2 / 8
第2話
撮影当日、ディーノは激しく緊張していた。番組進行役がインタビューしている最中にカメラを向いてしまったり、言葉が出ず吃 ったりした。それが何度も重なるとセシールはカメラを止めた。右手にパペットを嵌めるとディーノは姿勢を正した。撮影場所になっているのは海辺にある別荘で、ここもまた彼が相続した豪邸のひとつだった。今撮影班のいるリビングには不自然なほどバリアリーフ社の製品が置かれ、オニオンクリームは強張る彼へバリアリーフ社の缶ジュースを勧めた。画角もまたバリアリーフ社のコーンフレークの箱が大きく入るものへ変わる。
『とにかく、そのジュースを飲んで時間を稼ぐっスよーん』
パペットが大袈裟に揺れた。ディーノはオニオンクリームの真っ黒く塗られた2つの円を真っ直ぐ射抜いて頷く。缶ジュースの持ち方指導が入り、彼は商品名が見えるように握り直した。そして撮影が再開する。
[ミスターヘリングが狙う理想のお相手は?]
「笑って暮らせるような人がいいです!」
[ん~っ!漠然としていますね。まぁ、結婚生活に必要なのはまず笑顔ォ!これはいくら財産があってもなかなか手に入らない。おっと、そろそろミスターヘリングの未来のシュガーが到着だァ!〕
セシールは止めた。進行役はマーカーペンを片手に台本に線を入れた。右手の被せ物が喋る。
『そのシュガーという部分、マイムマイムマイミーにしましょう』
セシールも台本をペンで直した。マイムマイムマイミーは知らないものが居ないほど有名な炭酸飲料で、通称「マイミー」と呼ばれていた。レモンライムを思わせる酸味と甘味の清涼感、繊細かつ強い炭酸が人気のバリアリーフ社飲料部門の看板商品のひとつだった。
「マイムマイムマイミーならコーラルパイのほうが良いのでは?」
進行役が訊ねた。コーラルパイもまたバリアリーフ社の商品で、珊瑚を焼印した一口サイズの菓子だった。中に杏ジャムが入っている。この地一帯で「パイ」とだけいうと大体はこのコーラルパイを指した。セシールは右手の白い被せ物を通して同意する。ディーノは訳が分からなそうだったがこの場面が撮り直された。続いてお見合い相手がクルーザーに乗ってやってくるシーンが撮影される。すぐ近くの港からわざわざ遠回りをしてやって来た。リビングに戻るとディーノはすでに疲れた様子で、セシールはカメラを止めた。面会シーン前に休憩が入る。ディーノは大きなソファーにぐったりと仰け反ってバリアリーフ社のクッションを投げ捨てるように手放した。
「オニオンクリームぅ」
ディーノはセシールの右手を求め、オニオンクリームは友人に甘えられる。左手だけを頼りにセシールはこれからのシーンをカメラマンや音声スタッフと打ち合わせる。若干の変更点を確認し、主要中の主要キャストを振り返る。布下に他人の右手が入っていることなどまったく忘れたように彼はオニオンクリームを抱き締めたり、摘んだりした。
『撮影再開するゾ~。やれそうっスか~?おぉ~?』
ディーノの目はセシールを向いた。
「体力には…自信あったんですケド、ごめんなさい」
『慣れないことやってるから仕方ないゾぉ。少しずつ慣れていくっスよ~ん』
「ありがとナ、オニオンクリーム」
彼は疲れが飛んだように眩しく笑った。頬が上がり目が細まって少し野暮ったくなる様がエイクレアのそれとよく似ていた。セシールは顔を背けた。
次のシーンはクルーザーが着き、浜辺で見合い相手5人と対面するところから始まった。5人の中では2番目に小柄な女が台本どおりに整列を乱してディーノに抱き付く。彼女はスカイライン・鱧川原 という芸名 で、可憐な見た目に反し、書類から読み取るに野心家であるようだった。婚約よりも番組出演に対して意欲を示していた。
スカイラインに抱き付かれたディーノは、台本に書かれていたことだというのに激しく狼狽した。撮影スタッフはセシールに確認の眼差しをくれたが、このまま使うことにした。そしてスカイラインを止めにかかるのは芸名が鱒山 ・カスケードで気の強そうな女だった。市街地で遊んでいる風な全身有名ハイブランドで固めた衣装を身に纏っているが、実際話してみると、話すのは好きな意地張りの人見知りという感じだった。整列したものの、そのまま浜辺を歩き出す妙な雰囲気の小柄な女は鯉口 ・シマウタと珍しく本名を使っていた。彼女は製作側でキャラクター設定を用いずにそのままの変わった気質を撮ることにした。
