっと見本、見せてやれ」 「はい」 「…………」 沢海は返事をする事もなく、その場で軽くストレッチをすると、ピッチの中に入っていく。 2人の間に流れる、張り詰めた無音の空間が一層緊張感を高め、トップチーム同士の対戦に宮原はピッチに釘付けになってしまう。 セットポジションに着くと「ピッ!」と笛が鳴り、沢海はボールを持つ藤本との間合いを詰める。 攻撃=藤本と守備=沢海 トップチームのボランチ、センターバックという事もあり、ポジションも近く、お互いのプレイは熟知している。 だからこそ沢海はある一定の距離を保ちながら、藤本の動きを注視する。 藤本はボールを自分の1m先前に置くと「ボールを奪って見せろ」と言わんばかりに視線を沢海に向け、爪先でボールを軽くタッチする。 「ーーー藤本。 お前ってさーーー相変わらず、ムカつくプレイをするな」 「平常心を失ったら、プレイに支障が出るぞ。 ーーー取ってみろよ!」 「ーーーマジでイラつく」 沢海が藤本との間合いを半歩詰めると、そのタイミングを待ち構えていたように藤本のボールタッチが一瞬早く、沢海の足先を掠めて背後にボールを通させてしまう。 藤本が身体の向きを翻し、ボールをキープしようとゴール前に一気に走る。 センターバックとはいえ、フォワード並みの瞬発力を持つ沢海は藤本に身体を当ててバランスを崩させ、ボールコントロールを失わせる。 だが、藤本のボールタッチが鋭く、沢海が間合いを詰めると身体を離されてしまう。 「ーーーあれ? いつもだと、レフリーが見ていない所でファウル寸前のプレイするのに」 「それ、藤本にやっていいんだったら、するけど? ーーー手加減してやっているのはこっちだっての」 「…挑発されているのか?…オレ」 藤本が足首を使ってフェイントを仕掛ける。 沢海も身体を張り、ボールの出所を潰してコースを限定させていく。 落ち着いてボールを捌く藤本が一瞬、顔を上げる。 沢海は視界の先が自分ではなく、キーパーの位置を確認しているのだと藤本の目の動きで分かり、沢海は「キーパー!来るぞ!」と指示を出す。 沢海の左側から切れ込む藤本にその先のスペースを 与えないように沢海が自分の身体の重心を左に傾ける。 その瞬間、藤本は深い位置で切り返し、逆方向の右側にボールを運び、ミドルシュートを打つ。 タイミングが僅かに遅れたが、沢海の右足がボールの軌道を曲げ、サイドネットに刺さる。 「相変わらず、足元が上手いな。 フェイントが来るって分かっていても、コースを切るので精一杯だ」 「ゴールしてないけどね。 ーーーでも、うちの守備の要に言われると嬉しいね」 『見本プレイ』が終わり、2人がサイドラインから外れようとすると松下がピッチ内に入り、沢海を呼び止める。 「沢海先輩! オレとマッチアップお願い出来ますか?」 松下の挑発的な態度が覗く物言いに、沢海は藤本との話を止め、視線を向ける。 沢海は無表情で松下を睨め付けると無言でピッチへと戻る。 顎を軽く振り、松下に『中に入れ』と態度で示す。 松下はピッチ内に入る寸前に宮原に視線を流すと、宮原は険しい表情のままーーーただ1人だけをーーー沢海を見詰めていた。 普段はあまり他人に表立って見せることがない、沢海自身が発する異様な緊迫感に、宮原は不安な気持ちを隠せずに真っ直ぐな視線を沢海に向けている。 そして、その視線は決して松下に向けられることはない。 『全然、オレの事なんて見てもいないし… ーーー別に良いんだけどさ…』 松下は宮原にあからさまに無視されているようで、どうすることも出来ない、この気持ちの行方に胸を衝かれる。 どんなに願ってみても、どんなに求めてみても手に入らないーーー宮原の気持ちーーーに諦めにも似た衝動が重く伸し掛かる。 それが友達としてなのか、それとも違う「形」なのか自分でも理解する事は出来ない。 沢海と松下は終始無言でセットポジションに入る。 攻守に分かれた2人は真正面から対峙する。 1対1の練習は個人の持つ良い点、悪い点が浮き彫りになり、且つ自分のレベルがどの程度なのかを知る判断材料にもなる。 サブチームでもある松下にとって、自分の持つプレイスタイルを出すには絶好のチャンスでもあり、その内容次第でトップチームのポジションを奪取出来る可能性も十分にある。 攻撃=松下と守備=沢海 ポジションに入った瞬間にガラリと空気が変わる。 「ピッ!」と笛が吹かれると、ボールは高い位置で出され、ボールの落下地点でのポジション取りに2人の身体がぶつかり合う。 お互いに足を踏ん張り、身体を押し、練習着を引っ張る。 松下は落下するボールを自分でキープする為にジャンプをして頭で合わせるようとすると、寸前で沢海が松下の手首や腕でなく、指を押さえ、一瞬痛みで動きが止まる。 松下がボールまであと数センチの所で沢海に背中に手を掛けられ、バランスを崩しピッチに倒れ込んでしまう。 沢海はボールをキープしようと足を伸ばそうとすると、松下はスライディングをしてボールをカットする。 零れたボールを2人が追い掛けるとお互いの進路を妨害する為に肘を振り、手で押し除ける。 時折、身体と身体がぶつかり合うガツンと鈍い音がする。 前へ突き進む松下の身体に寄せ、沢海は背骨に膝を入れ、あまりの痛みに松下は膝からピッチに倒れ込んでしまう。 「イッ…痛ぇ!」 沢海は松下を一切構う事なく、シュートコースを遮り、ボールを奪い、ピッチの外へ蹴り出す。 マッチアップが終わると、沢海は憮然たる面持ちで松下の脇を通り過ぎ、センターラインの脇に置いてあったスポーツドリンクを飲んでいる。 見兼ねた藤本が沢海に「倒れてんだから起こしてやれ!」と言うが、沢海も「1人で起きれるだろ」と臆面もなく言い、明らかに立腹している。 松下が腰を押さえて1人で立ち上がり、沢海に会釈する。 「ありがとうございました!」 「ーーーおう」 沢海は短く返事を返すと、松下に口の端だけで笑った。

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