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第3話 弟切草(3)

 「下屋、荷物まとめたか」    「あっ、ワカ先輩帰ってきた。荷物は纏めといたッスよ〜」  「よし、じゃ帰るぞ」  「……あっ!」  「どうした?んな大声出して」  「いや〜、私とした事が社務所に忘れ物しちゃったッス〜、取ってくるんでワカ先輩は先行ってて下さいッス〜」  「お前なぁ……早く取ってこい、先行って待っててやるから」  「はいッス〜」  無愛想な顔で階段を下っていくワカ先輩を私は見送っていると、後ろから足音が聞こえてきた。  「……もう行かれましたか?」  「はいッス〜、いや〜危なかったッスね〜、ワカ先輩ったら変な所で鋭いッスからヒヤヒヤしたッスよ〜」  「そうですね……ところでその喋り方はどうしたんですか」  「あぁこれッスか〜、キャラを変える一種のスイッチみたいなもんッスよ〜……まぁ今は別にやる必要も無いですね、お久しぶりです優仁さん」  私は久しぶりに会ったこの神社を纏めている保土原 優仁さんに挨拶をした。  「お久しぶりです。下屋……じゃ無いですね鳴女(なるめ)さん」  下屋と呼ばれて思わず返事しそうになってしまい自分も下屋 照姫という名前が馴染んできたなと実感した。  下屋 照姫とは偽名である。  私の本名は天原 鳴女(あまはら なるめ)、普段はこの蕃登矛神社で働いている所謂巫女である。  巫女と言っても世間一般でイメージされている巫女さんとは少し違い、どちらかと言うとメイドや家政婦の様な仕事をしている。  「優仁さんもお変わりない様で安心しました……それで『姫様』はお元気ですか?」  「えぇ、咲夜(さくや)くん……いえ姫様は元気ですよ、天彦(たかひこ)くんとも上手くやってますし」  「タカ……愚弟は姫様や優仁さんに何か迷惑かけてませんか?」  「天彦くんはとても真面目に仕事してますよ、最近では私の方が頼る事が多いですし……」  「……優仁さんは優し過ぎますよ」  そう言うと、優仁さんは少し困った様に笑いながら頭を掻いた。  「そうでしょうか」  「えぇそうですよ、もっと狡賢い人にならないと後々損しますよ!今日の事もそうです!!勝手にワカ先輩が優仁さんの事を宮司だと勘違いしてくれたから良かったですけど、宮司として人前に出るならば袴は文様の付いたものを履いてください!後、アポを取ってない私の分のお弁当が用意されているのはいくら何でも不自然です!それに……」  私が今日の反省点を次々と列挙していると、最初は目を丸くしていた優仁さんが次第にクスクスと笑い始めた。  「優仁さん!ちゃんと聞いてますか!?」  「あぁ、はい、きちんと聞いてますよ、ただ久しぶりに鳴女さんのお小言を聞いたので懐かしくなってしまいつい笑ってしまいました」  すみませんと謝る優仁さんの姿に私も何だか懐かしくなってしまいクスクスと笑った。  それと同時に、急に寂寥感に襲われた。  澄んだ山の空気、静謐な境内、優仁さんとのやり取り……何もかもが懐しい。  東京に行ってから一年と少し、目眩く変わる日常にホームシックになる事すら忘れてしまっていた。  今すぐこの場所に帰りたい。  私はこの神社が……この場所が好きだ。  しかし、だからこそ帰ることができない。  この場所が好きだからこそ、私はこの場所を、そして姫様を守らなければならないから  このままじゃ本当にここから動けなくなると感じた私は軽く深呼吸をして、天原 鳴女から下屋 照姫へと変わった。  「……じゃ、もう行くッス、これ以上遅くなるとワカ先輩に怪しまれるッスから」  「鳴女さん……すみません、私の不手際のせいでこんな大変な事を押し付けてしまって……」  「いやいや〜、優仁さんのせいじゃ無いッスよ〜、誰のせいでもないッス」  「でもっ!」  「本当に誰のせいでも無いッスよ〜、タイミングが悪かっただけッス、たまたま皆んながいない時に、たまたまワカ先輩から取材依頼が来て、たまたまそばに居た姫様が電話をとってしまった、それだけッスよ」  それに……  「それに、私……ワカ先輩と一緒に色んなところを取材するの嫌いじゃ無いッスから!!」  下では先に降りたワカ先輩がきっと私を待ってくれている。  そして神社の皆んなも私の帰りを待ってくれている。  背後にも、前にも待ってくれている人がいる。  私はなんて幸せな女なのだろう。  そうして階段へと踏み出した一歩はいつもよりも軽い気がした。

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