ディーノはマイペースな見合い相手たちに困惑した。想定を上回る素の反応に、撮り直しは少なかった。そして歓迎パーティーのシーンを撮るため日が落ちるまで休憩を挟む。ディーノは非常に疲れた様子で別荘に戻った。見合い相手たちも衣装直しに別室を使っている。セシールも合間、合間の打ち合わせを終え、ぐったりしているディーノの傍に付き添った。
『疲れたっスか~?』
装飾用のバリアリーフ社の炭酸飲料を差し出す。1日で飲み飽きたのか彼は苦笑しながらも受け取った。
「ありがと。みんなこうして家庭を築いてるんだネ…大変だナぁ。母上 はずっと独身だったから…」
オニオンクリームは動きを止めた。セシールは首を傾げたディーノを見下ろす。
『まぁ、多分結婚は大変だと思うけど、ヘリングの場合はちょっと違うと思うゾ~』
「え、そなの?ネ、ネ、オニオンクリームは好きなコいんの?」
少し元気を取り戻し、ディーノは前のめりになった。馴れ初めがフラッシュバックする。エイクレアが前のめりになり、鼻先が触れ合うほど近付き、セシールは戸惑うことも忘れていた日。
「オニオンクリーム?」
「オニオンクリームも今日は少し疲れたみたいだ」
セシールは白い被せ物を右手から外した。久々に口を開けて喋ったような気がする。ディーノは目を剥いて、背凭れに倒れ込んだ。
「鰐嶋サン、声綺麗ですネ…」
都合良くそう聞き取っているのかとセシールは自身を疑うほど、故人から掛けられたことと同じフレーズをディーノは口にする。
『少し休憩に入るじょ~』
どこからともなく、セシールの喉からオニオンクリームの声がした。広い玄関を出るとすぐに暮れなずむ砂浜に出た。漣の音を聞きながら、水平線を望む。
「この海の下にデッカい街が沈んでるんでしょ?」
真後ろから聞こえた声にセシールは美しい眉を潜めた。撮影まで衣装を脱ぎ、軽装をしたスカイラインだった。外見や雰囲気からムードメーカーの役割を押し付けたが、カメラがまわっていない時はどこか陰気で捻くれた感じがある。
「さっきアクアマリンちゃんとシマウタが話してたんだ。あの2人はちょっと変わってる」
スカイラインは波打ち際に走り寄っていった。彼女はウェーブした髪を耳に掛け、屈むと手招きした。エイクレアにも同じくらいの妹がいた。彼女もまた兄とともに不可解な飛行機事故で海に呑まれたしまった。「海竜ティノスに拐われた」と人々は口にした。しかし遺族や関係者からしたら容易に理解できるものでもない。恋人の妹、もしかすると義妹になったかも知れない面影へセシールは重い腰を上げた。
「嘘だと思うな。アクアマリンちゃんもシマウタも絵本の読み過ぎだと思う。やっぱりなんでもかんでも伝説とか信仰で片付けるのおかしくない?前に飛行機事故あった時もさ…」
黙っているプロデューサーにスカイラインは意地悪く笑った。
「プロデューサーも、信じてるんだ?ごめんね、否定するようなこと言って。ねぇ、どの辺にあると思う?-は?」
彼女の弾むような声が一瞬だけ途切れた。聞き覚えのあるようで、思い出せない単語を小さな唇が吐いたような気がする。しかしセシールは復唱出来なかった。聞いたつもりでいたがすぐに忘れた。
「プロデューサー?怒っちゃった?」
スカイラインは眼前で手を翳し、そして振った。
「ごめんって。でもやっぱ信じらんない」
彼女は海を見ていた。波が細い足首を洗う。
「でも仲良くするよ……仲良くする必要ないか。ディーノさんを狙いにいかなきゃね。別に必要以上にギスギスするつもりないけどさ」
