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第1話
高く上がる太陽に海は白く照り付け、潮風が頬を撫ぜる。漣 は鼓動よりも緩やかで、砂浜を蹴る喧 しい声には若さがある。
『カーット!』
遠くから男の大声が聞こえ、それから瑞々しい騒ぎは止まる。転がったパラソルの陰で鰐嶋 ・セシール・サーディンは誰もが見惚れてしまうほど美しい顔立ちを脳貧血のように青白くて、冷汗を垂らしていた。蜘蛛の巣が揺蕩うような浅瀬に人が立っている。その人物はセシールを見つめ、手招きをしていた。しかし応じるわけにはいかなかった。彼はすでに故人だったからだ。太陽に負けないほど眩しい笑顔で、まるきり自身の死を理解していない恋人に、やがてセシールは誘われてしまう。ビーチサンダルが小波に呑まれ、吐き出される。恋人との距離は縮まらない。相変わらず彼は白い歯を見せセシールに手招きをやめない。服が海水を吸った。足の裏が砂を離れた。清々しい空に反して深く淀んだ青の中に引き摺り込まれる。
恋人の鮎崎 ・エイクレア・スキップジャックとはジュニアスクールで知り合った。内気で無愛想で変人扱いを受けていたセシールに、やたらと関わろうと試みる活発で気の好いエイクレアは煩わしい存在だったが、いつしか特別な感情を抱くようになっていた。人間に対して覚える不可解な執着にセシール少年は戸惑い、エイクレアのほうから歩み寄った。彼は離れた地に住む友人を訪ね、空を渡り、旅の途中で機体ごと海に落ちていった。セシールは海を恨んだ。
海に呑まれたセシールは襟首を掴まれ、気付くと浜辺に打ち上げられていた。薄く開く視界に、オレンジ色の唇が見えた。
「わっ!よかった。目、覚めたんだネ!」
相手は少し舌足らずに喋った。声はまったく違うが、その雰囲気はエイクレアによく似ていた。この海の守神か、それか昔よく読んだ絵本に描かれていた人魚だと思った。遠くで『カーット!』と聞こえた。彼はテレビ業界の人間なのだと知る。
何度も何度も同じ夢をみる。内容は違えど結末は同じだった。亡き恋人と海に沈み、彼によく似た人魚に助けられる。
◇
ノックされ、セシールはコンピュータのディスプレイを閉じると入室を許可した。次の番組の企画書が届けられる。つい先日、この地のアンジェロペッシェと呼ばれるたいへんな権力者が没した。彼女が保護しているセシールと同じ年頃の青年の見合い結婚をリアリティショーとして撮るという内容だった。すでに当人にも話が通り、承認されているらしかった。見合い相手の出演の同意も取れているらしく、5人の誓約書も纏められていた。一文一句見逃さず目を通し、セシールも合意のサインを書いた。
準備は滞りなく進み、出演者とスタッフの顔合わせのパーティーの日取りから撮影スケジュールも次々と決まっていく。顔合わせの前にセシールはその青年に会うことを勧められた。奇人変人同士話が合うかも知れない、とのことだった。2枚写真を渡されたが、アングルからして本人はカメラを認識していないようだった。映っているのは白けた黒髪と銀髪ともいえない跳ねた髪に、日に焼けた青年だった。噂では超能力者らしく、傍には着せ替え人形が浮いていた。ピンク色の長い髪の人形が確かに青年の肩の近くに浮いていた。彼とは明後日、海辺のカフェで会うことになった。
権力者アンジェロペッシェに保護されていた青年、鯒川 ・ディーノ・ヘリングはたった1人でやって来た。実物は写真よりも活気があり、いくらか幼さがあった。肩には着せ替え人形が浮いていた。写真で見ているため然程 驚きはなかった。潮風の強いバルコニーの席で、先に来ていたセシールはコーヒーを飲んでいたが、相手は経費で落ちると知るやいなや巨大なパフェを注文する。セシールは右手に嵌めた木綿ゴーストに似たパペットをディーノへ向けた。このパペットがセシールを社会に繋いでいた。一瞬だけディーノはただでさえ丸い深い青の瞳を円くしたが、ほんの一瞬にも過ぎず何の屈託もなく笑った。オレンジ色の唇から白い歯が見える。
