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第2話 弟切草(2)
宮司に案内されて、社務所の一室に入ると、お弁当が3箱積まれていた。
どうやら気を遣って用意してもらった様だ。
俺は朝から階段を登っていたこともあり、腹が減っていたので有り難くご相伴に預かることにした。
弁当の中身は、キノコや山菜を使った料理が多く、特にメインの山菜の天ぷらは絶品だった。
「マジうまいっスね〜」
隣にいる下屋がハムスターの様に弁当を頬張りながら呟いた。
「そうだな、確かにこんなに美味しい山菜は中々都会じゃ食えないな」
「お口にあって良かったです。このお弁当は近くの村にあるお弁当屋さんのもので毎日届けてもらってるんですよ」
そう言って笑う宮司の笑顔は今までの何かを隠そうとするものではなく、裏表の無い本当の笑顔だった。
「毎日となると届ける方も大変ですね、少数とはいえ弁当を持ってあの階段を登らなきゃいけないんですから」
「ええ、本当にありがたいことです。ですが、この辺りにはコンビニやらスーパーが有りませんので頼る他ないんですよ」
「へぇー、それはそれは、都会住みの私どもからすると少々不便に思えますね……コンビニどころかスーパーがないとなるとこの山菜などはこの山で摘んでいるんですか」
「いえ、確かに近くの野山で摘んでいるんですがこの山ではありません。この山は山菜どころか花すら生えてませんから」
弁当を作るどころか材料まで採取してるなんて、弁当屋も大変だなと思ったところでふとした疑問が浮かんだ。
「確かにこの山で山菜は見ませんでしたが、花なら見かけましたよ」
「……その様なことは…………どの辺で咲いておりましたか」
一瞬驚いた様な顔をした宮司はまた掴みどころのない笑顔になり訪ねてきた。
「確か階段を登り切った所で見つけましたね。木々の間から湧いていた岩清水の周りに青い小さな花が咲いてましたよ」
「青い小さな花……ですか……もしかすると……いやでも……」
花の特徴を告げると今度は笑顔を浮かべられないほど動揺した宮司がぶつぶつと何かを呟いていた。
「どうかしましたか」
「あぁいえ、すみません、つい考え事をしてしまいました」
宮司はゴホンと咳払いをして取り繕う様に胡散臭い笑顔に戻った。
「雨若様が見たのは、もしかしたら勿忘草かもしれませんね。私の兄が植栽好きでして、良く花を育てようとしてたのですが、この山は気候のせいかあまり植物が育たなかったのを覚えてます」
きっと兄がこっそり植えたものが咲いたんでしょうね、と言う宮司は今日一番の深い笑みだったが今日一番の作り笑いだと感じた。
もう少し詳しく話を聞こうとしたが、下屋がお茶を強請り宮司が席を外してことでタイミングを逃した。
本当に間の悪い奴だ
だがしかし、本当に聞きたい話は別にある。ここで下手に話を掘り下げてしまうと返って警戒心が強くなってしまうかもしれない。
そう考えるとナイスアシストだと言えなくも無いな、と無理やり自分を納得させた所でお茶を持ってきた宮司が帰ってきた。
俺は礼を言ってお茶を一口飲んだ所で本題の話を始めた。
「まずは今日は取材に応じていただきありがとうございます、早速いくつか質問させていただきたいのですがよろしいですか」
「ええ、構いませんよ」
「ではまず、この蕃登矛神社はどの様な神社なのでしょうか」
「……随分ざっくりとした質問でございますね」
「すみません、事前に調べようとしたのですが殆ど情報を集めることができませんでしたので」
「あぁいえ、インターネットなどに疎い私共が悪いのです、ではこの神社の説明をする前にお二人は古事記についてどの程度知っていますでしょうか」
「古事記ですか……一般常識程度ですね」
「私は全然知らないッス〜」
「そうですか……ではまず、一つひとつ説明していきましょう」
宮司は長い話をするのかお茶を一口飲み、口を湿らせた。
「日本には昔、イザナミとイザナギという神様が居ました。二柱の神様はそれぞれ男性の凹型と女性の凸型……今で言うところの男性のΩと女性のαでした」
「へぇ〜、神様にも性別があったんッスねぇ〜」
「ええ、ですから今でも神社で行う祭事を男性のΩか女性のαの巫女が行う事が多いのです」
「お前なぁ、こんなの常識だぞ……」