スカイラインは別荘に戻っていった。セシールはその後姿を見送ったが、やがて視線は海へ吸い込まれる。オレンジに染まる空によって淡い色をしていた海は濁っていた。溺れるほど飲んだ蒸留酒にも似ている。エイクレアのいない人生に何の意味があるだろう?何故価値を見出せると思ったのだろう。彼と過ごせない人生を何故続けているのか。セシールは浮かび上がる疑問に次々と答えると海に向かって歩き始めた。裾が濡れる。水平線の奥でエイクレアが待っているはずだ。海竜ティノスが守っているという沈没都市で。
「あの、えっと…鰐嶋サン。スカイラインちゃんからここに居るって聞いたんですケド…やっぱここに居た」
腕を引かれ、セシールは止まった。膝下まで生温い波が打ち寄せる。
「危ないですヨ。つるんってすぐ転んじゃいますから」
硬直し続けるセシールの腕をディーノは無邪気に揺すった。彼も撮影用の上等なスーツを高級な革靴とともに海水で濡らしている。そのことに何の頓着も示さなかった。影を作るディーノの顔はただ不安げにセシールの美貌を覗こうと首を曲げた。
「鰐嶋サン?」
心配をかけた時のエイクレアと同じ眼差しだった。求めていた虚無が遠く行きづらい水平線の奥でなくとも目の前にある。
「この時間の海、あんま良くないですヨ。波の音、楽しむだけにしましょ」
彼は動かないプロデューサーに困惑している様子だった。両手でセシールの腕を掴み、ハンモックを揺らすように振った。
「鰐嶋サン…」
浜に戻る気配のないセシールにディーノは泣きそうになった。まるで入水 などという概念は無さそうな、その意味も知らず、そのようなものは存在しない世界で生きていそうな陽気さがあったが飽くまでもセシールの印象に過ぎなかったらしい。
「戻りましょうヨぉ。ごめんなさいっす。おでがヘタクソだからですか?何度も撮り直し出しちゃうから?」
もう一度ディーノは腕を引いた。セシールはまた水没する擬似体験に意識を奪われ、ゆっくり瞬きを繰り返す。下睫毛に睫毛が絡まるような重さがあった。幻肢痛やそれに類するものをセシールは知らないが、起きたままみている夢の中に奪われた手足にも重さがあった。
「おでがバカだから、ノイローゼになっちゃったんだ!」
青の深まった瞳が大きく光るとみるみる水膜を張り、やがて目から雫が落ちていった。うっうっと泣きだすディーノはうっかり入水自殺を図らんとしている者の腕を放し、その涙を拭った。子供のような仕草をそのままに出来ず、やっと自由を得た手で髪を撫で、肩を抱き寄せる。悔し涙を堪える姿を目にしたことがあっても、泣いてしまうところは見たことがなかった。鍛えた形跡のある背中を撫で摩る。セシールはあまり筋肉がつかなかったため、エイクレアの鍛えるだけ盛り上がり引き締まっていく肉体に憧れを抱くこともあった。掌からも懐かしさが伝わる。あまり身長の変わらない背中に頬を擦り寄せる。少し背丈の縮んだ恋人のようだった。戸惑う声も聞こえない。しかしスタッフたちの呼びかけは聞こえた。浜辺では撮影の準備が始まっていた。スタイリストに叱られながらセシールはディーノの衣装直しを任せ、見合い相手たちの配列させる。台本とキャラクターに沿った役割を与え、ラグーンとシマウタが肉を焼き、スカイラインとカスケードはひたすらディーノを奪い合い、アクアマリンがそれを仲裁するという分担になった。バーベキューグリルにはすでに火が付き、テーブルにはバリアリーフ社のアルコール飲料が豊富に並んでいた。ここにあるバーベキュー用品もアウトドアソファーやピクニックテーブルもカラール社の製品で、このブランドはバリアリーフ社の傘下にある。着替えと化粧直しを終えたディーノが戻ってきて、運ばれてくる肉に目を輝かせると自分で焼く気になっていたがスタッフたちに止められ、トングはシマウタとラグーンの手に渡る。肉はシマウタの営むデザイン事務所が手掛けた高級レストランからの厚意だった。洒落た皿に語感の良い店名が垢抜けた書体で刻まれているため、常に画面には皿が収まるように撮られ、まるで皿や酒缶がフレームのようだった。
撮影が始まるとディーノは緊張と肉への期待を行き来し、すでに焼かれて冷えたものが次々に各々の小皿に乗せられていく。
「やっぱりお肉にはコーラルスカッシュだよねっ!」
