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光って見えるぜ#2
そして、食パンと生クリームたっぷりのドーナツを買って帰宅する。子どもの代わりにと飼いだしたハムスターの「ハムちゃん」が起きていたので、ひまわりの種をあげた。
村岡がハムちゃんと遊んでいるあいだに、天馬はキッチンに立った。
「今夜はグラタンな」
「やった!」
村岡はハムちゃんをケージに帰すと、いい匂いを嗅ぎながら今日の講師が書いた本を取りだした。講演会の会場で販売されていたものだ。『男体妊娠の地平』というタイトルの本である。
村岡は熱心に読みふけった。
「征治、そろそろごはんできるぞー。……ん? どうした!?」
村岡が座るリビングダイニングのソファには丸めたティッシュが散乱していた。村岡の目は赤く、ティッシュでしきりと鼻を押さえている。
「了介さぁん……。す、すごい、いい本だった……。先生のパートナーが、第一子を妊娠したとき、すごく差別されたエピソードが書かれてて……。でも、マンションの隣の部屋の人が、第二子を妊娠したときは、『よかったね』って言ってくれたって……」
ぼろぼろ涙を流しながら訴える村岡の思いを考えると、天馬も胸に熱いものがこみあげた。
「そうか。あとでおれも本、読ませてくれるか?」
「はい! 読んでください。『男体妊娠は女体妊娠と比べて、祝福の少ない険しい道だ。しかし、パートナーと共に、この道を歩んで行こうと思う。男体妊娠の当事者たちが生き生きと幸福に生きられる社会は、誰しもが生き生きと幸福に生きられる社会だ。多様性を認め、命の重みを知ることでもある』って……。お、おれ、やっぱり了介さんとの子どもを授かって、よかった」
ソファの前にしゃがんだ天馬は、村岡と視線を合わせた。彼がしゃくりあげながら言葉を紡ぐ姿に、黙って寄り添う。痩せた冷たい手をぎゅっと握った。村岡は涙をぬぐい、天馬の目を見てへにゃっと笑った。
「先生が言うように、険しい道だけど。でも、了介さんとの子どもができてうれしい気持ちは、ずっと炎みたいに胸に灯ってるんです。息子は、親が男同士だから、もしかして心無いことを言われたり、いじめられるかもしれない。そう思うと、つらいけど。でも、おれたちで守っていきましょうね」
天馬は村岡の手をもう一度ぎゅっと握った。
「ああ。おれと征治で、大切に育てような。『生まれてきてよかったな』って思うことが、息子の人生で一度でもあってくれたらいいな」
村岡はこくこくとうなずいた。天馬は逞しい腕で村岡を抱きしめた。しばらく、抱きあってじっとしていた。
「先生に、サインもらえばよかった」
へにゃっと笑って、村岡が言った。天馬も笑って、村岡の涙をぬぐう。
「そうだなー。また、六月に講演するって仰ってたな。追っかけするか。六月なら、息子も生まれてるだろう」
「そうですね。……あ、でもどっちかが見てなくちゃいけないから、二人いっしょには聞きに行けないかなあ」
「じゃあ、おれが見てるよ」
「でも、了介さんと行きたいし……。あっ、おばあちゃん! おれのおばあちゃんに、息子をちょっとだけ見ててくれないかって頼んでみようかな」
「大丈夫か? 典子さん、疲れないかな」
「たしかに、北陸からこっちまで距離もあるし、来るのも大変だな……」
「まあ、そのときになって考えたらいいんじゃないか?」
「そうですね」
村岡はにこにこと笑った。天馬はよしよしと頭を撫でる。
「じゃあ、ご飯にするか。栄養いっぱいとってくれよ」
「……最近すごい太っちゃったんですよね……。妊娠線出まくりで」
「妊娠線、っていうのがあるのか。おれもパパ線とか出ればお揃いになるのにな」
「なんですか、パパ線って~」
わいわい言って笑いあい、食卓につく。オーブンからグラタンを運んでくる天馬に、村岡がぽつりと言った。
「ねえ、了介さん。今度のお休み、いっしょに買い物行きませんか?」
「え? いいのか?」
村岡はこくりとうなずいた。
「スタイ、買いたいし。一人で外出は怖いけど、了介さんがいてくれるなら大丈夫です!」
「むりはするなよ。でも征治と赤ちゃんのこと、おれが守るからな」
村岡は目を細めてふわっと笑った。その笑顔がきれいで、吸いこまれるようにイノセントで、天馬は見惚れた。
早くセックスしたいな……。そんなことを思う。
「さ、食べよう」