呆れる俺を宮司が「まぁまぁ」といって宥める。
「今の若い人は神話を知らなくてもしょうがないですよ、では『四貴神』についてご説明しますね」
「四貴神?」
「ええ、先程のイザナギとイザナミはたくさんの神様を産んでいたのですが、火の神をイザナミが産んだ時に死んでしまうんです」
宮司が言うにはその後、イザナギはあの世にいったイザナミを取り戻そうと根の国に行ったがイザナミのあまりの変わり様に引き返したのだと言う。
「そうして帰ってきたイザナギは黄泉の国の穢れを洗い落としました、この時、左目を洗うと天照大御神が生まれ、右目を洗うと月読命、鼻を洗うと須佐之男命が生まれました」
「へぇ、身体洗うだけで新しい神様が生まれちゃうんスねぇ〜……あれ、でも『四貴神』って事は後一人いるんスよね」
「そうですね、最後にイザナギはイザナミとの番の証である『番痕』を洗い、そこから蕃登矛命(ホトホコノミコト)が生まれました、この蕃登矛命を祀っているのがこの蕃登矛神社なのです」
よし、ここまで事前予想の通りだな。
しかし、ここまでだ。
祀られている神は予想できても、何を祈祷しているかが分からなかった。
もう少し深く聞いてみるか……
「宮司さん、この神社に参拝する人はその蕃登矛命に何を祈願しに来るんですか」
「……そうですね、この神社に来る人の殆どが主に縁結びを御祈願されていきますね、この神社は周辺では有名な縁結び神社ですので」
嘘は言っていない、そう直感した。
しかし、本当の事を言っていないとも感じた。
俺は核心に徐々に近づく様に質問を重ねた。
「縁結び……ですか……先ほどの話だと蕃登矛命はイザナギとイザナミの番痕を洗った事で生まれたんですよね……つまり、夫婦であるという証を洗い流して生まれたわけです、こう言っては何ですがその神に縁結びを祈願するのは少々縁起が悪いのでは無いでしょうか」
「確かに捉えようによってはその様に感じるかもしれませんが、元来縁結びと縁切りはどちらも『縁』を司るという意味では同じ物なのです、現に縁切り神社の殆どが縁結びもしています」
駄目だ。これ以上何を質問してもこの笑顔で全てを流されてしまう。
そう思ったのはまるで台詞を読む様に答える宮司に一分の隙も無かったからだ。
こうなればもう核心に触れるしか無い。
「では『バンキリ』というのもそういった縁に関わる神事なのでしょうか」
「……バンキリとは何でしょうか」
宮司は笑顔で答えた。
しかし『バンキリ』という言葉を聞いた瞬間眉毛が動き、笑顔が深まったのを俺は見逃さなかった。
……ビンゴ!
この宮司はバンキリについて知っている。
そう確信した俺は、さらに追い討ちをかける様に2枚の古い手紙をリュックの中から丁寧に取り出した。
「この手紙は戦後に徴兵された男が家族へ宛てた手紙と家族からその男への手紙です」
「……ワカ先輩なんスか〜、そんな物持ってるなんて私聞いて無いッスよ〜」
いつも飄々としている下屋には珍しく、分かりやすく不機嫌になったのが分かった。
「そうだったか、まぁこの手紙の家族へ取材に行ったのはお前が入社して間もないからだったからな、お前が知らないのも無理ないな」
俺の言葉に更に口を尖らせた下屋が訴えた。
「そういうのはちゃんと教えてほしいッス〜、私ワカ先輩の助手なんッスから、それでその手紙にはなんて書いてあるんッスか」
「私も気になります。雨若様、その手紙には何と書いてあるのでしょうか」
「はい、こちらの手紙にはある兵士の苦悩と絶望について書かれています」
「苦悩と絶望……それはどう言った内容ですか」
「この兵士は戦争中にαの上官に無理やり番にさせられたΩだったのです」
その言葉を聞いた瞬間、今まで笑顔だった宮司の目がくわっと見開いた。
「ありえません!Ωは兵士になれないはず……この手紙は出鱈目です」
「いや、全くΩの兵士が居なかったって訳でも無いッスよ〜」
憤慨する宮司を他所にいつもの様に飄々と下屋は言った。
「ええ、普通は発情期がくる未婚のΩは風紀を乱すという事で兵士になれません、しかしΩという事を隠して兵士へ志願する者は一定数居たんですよ」
実際、調べてみると記録には残っていないがこういった家族へ宛てた手紙の様な物には兵士となったΩの存在が確認できた。