「おでディーノ!こっちはキャロットグラッセ!よろしくネ!君は?」
ディーノはコーヒーを飲むセシールにではなく右手のパペットへ訊ねた。
『オニオンクリーム』
「オニオンクリーム?よろしく、オニオンクリーム!」
彼は軽やかに笑い、届けられた巨大なパフェを食べ始めた。ピンク色の髪に緑色の目をした人形はテーブルの上に座らされ、セシールをプリントされた眼差しで見ていた。写真でみた服と違い、ドレスのようなものに着せ替えられ、髪も結われていた。
「おでさぁ~お見合いとか初めてで、しかもカメラ回ってるだろ?なんとなくオッケーしちゃったケド、ちょっと不安だったんだ。よかった、オニオンクリームもいるしサ!」
ディーノはもうセシールのほうを見なかった。彼の水底を思わせる瞳はオニオンクリームにしか向かず、セシールはただ相席している部外者のような扱いだった。パフェを平らげながらディーノはオニオンクリームとよく話していた。セシールは自身の右手の被せ物と喋る権力者の寵児を眺めていた。生クリームとチョコソースがオレンジ色の唇を汚した。
「そだ。これからちょっと町のほう歩こうヨ!」
パフェの殆どを食べ終え、ディーノは舞い上がっている感じがあった。
「鰐嶋サン」
呼ばれて我に帰ると紺碧の瞳がセシールを待っていた。亡き恋人とわずかばかり重なった。
「オニオンクリームと散歩してもいい?鰐嶋サン、やっぱ忙しいカナ?」
彼は首を傾げる。遅れて着せ替え人形のキャロットグラッセもセシールのほうを向いた。
『分かったっス~!行こうよ!』
「やった!」
オニオンクリームをみてディーノは笑った。指を通したオニオンクリームの手を彼は腕を引くみたいに摘んだ。セシールは布越しに触れた他者の体温に、妙な疼痛を覚えた。脳裏に、夢で沈んだ海が広がった。暗い底に沈み、日に輝く水面が遠ざかっていく不思議な感覚に陥る。ディーノはオニオンクリームの手を摘み、セシールを急かした。支払いを済ませている間もディーノは頻りにオニオンクリームに話し掛けていた。
「おであんまりネ、人と外出たコトないんだ。オニオンクリームは?」
『俺もあまりないゾ~。仕事の時くらいなんス~』
「オニオンクリームも仕事してるんだネ」
セシールは思わずディーノを見た。彼もまた少し驚いた顔をしてセシールを見る。
『タクシーで行くんスか~!』
オニオンクリームが見つめ合った固まった2人の横から割って入った。ディーノは首を振る。北東を指差した。
「ちょっと歩くと、おでのよく行く商店街みたいなのあるんダ。あんま、あっちのオシャレでキラキラしたトコじゃないケド…」
そう言って彼は高層ビルの並ぶ繁華街のほうを指差した。
「もしかして行ったコトあるカナ?」
『仮に行っていたとしても、撮影に行ったくらいで、よく見たことはないゾ~』
ディーノは輝かしく笑ってオニオンクリームの手でありセシールの右手の指を握って歩き始めた。まるでスキップをするように。着せ替え人形のキャロットグラッセも棒立ちのまま彼の近くで浮いている。ディーノのいう商店街は地域開発に置き去りにされた寂びと、住民に寄り添うような風情があった。埃を纏って傷んだ橙色の装飾テントが小さな道路の片側に並び、反対は廃墟にも思える雑居ビルが疎らにあった。ディーノはアクセサリーを庇 の下に並べた雑貨屋の前で止まった。
「これカナ。せっかくだから、プレゼントさせてヨ」
トンボ玉のアクセサリーを手に取ってオニオンクリームに翳し、納得したように頷いて、店員を呼んだ。セシールはパペットを掲げたまま、少し強引なところのあるディーノに恋人を重ね、まったく違うことばかり考えていた。そしてトンボ玉の付いたブレスレットを右手の被せ物に飾られ、やっと彼に焦点が合う。
「うん、似合う。よかった」