スプーンを握ると、村岡も同じようにスプーンを手に取る。
「了介さんの手料理、早く息子に食べさせてあげたいなあ」
天馬は思わず笑った。
「征治はいろいろ気が早いな。まずはおっぱいと離乳食だぞ」
「そうだけど、このグラタン、好きになるかな、それとも嫌いかな、とか、考えてると楽しくて」
笑う村岡に、この人を守りたいという思いが天馬の胸にこみあげる。
そして、こんなママでよかったな、とお腹の息子にテレパシーを飛ばすのだ。
「あ、赤ちゃんちょっと動いた!」
目をきらきらさせる村岡に、天馬も笑みがこぼれる。
「おれのテレパシーが通じたんだな」
「テレパシー?」
「なんでもない」
??? という顔をする村岡が可愛くて、天馬はグラタンを頬張った。
食後のまったりタイムである。
ハムちゃんが回し車を回す音だけが、あたりに響いていた。
天馬と村岡はソファに腰を下ろし、肩を寄せ合って、村岡はスマートフォンのゲームをし、天馬は今日の講師の本を読んでいた。
黙ってティッシュに手を伸ばす天馬に、村岡の顔が緩む。
「どうですか?」
「ふつーに感動した……。やっぱサインもらったらよかったな」
「ねー」
そう言いあって、ふふっと笑う。
「お茶、淹れてくるよ」
天馬が立ちあがって、ルイボスティーを淹れにキッチンに向かった。村岡はいつも持ち歩いているノートを取りだし、何事かメモしていく。
マグカップに注いだお茶をトレイに載せて戻ってきた天馬に、村岡は顔を上げた。
「どうした?」
ソファに座りながら村岡の顔を見ると、目がきらきら輝き、頬が上気している。
「赤ちゃんの名前、考えてたんですけど。了介さんが前に言ってくれた、『光 』って名前、やっぱりいいなあって思って」
そう言って、開いたノートのページを見せる。いろいろな名前を書いている中で、「光」という名前にぐるぐると丸がされていた。
「おれにとって、征治は光だから。その息子だから、『光』。それに、『光』ならもし息子が男の子とは違う心を持ってても、受け入れやすいんじゃないかと思って」
男であろうと女であろうといい名前、そしてそのどちらでもなくてもいい名前にしたい。それが村岡の希望だった。自分が子どものころ、女の子になりたかったからだ。男を好きだという事実を受け入れられるようになってからは、女の子になりたいという気持ちは一応消失したが、今でもトランス・ジェンダーたちにはシンパシーを抱いている。
「おれにとっても、了介さんは光だから」
そう言って、村岡はうれしそうに笑った。
「じゃあ、第一候補は『光』だな。おうちの人には訊いてみた?」
「父さんは、とてもいい名前だって言ってくれました。おばあちゃんも、いい名前ねって。母さんの答えは聞いてないけど……。『村岡』の名字とのバランスもいいって、おばあちゃんが」
まだ、日本では同性同士の結婚が認められていない。男体で妊娠した場合、特別な協議がない場合は、子どもは母体となったほうの人間の戸籍に入ることになっている。
「いいなあ、『光』。なんかすごくいい名前のような気がしてきた」
飄々と言う天馬の腹を、村岡はつんつんとつついた。
「『光』にしますか?」
「そうだな。そうしよう」
村岡は天馬の胸にぎゅっと抱きついた。素直に甘えると、天馬も力強く抱き寄せる。
「へへ。会えるの楽しみにしてるからね、光!」
お腹を撫でる村岡に、天馬もそっと豊かなそこにささやきかける。
「待ってるぞー。三人で、楽しいこといっぱいしような」
「了介さんも気が早い」
「あ、そうか」
二人で笑った。
光も笑っているような、そんな気がした。
そして翌朝、村岡はキッチンでフレンチトーストを作っていた。少し時間がかかるので、いつもより早起きしたのだ。
起きてきて、リビングダイニングで六時半のニュースを観ていた天馬は、「征治!」と大きな声でパートナーを呼んだ。
村岡がゆっくりした足取りでやってくると、天馬は興奮した面持ちでテレビ画面を指さした。
キャスターが、同性婚を認める法案が国会で審議中だという話をしていた。
二人はしばらくニュースに見入っていた。
「おれたちの住む世界は、もっとあたたかくなる。そうですよね、了介さん」
頬を上気させて微笑む村岡に、天馬はうなずく。
そして、改めてプロポーズの言葉を考えていた。
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