「この兵士は隠していた訳では無く、従軍中に第二次性徴を迎え、βからΩへ性変してしまったんです」
そしてその結果、αの上官に無理やり番させられたという事だ。
「その様な事が……しかし、その事とこの神社にはどの様な関係があるのでしょうか」
俺はその言葉を待ってましたとばかりにもう一つの手紙を手に取った。
「それはこちらの家族から兵士に送られた手紙にあります」
俺は丁寧に手紙を宮司が読める様にテーブルの上に広げた。
すると宮司とついでに下屋も興味深そうに手紙を見た。
「この手紙にはまず兵士が生きていた事に安心したという内容が書かれています、そしてその後……」
俺は微かに震える唇を隠す為にお茶を一気に飲み干した。
「……失礼、そしてその後には帰ってくる前に蕃登矛神社へ行き『バンキリ』をしてもらえという内容が書かれています」
「…………」
「もう一度お聞きします。『バンキリ』とは一体何ですか」
すると宮司は手紙から目線を外す事なく、真剣な顔で告げた。
「……もしかしたら、この神社にあった特別な御祈祷の事かもしれません……」
「『あった』とは、一体どういう事ですか」
「はい、この蕃登矛神社は大変古くから有ると言われていまして、一説には古事記の時代から存在しているらしいのです」
宮司はようやく手紙を読み終えたのか、手紙から目線を外して困った様な顔をしながら続けた。
「しかし、そう言った歴史も今では全く分からなくなってしまいました」
「それは、何故ですか」
「先先代の時代にこの神社で大規模な火事がありまして、その時に神社の資料が保管されていた蔵も一緒に燃えてしまったのです。その為、お恥ずかしい事に古くから伝わる神事や御祈祷方法については今は失伝してしまっているのです」
「ほう……火事で失伝してしまったと……」
その失伝した中に『バンキリ』のやり方があったと……
俺は顔を伏せた。
折角ここまで来たのに……
あと少しで神秘に近づける所だったのに……
しかし、火事で失伝してしまったのなら仕方がない……
なーんてな
「火事で失伝……それは妙ですね」
あぁ!やっと届いたッ!!今日までずっと秘密にされて来た神秘に!!
「……何かおかしい所が有りましたでしょうか」
「そもそも私がこの神社を知ったのは偶然でしてね」
そう、本当に偶然だった。
あれは二年以上前、ある富豪の御曹司のスキャンダルを調べていた同僚の手伝いをしていた時だ。
その御曹司には将来、番になる事を約束された相手がいるのだが、どうやら別のαに浮気をしているという事だった。
正直言えば、最初はくだらない仕事だと思っていた。しかし、何かと借りのある同僚から頭を下げられては断れなかったので仕方なく取材をした。
その御曹司はガードが硬く、いつも数人のガードマンと執事らしき人物がついている為、結果的に直接取材を行う事が出来なかった。
俺たちが何とかして取材をしようと躍起になっていると、突然その御曹司と許嫁の婚約が発表された。
記者会見に行った同僚の話では夫婦仲は良好で、番痕もあったらしく、デマ情報を掴まされたと憤慨していた。
俺もその時は然程気にする事はなかった。
しかし数ヶ月後、その御曹司は詳しい説明も無く急に離婚を発表した。
世間では、番痕は浮気相手のもので最初から番になってなかった等、様々な憶測が飛び交った。
俺はまたも記者魂に火がついた同僚の手伝いで御曹司を取材する事となった。
ある日、相変わらずガードの硬い御曹司の張り込みをしている時、俺は見た。
御曹司の頸に番痕が無くなっていたのだ。
番相手が死んでいないのに、番痕が消える事はない。
それなのに目の前にいる人物の頸には番痕が綺麗さっぱり無くなっている。
つまり『ありえない』ことが起きていたのだ。
その時の全身が騒つく感覚を今でも覚えている。
この『ありえない』事を暴きたい
その一心で、俺はその御曹司の張り込みを続けた。
そんなある日、幸運にも執事らしき人物が忘れたバックの中から手帳を盗み見ることができた。
手帳には御曹司の予定がびっしりと書かれていたが、どれも習い事や会食などで一見すると普通の予定帳だった。
しかし、俺は見つけたのだ。
「……一体、雨若様は何を見つけたのですか」
話を聞いた宮司が恐る恐る俺を見る。
「6月の14日、印のつけられたその日の予定は『13時〜 蕃登矛神社 バンキリ』と言うものでした……変ですねぇ、先程失伝したと仰っていたのに」
