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第1話 弟切草(1)
一体いつまで登ればいいのだろう。
俺は心の中で愚痴を吐いた。
俺、雨若 彦介(あめわか ひこすけ)は記者である。普段は世界各地の秘境やパワースポット、心霊スポット等を廻り、そこでの体験談を面白おかしく記事にしている。
幼少期から妖怪やら幽霊が大好きで、夜の神社へ忍び込んだり、墓地を徘徊したりしていた。その為か、神秘的な場所や霊的な空気によく鼻が効くと編集内では定評がある。
そんな俺が今回取材に向かっているのは南九州のとある神社だ。東京から新幹線に乗り、電車とバスを乗り継ぎ、更に歩いて山一つ超えた先にある小さな村にその神社はある。
……らしいのだが、正確な事は分かっていない。それというのも、この神社の情報が極端に少ない。
この情報化社会に不自然なほどに……
だからこそ、俺は確信できた。今から向かう神社、蕃登矛(ほとほこ)神社には何かがある。
そんな期待を胸にいざ現地へと来てみれば、そこにあったのは青々とした山を割るようにして真っ直ぐ敷かれた白い階段だった。
しかも階段には手摺りは無く、急勾配である為、転んだりしたら麓まで一直線で落ちていくという現代社会にあり得ないつくりをしていた。
それでも、ここまで来たのだ。簡単に諦めることなど出来ない。そう決意し登り始めて30分ほど経ったが、上を見ても霧のせいで終わりは見えない。
幸い樹々が生い茂っている為、階段の殆どは木陰だったが、初夏にこれだけ階段を登ったら流石に疲れる。
額に流れる汗を手の甲で拭い、俺は肩掛けのリュックから水の入ったペットボトルを取り出して勢いよく飲む。
喉を通る清涼な水が次第に身体に染み渡っていくに連れ、靄のかかった頭の中が幾分かクリアになっていく。
一息ついた後、ペットボトルを戻そうとリュックを開くと、そこにはここに来るまでに取材した資料がびっしりとあった。
そうだ、ここに来るまでに一年以上も費やしたのだ。今更こんな階段、苦でもない。
俺は知らなければならない。
この先にある秘密を
1000年以上昔、神代の頃からある秘密。
「バンキリ」について。
半刻程で階段を登り終えた俺は、もう一歩も足を動かすことができない位疲弊していた。
最後の段に腰掛けて、もう温くなってしまった水を飲み干して一息ついて、辺りを見渡すとこの山を中心に村が出来ており、さらにその村を囲うように山々が連なっていた。
まるで何かを隠しているようだな。
俺が期待に胸を高鳴らせていると不意に優しい甘い匂いが鼻をくすぐった。
匂いの方を見てみると木々の間からチロチロと水が流れており、その周りに小さな青い花が咲いていた。
神秘的な場所に居るからか、普段意識することのない、何処にでもあるようなその花は妖しい雰囲気を醸し出していた。
その光景をカメラで撮ろうとした時、不意に背後から見知った声で名前を呼ばれた。
「ワカ先輩〜、おはようっス〜」
声の方へ振り向くとそこに居たのは、後輩兼助手の下屋 照姫(したや てるひめ)だった。下屋はヘラヘラとしたいつもの態度で挨拶をしてきた。
「下屋か、相変わらず速いな」
下屋は一年ほど前に入社してきた新人だった。当時……というか今もだが、俺は無愛想かつ強面な為、他人は寄り付かず、誰かとペアを組む事は無かった。
そんな俺に下屋は物怖じする事なく、半ば強引に取材について来た。
最初は俺も邪険にしたが、何処へ行っても取材現場に必ず下屋は先に到着してヘラヘラと挨拶してくるもんだから早々に諦めた。
「ワカ先輩が遅いだけじゃないっスか〜?……ぷ、ぷぷぶ……『ワカ』先輩なのに、若くないから……ぷぷぷ」
相変わらず舐めた態度の下屋に苛つき、軽く舌打ちをしたが事実なので言い返すことができなかった。
「そんな事よりお前、ただぼーっと待ってたわけじゃねぇだろうな?」
「そんなわけ無いじゃないっスか〜、ちゃ〜んと神社の周りの写真撮っておきましたよ〜」
「見せてみろ」
下屋がのろのろと差し出してきた小型のデジカメを奪い取ると今日撮った分の写真を一枚一枚見ていく。
写真には神社とその周囲が写っており、一見した限りでは綺麗に整った神社にしか見えなかった。
「神社の方は普通でしたね〜、社務所の方は正面からじゃ分かりにくいッスけど縦に長くて意外と大きかったッス」
写真を見てみると確かに普通の神社よりも大きい気がするが、神社の社務所事情に明るいわけではないので一概にはいえない。
俺は満足してカメラを下屋に返すと、下屋は不満そうに眉間にシワを寄せ『何かいう事は無いんッスか〜』と口を尖らせた。
俺は『よくやった』と渋々下屋を褒めつつ頭をポンポンと撫でると、下屋は満足といった風にニンマリと笑った。
すると背後から聞きなれぬ男の声で挨拶をされた。
「すみませんが雨若様……でしょうか?東京の記者の」
声をかけてきた男は40代か30代後半といったところだろうか。丸い眼鏡に紫色の袴の着物を身につけており、人の良い笑顔が特徴的な人だ。
「そうですが……、貴方は?」
「私は、この神社の神主をしております。保土原 優仁(ほどはら ゆうじ)と申します」
保土原と名乗る宮司は軽く頭を下げて、また人の良い笑顔を浮かべた。善人である事をアピールする笑顔だが俺にはその顔が何かを悟らさないように張り付けた仮面のように思えた。
俺はリュックの中にある名刺入れから曲がってない一枚の名刺を取り出し、宮司へ差し出した。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私は、東京で記者をしている雨若 彦介と申します。この度は取材にご協力いただきありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ遠路遥々、御足労いただきましてありがとうございます。では雨若様と……」
宮司は困惑した様な視線を下屋に送った。
……そういえば下屋のことアポ取った時に説明していなかったな。
「私は雨若先輩の助手の下屋ッス〜」
「下屋さんですね。では御二方、立ち話もなんですから社務所へ案内いたしますね」
そう言って静かに歩き出した宮司の背を追いながら、俺はふつふつと期待が高まるのを感じた。
きっとこの神社には何かがあるはずだ。
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