包み込むような海の奥底を映す瞳は布で作られた物だけを見つめ、何の惜しみもないほど満開に笑んだ。それから彼は漂う浜焼きの匂いを嗅いだり、野良猫と戯れたりしていた。高級住宅地の中でもさらに奥地の高台に住む権力者に保護されていたにしては地に足付いた庶民的なところがあった。オニオンクリームの手を摘んで、セシールの腕と繋がっていることに気付かないようだった。着せ替え人形のキャロットグラッセばかりが緑に着色された目をセシールへ向けた。待ち合わせの海辺の喫茶店に戻る頃には空は少し曇り、雲の中で日の光が壊れかけていた。風も強まり、白髪に近い銀髪がディーノの少し幼さのある頬を叩いている。セシールが想定していた時間よりも長かった2人だけの顔合わせはもう終わるらしかった。
「おでばっかり楽しんじゃったネ。ごめん」
ディーノはオニオンクリームに掛けられたトンボ玉を指の背で触れ、にこりと笑った。
「鰐嶋サン」
天気が変わるとその双眸も趣きが変わった。セシールはその魔石と見紛う瞳のあまりの美しさに息を呑んだ。
「ごちそうさまでした。忙しいのに色々連れ回しちゃって、すみません。次は、また顔合わせのパーティーの時ですよね。その時は、よろしくお願いします」
セシールは相手を見られず、オニオンクリームを被せた右手はだらりと垂れた。何か返事をしなければならないと思いながらも言葉は出てこなかった。ディーノは少し苦手そうに彼を見て愛想笑いを浮かべると、見送ると言って沈黙を破りセシールに帰宅を促した。
◇
出演者とスタッフの顔合わせパーティーはプール付きのルーフバルコニーがある超高層ビルで行われた。この所有権もディーノに相続されているはずだったが本人はいまいちその実感がないようで、備品ひとつ触るのにも緊張していた。偶然にも廊下で出会 した彼はシルバーの光沢があるスーツを着せられていた。髪を上げ額を晒してもまだ幼さが抜けなかった。着せ替え人形のキャロットグラッセは同伴していないらしい。しかしそれはセシールも一緒で、オニオンクリームはロッカーの中だった。ディーノはセシールの前でライティングによって翠緑に照る瞳を泳がせた。素直な顔には新しい友人の不在による落胆が滲んでいた。
「あ…え~っと、今日は、よろしくお願いします」
セシールは右手を差し出す。相手はその手首に掛けられたトンボ玉のブレスレットに気を取られていたがやがて握手に応じた。それからディーノはすでに自身の所有となっている巨大で瀟洒 なビルを、まるで踏んだら壊れるほど繊細な物のように怯えて歩いた。暗い色調の木目を活かした壁には水族館かと思うほど熱帯魚や豪華な淡水魚が飾られ、電気はセンサー式で3歩先を次々と照らしていく。セシールは迷路のような廊下へきょろきょろしながら消えていくディーノを見ていた。曲がり角で見えなくなっては、また手前や奥の十字路から現れる様をラウンジから眺めていた。少し経ってディーノはセシールに気付くと走り寄ってきた。
「あ、あの、更衣室ってどっちでしたっけ?よく分かんなくなっちゃって…」
ラタンチェアーに座るセシールの目の前で急停止し、焦りながら彼は問う。似たような造りは外観ばかりで実用性には優れず、外観に囚われ実用的に手を加えることもされていなかった。多少壁に埋め込まれた熱帯魚の品種が違う程度で、扉までもが壁と一体化している。しかしセシールは方向音痴でよく迷子になっていた故人をそこに見出し、すぐに動けなかった。
「あッ、忙しかったですよネ?ごめんなさいっす。やっぱもうちょっと自分で探してみます」
彼はさらに慌てた。セシールは落下しそうな物を受け止めるようにどこか走り出そうとする腕を掴んだ。張りのある肉感と少し高い体温を掌で感じると脳裏にあの水底に沈んでいく光景が広がった。水面の明るさが揺らぎ、そこには緩やかな波と自分しかいなかった。耳の閉塞感も息苦しさもなかった。危機感すらもなく、感情もない。
「鰐嶋サン?」
脳裏に描かれた水底に覗かれ、セシールはたじろいだ。それを誤魔化し、いくらか乱暴に更衣室のほうへ引っ張っていく。ディーノの更衣室はセシールとは違かったが、斜向かいでそこまで来ると彼も分かったようだった。離しても逃げることはないはずの袖を掴んだままでいた。指を外す。空港で見送った背中を思い出し、セシールはこれからパーティーだというのに憂鬱な感じがあった。セシールも更衣室に戻り、会場に置いてあってもおかしくないほど値の張りそうなソファーに座り、時間まで寛いだ。