宮司の顔から色が抜けていき、真っ青になっていく。
俺は更に畳み掛ける様に……
「ワカ先輩、それ本当に見たッスか?」
真相にあと少しで届くと言う時に横から突然冷や水をぶっかけられた。
「…………下屋オメェ……俺が嘘ついてるって言いてぇのか」
「嫌だなぁ〜そんな事言って無いじゃないッスか〜、でもここでさっきの手紙みたいに証拠をババーンと突きつけられたらカッコイイじゃないッスか〜……無いんスか、証拠」
「あん時はッ……あの時は写真を写してる余裕がなかったんだ、それに番痕も暫くしたら新しく出来てた……」
「えぇ〜、それじゃワカ先輩の見間違いかもしれないじゃないッスか〜」
「俺が見間違う訳ねぇだろ!!それに、『バンキリ』についてはどう説明すんだ!?手紙にも手帳にも書かれてんだぞ!?」
「う〜ん、それも本当に手帳に書かれてたんスか〜?『バンキリ』じゃなくて『バングミ』と見間違えたとか〜」
「……んな訳ねぇだろ、俺は本当に」
「見たんスよね?でもそれが本当か証明できなきゃ意味ないッスよ」
「下屋テメェ……どっちの味方だ」
「私はワカ先輩の助手ッスよ。だから助手として言わせて貰うッス、ワカ先輩の証言には根拠が無いッス、そんな状態で何言っても相手に白を切られるだけッスよ〜、つまり時間の無駄ッス」
「……ッチ」
悔しいが、下屋の言っている事は合っている。確かに、今回は奇跡的にアポが取れた為、件の御曹司がこの神社に来たという事実までは調べることができなかった。
その為、御曹司の来訪自体を否定されてはそれを覆す事は今は出来ない。
そうなってしまえば後は水掛け論だ。
クソ、クソクソクソ!!!後少し、後少しで手が届いたのに!!!
「今回は宮司さんの反応が見れただけで充分じゃ無いッスか、また出直せば良いんスよ」
下屋の言葉に俺は強く握り締めた拳をゆっくりと開いた。
「……クソ…………確かに今は情報不足だな」
俺は頭に上った血を下げる為に一度深呼吸をし、なるべく冷静な口調になる様に取り繕った。
「宮司さん、今日の所は引き上げます……また情報が集まり次第、取材させて頂きますのでその時は是非よろしくお願いします」
「ぇ、ええ、またのお越しをお待ちしております」
宮司は先程までの青い顔からいつもの胡散臭い笑顔へ戻っていた。
「ではこれで失礼させて頂きます……っとその前に、厠へ行きたいのですが……」
「あぁ、トイレならこの部屋から出て右手の突き当たりに御座います」
「有難うございます……下屋、荷物まとめとけ」
「了解ッス〜」
下屋の陽気な声を背に俺は部屋を出た。
部屋を出ると先程までの熱気を洗い流す様に清涼な風が肌を優しく撫でた。
俺はすっかり冷静になり、落ち着いた足取りで厠へと向かった。
すると、向かいから一人の若い男が歩いてきた。
その男を見た瞬間、全身になんとも形容し難い感覚に襲われた。
例えるなら断崖絶壁から王様を見下ろしている様な……
まるで、恐怖と法悦が同居している様だった。
しかし、俺はその男から目が離せなかった。
男は黒い髪に黒い瞳、整った顔立ちに右目のある泣き黒子が印象的で、肌は雪の様に白く、袴まで真っ白な装束に身を包んでいた。
更に日に当たった白い袴には同じく白い糸で縫われた大きな花の文様が所々に浮き出ており、男が特別な存在である事を如実に表している様だった。
俺が男を凝視していると、俺に気づいたのか、男はゆっくりと視線を俺に移した。
視線が交わると俺は歩く事さえ出来なくなり、あまつさえその場で傅きたくさえなった。
「こんにちは、東京の記者の方……ですよね、遠路遥々ご苦労様です」
今、目に力を入れてなければ俺は泣いていただろう。
同じ様な言葉を宮司に言われたが、全く意味が違う。
これは、『上』の者が『下』の者にかける慈愛の言葉だ。
俺は名乗る事は勿論、男の労いの言葉に感謝することさえ烏滸がましいと感じた為「はい」という相槌しか返すことができなかった。
結局、俺は男の姿が見えなくなるまで動くことが出来なかった。
しかし、何故だろうか
俺は初めて会ったあの男の声を何処かで聞いた事がある様な気がした。
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