決まった台詞をスカイラインが吐いて、バリアリーフ社のアルコール飲料部門で最も売れ行きの高いオレンジとアプリコット味の焼酎ハイボール「コーラルスカッシュ」の缶に軽く口付ける。そしてディーノに身体を寄せて座るとグラスに注ごうとする。
「ま、待ちなさいよね!ディーノ様はこっちのコラリオンリュールのほうがお、お好みよねッ?」
恥じらいを捨てきれないカスケードは与えられた積極的なキャラクター性にまだ馴染めずぎこちない感じがあったがそのまま指導も入れず撮り続けた。彼女はスカイラインと反対側からディーノに擦り寄る手筈 だったが遠慮と躊躇いがみえた。左右からバリアリーフ社の商品に揉まれ、挟まれたグラスにはピンク色の液体と褐色の液体が注がれる。カンニングペーパーから一口飲むように指示が飛び、ディーノは少し戸惑ったが濁った色の酒を飲んだ。
「ワ、ワァ、混ゼテ飲ンデモ、スゴク美味シイ!」
それから間をとって、カットが入る。
「顔真っ赤だけど大丈夫?」
カスケードは険しい顔をして近寄ってきたセシールを怒るように見た。ディーノはアウトドアソファーに凭れ、スカイラインが転倒しないように支えていた。アクアマリンは水を持ってきてセシールへ渡した。カスケードは乱暴にディーノを助け起こし、プロデューサーは最重要キャストに水を飲ませる。
「ごめんなひゃいっす、鰐嶋サン。ベロがびりびりひゅる…ごめんなひゃい、がんばりましゅから、海ん中行かないで…」
「お酒、わたしたちだけにしましょうか?」
「ってゆうか、ホントに美味しいしありがたいけどさ、そんなにこれ推す必要あるの?」
アクアマリンとカスケードはセシールに詰め寄る。
「おで、大丈夫れしゅヨ…ちょっと、ちょっとだけ…ちょっとだけ…」
休ませてくれと彼は手を挙げた。全身は芯を無くし、体重をアウトドアソファーへ預けようとするため真横にいるスカイラインは再びその背中を華奢な腕で支える。その間、少し離れた波打ち際を番組進行役が歩き、別のパートを先に撮っていた。肉や酒の並ぶピクニックテーブルでも商品撮りをしていた。セシールは残りのスタッフと話し合い、脚本を書き換えることにした。ディーノが酔った振りをしていることにして、見合い相手たちの様子を窺うという設定に変わる。6人にも改めて話し、了承を得た。カスケードは渋々といった感じがあり、シマウタはいまいち話を聞いているのかいないのか分からなかった。傍を離れない役回りのスカイラインにディーノの体調管理を任せ、まずそうであればサインを出すよう打ち合わせ、カメラが回る。
「ほらぁ、スーちゃんが飲ませるからディーノ様が酔っちゃった!」
「は、はぁ?あ…あーしの所為 だって言うワケぇ?アンタだって悪いんだからね」
ディーノを挟んでカスケードはスカイラインを押した。
「やめなよ、2人とも…」
アクアマリンが宥めに入る。ディーノにはただ夜空を見ているよう指示している。画面には喉までしか映らず首がないようにみえた。
「な、何よ、アクアマリン!さっきから無害なフリして良い子ぶっちゃってさ。学級委員にでもなったつもり?…なの?」
故意的に荒げたカスケードの声が罪悪感からか少し震えた。アクアマリンは顔を覆って過度に傷付いた記号的な演技をする。
「こらこら、よさんか、2人とも。スカイライン、代わってくれ」
「え~!服が煙臭くなっちゃうじゃん!」
ラグーンは呆れた反応を示し、スカイラインは嫌味ったらしく声を作る。シマウタは自分で焼き、自分で肉を食べながら合間合間にバリアリーフ社の缶をカメラに近付けるように置いたり、皿の中心部に刻まれた店名が長い時間見えるように中心の肉だけグリルに乗せていく。ここでナレーションが入る予定だった。撮影が一旦途切れる。ディーノは相変わらずぐったりしていた。
「空きっ腹だからだろ。ほら、焼けたぞ。食え」
ラグーンはディーノの小皿に串を置いた。セシールはチョップスティックで串からひとつ肉を切り分けると彼の口元に運んだ。すると飛び起きて肉を食らった。
『次のシーンで起きてもらうゾ~。大丈夫っスか~?』