時間になってもディーノはやって来ず、すでに見合い相手5人と製作スタッフは揃い、会場は騒めいた。間際になって「やはり撮影はやめたい」ということは無いことではなかった。今のディーノならば発生する多額の違約金など、自動販売機でひとつ缶コーヒーを買うような認識で簡単に支払える。動揺が走る中セシールは会場になっているバルコニーを抜け出してディーノを探し回った。屋上のおよそ3分の1がバルコニーになっていたがそれでも市民中央公園ほど広い。屋内に入ると目の前からピンク色の物体が飛び、セシールの顔面にぶつかった。布地の感触とソフトビニールの軽い硬さがあった。化学繊維的な鮮やかなピンク色が床に落ちる。ディーノの着せ替え人形だった。落ち着いた色調のイヴニングドレスを着せられ、それは女児向けに大量生産されたこの人形の付属品にしては生地も作りも良かった。特注品なのかも知れない。床に付いた部分を手で払う。このソフトビニール人形の登場により、セシールは突如資産家になってしまった青年が逃げ帰ってしまったわけではないことを何となく直感的に悟った。鷲掴んでディーノを探す。似たような通路をすべて抜け、やっと見つけた彼はエレベーター近くの観葉植物の隣にあるソファーで項垂れていた。人形の足を持って、銀髪をピンク色の頭でこつこつ叩いた。彼はセシールを見上げた。海底を覗くレンズ2点に捕まる。ダウンライトが深いブルーに赤みを添えている。右手を差し出すのが精一杯だった。
「あ、あ、ごめんなさいっす…」
ディーノは飛び上がり、差し出された手を両手で包み込むと、涙目になりながら謝り、壁を指した。そこには小さな金の鋳塊 が埋め込まれ、華奢な針は背景に溶け込み非常に見づらいが確かに時計だった。
「もう、時間過ぎて…おで、あの、ごめんなさいっす…」
泣き出しかねないディーノの肩を軽く叩き、腕を引いた。やはり水底に沈む夢を冴えた状態でみることになる。
「キャロットグラッセのコト連れて来てくれたんですネ!お世話になりました」
ディーノは宙に浮かんだ着せ替え人形を胸ポケットやスラックスのポケットにしまおうとしたがどこにも上手く入らず、セシールはまず更衣室に連れて行った。着せ替え人形はテーブルに座らせられ、2人は会場に戻った。
会場からは夜景がみえ、枯葉や虫も浮いていないプールが大きく幅をとりパープルやブルーにライトアップされビーチボールやフロートマットが漂っている。おそらくこれもオブジェでしかなく遊泳用ではないらしかった。見合い相手たちはカクテルを片手にスタッフたちと話していたが、ディーノは最重要メインキャストの自覚がないのか離れたところに置かれたビーチベッドに寝転んでシロップで色と味を付けた炭酸水を飲んでいた。セシールはそれを少し気に掛けてはいたが何も言わず、他のスタッフの話術に任せ会話に添わっていた。しかし人集りを抜けて、見合い相手の5人のうちの1人がディーノに近付いていった。自然な長い黒髪のあまり派手さのない女は鮫宮 ・アクアマリンという芸名 を今回は使う学者の娘だった。彼女の父親はこの地に伝わる「アンジェロペッシェ伝説」の熱烈な信者で、この企画は彼の提案によるものだった。アンジェロペッシェ伝説とは、大都市が大昔に神の怒りに触れて海の底に沈んだというものだった。ディーノを保護していた莫大な資産と権力を有していた人物は自らこの伝説からアンジェロペッシェを名乗っていたともされている。
セシールは資産家になってしまった青年が無防備な体勢で話し掛けられ、飛び起きる様を見つめていた。亡きエイクレアも横になると途端に無防備になるものだった。気付くと彼は離れた会話に向かって歩いていた。
「泳げんのかな?」
「泳げないと思うけれど…泳いでみます?」
ディーノはリラックスした様子でアクアマリンと話していた。セシールは突っ立ったままビュッフェテーブルに踵を返そうとする。しかし彼女はその姿に気が付いたらしかった。