宙から響く声に肉を噛みながらディーノはきょろきょろと辺りを見回した。カスケードは怪訝な表情で彼にセシールを示す。
「あれ?オニオンクリーム?」
『大丈夫そうっスね~。そろそろカメラ回すゾ~』
見合い相手たちは口々に合意したがディーノはまだ訳が分かっていないようだった。アクアマリンとカスケード、ラグーンとスカイラインの対立から撮影が再開する。アクアマリンは泣く演技をして、カスケードは遠慮がちではあるもののディーノに寄り添い、ラグーンはグリルを離れアクアマリンを慰める体勢にはいる。音声はスカイラインの嫌味を拾って、気拙い空気が演出される。沈黙の中、何事にも静観を決め込んでいたシマウタが口を開く。
「あのさぁ、この海って出るんですわ」
グリルから火が上がる。シマウタの顔が緋色に染まった。
「って海が言ってるけど、聞く?」
「聞きたい!」
「ど、どうせサメとかってオチでしょ」
いち早くスカイラインが反応し、カスケードは本心のように焦る。
「大昔、30万年くらい前は、ここは海で、逆にこっち側が大陸だったんすわ」
シマウタは肉串を裏返した。セシールはこの話は編集で途中から不使用 になるだろうと高を括っていた。グリルの火は猛り、肉を食らった。スカイラインは素を出してしまい、無知なキャラクター性から外れシマウタを、というよりは彼女の口にする例の信仰を睨んでいた。
「あ~、それ知ってるぅ!なんだっけ、エンゼルフィッシュ伝説だっけ?」
しかし意外にも野心に燃えるスカイラインは努めて自身に与えられたキャラクター性を保った。
「ティノス信仰とも言うんですわ。この海で命を落とした者たちはすべてティノスの一部になる…って、有名な話ですね?」
シマウタは訛りがあるのとか時折語調や抑揚が不安定なり、断定しているのか問いかけているのか分からないところがあった。
「ティノスは獰猛で、人を、時には飛行機や船なんかも一呑みにして、海底都市―に連れ去る、なんて話もあります、よ?」
またスカイラインと海辺で話した時のような違和感がセシールを襲った。異変に気付いたスタッフがセシールの肩を叩いた。シマウタの声が歪む。しかし他の者は表情ひとつ変えず、変人の奇言を寛容な態度で受け入れている。天才的建築デザイナーはどこか頭がおかしくて当然なのだとばかりに、むしろ肯定的に、彼等彼女等は話を聞いている。正常な状態を自負しているセシールはカットの権限を持っていることも忘れた。
「でもあれは、アンジェロペッシェなんです。アンジェロペッシェこそが、古代都市コエラカントスを海に沈めたんだと、言っているんです、海が!潮風が!ヤシの木が!この砂浜が!」
台本にない台詞が続く。むくりとディーノが妙なタイミングで起き上がり、セシールは妖しく光る眸子に刺され、意識を失った。
真っ白い竜が現れ、街から人の気配が消えた。青い瞳は人智を越えた美しさがあり、それに惹かれるのは本能に等しかった。ステッラは巨大な竜の翼に囲まれ、四方を塞がれていた。純白の竜は徐ろに目を伏せ、人懐こい犬猫のようにステッラに長い首を寄せ、頭部を擦り付けた。
『心に決めた人がいるんだ。すまない』
ステッラは純白の竜に答えられなかった。海のすべてを秘めたような目は完全に閉ざされ、滴った涙が青い石となって転がった。空は曇り、たちまち大雨に変わり、激しい雷が降り注ぐ。竜巻と大波が街を呑みはじめる。白い竜はいつの間にか浜にあるような砂と化し、形も留めていなかった。
『ステッラ!逃げるぞ!』
学友のルミエールがステッラを呼んだ。走り寄る彼の後ろには巨大な、赤みを帯びた黒竜が咆哮していた。しかしルミエールには聞こえていないらしかった。醜悪ですらあるその黒と赤の竜は長い爪でルミエールを狙った。だがやはり彼はその恐ろしい存在が見えても聞こえてもいないらしかった。ステッラは叫ぶが喉を焼かれ、声を発することが出来なかった。竜巻が建物を破壊し、巨大な波が街を覆う。雷が地を割り、ルミエールは鋭い爪に引き裂かれた。生まれ育った街と大好きな想い人と深海に堕ちていく。
ともだちにシェアしよう!