「プロデューサーさんがいらっしゃったことですし、わたし、何か持って来ますね。何がいいですか、ケーキとか?」
まだ二言三言程度しか話していないはずのアクアマリンは気を遣った。ディーノは軟派な感じのある笑みを貼り付けている。
「いいって。おでが取ってくるヨ。なんかステーキみたいなの食べたかったし。鮫宮さん何にする?」
「じゃあ…お言葉に甘えて。チーズケーキをお願いします」
ビーチベッドから起き上がり注文をとるとセシールにも訊ねた。すれ違いざまに柑橘系の清涼感を帯びた瑞々しい仄かな甘い香りがした。エイクレアと同じ香水に激しく動揺する。
「プロデューサーさん、顔色があまり良くないです。大丈夫ですか」
鮮やかなライティングのせいだろう。血色の良いディーノも青白く見えたくらいだった。
「すごいですね、このビル。お料理も」
寡黙なセシールに物怖じすることもなくアクアマリンは控えめに話しかけ続けた。程なくしてトレーを持ったディーノがサイコロステーキとチーズケーキ、スティックサラダを持って戻ってきた。彼はアクアマリンにチーズケーキを渡し、セシールへスティックサラダを差し出す。
「好きかと思って…」
チーズやパスタフリットも挿してあるスティックサラダを受け取り、無言の中ピクルスを齧る。容器の底はサワークリームが入っていた。
「今ね、プロデューサーさんと、このビルについて話していたんです。水族館みたいだなって」
「水族館?おでは迷路かと思ったヨ~。トイレも隠し扉みたいになってるしサ」
「でも、もうディーノさんのビルなんでしょう?」
「あ、そっか。道順の貼紙いっぱい付けたほうがいいよネ。おでならそうする」
彼等の若々しく微笑ましい会話に耳を傾け、兎のように野菜をぼりぼり齧っているとビュッフェテーブルのほうからセシールは呼ばれ、2人を置いてそちらに向かった。番組のスポンサーから缶ビールや炭酸飲料が大量に届いたところだった。大企業の代表取締役社長の娘がディーノの見合い相手のうちの1人で、今回の芸名 をラグーン・鰍沢 といった。背が高く、褐色の肌と赤い髪が特徴的で、鮮やかな赤い唇が艶めかしかった。彼女はセシールに自社製品を運び込む父親を紹介した。あまり似ていないどころか美しさの中に峻厳さのある彼女の顔立ちとは正反対に父親は穏和な雰囲気を醸し出している。家族仲が良いらしく、父のほうが遠慮がちになりながら娘と腕を組んだ。ラグーンはパールの光沢がある透明なヒールサンダルを履いているため、父の背丈を越えていた。フラッシュが焚かれ、会社の広報部と思しき者たちが様々な角度から写真を撮る。
「是非とも、我がバリアリーフ社と父を頼む」
ラグーンはプロデューサーへ改めて握手を求めた。それに応じる。掌が合わさった瞬間にもフラッシュが明滅した。
「彼は?取り込み中か…」
赤みのある瞳を彼女は離れたビーチベッドに投げた。目的の相手はまだ笑顔を貼り付け、見合い相手と話している。
「父を紹介しておきたかったが、またの機会にしよう」
テーブルの上に山を作る缶ビールや缶ジュースの写真撮影が終わり、周囲の者たちに配られると一斉にプルタブを捻る空気音が鳴った。テーブルから2缶もらい、ビーチベッドに戻った。アクアマリンが1缶受け取り、ラグーンに礼を行くと言って入れ替わりになる。ディーノは軟派な作り笑いを消し、戸惑いはじめた。バリアリーフ社の缶ジュースを忙しなく触り、落ち着かない様子を見せた。間際でなくても、実際スタートラインを切ってみて破綻する企画も無いわけではなかった。彼を眺めながらパスタフリットをぽりぽり齧った。沈黙の中でディーノは大きな溜息を吐く。
「あ、ごめんなさいっす。今のはそうゆうのじゃなくて…あの、ちょっと、はしゃぎ過ぎたかもって…」
素直な性分でありながら疲労を溜め込む癖は亡くなった恋人で慣れていた。あまり質の良いとは言えない髪に手を置く。仕事中は禁止されていたオニオンクリームを取りにセシールは更衣室に向かった。
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