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第11話 死人花(8)
〈寒菊視点〉
物凄かった。
凄いとしか言えなかった。
神主さんがお祈りをするとさっきまで心を支配していた罪悪感や不安といった感情が一気に吹き飛んだ。
心にはただ、畏れと敬いがあり、目の前の人物に頭を垂れる事しか出来なかった。
正に神話の様な体験が暫く続くと、急にドサッと何が倒れる音がした。
驚いて顔をあげると、先程まで祝詞を読んでいた神主さんが倒れていた。
「神主さんっ!?どうされたんですか!?」
神主さんの方に慌てて駆け寄ろうとすると、入口の方で待機していた青年が「大丈夫です」といって神主さんを優しく起こす
暫くすると神主さんが目を覚ました。
目を覚ますと青年はゆっくりと離れ、また入り口の方へ帰っていった。
「……………」
目を覚ました神主さんは焦点の合わない目をしながらぼーっとしていた。
急に変わった神主さんの様子に戸惑いながらも私は黙って待っていた。
「……………ぇ………ぁ………あれ………?ん?なんだこれ……?」
ようやく目の焦点のあってきた神主さんは、ものすごく戸惑っているように見えた。
それどころか先程まで祝詞を唱えていた時のような雰囲気とは別人の様になっていた。
「あの……神主さん大丈夫ですか?」
私が声をかけると神主さんはガバっと勢い良く顔を上げると信じられないものを見たような顔をし、私に駆け寄ってきた。
「忍?………忍だよな!?どうしたんだその髪!?今朝はもっと短かっただろ!?それにここは何処だ?道場?何でこんなところにいるんだ!?」
「ちょ………ちょっと神主さんっ…………どうしたんですか!?いきなり」
「神主?何言ってるんだ!?いい加減ふざけるのはやめろ!!今朝のことなら………何だこれ……」
少し目線を下げた神主さんは直ぐに目を見開いた。
「何なんだよ!?この服は?それに……この………」
神主さんは自分の手や顔をペタペタと触り目を見開いていた。
何が起きているんだ?
色々なことが起こりすぎてパニックになる寸前に先程の青年がゆっくりと近づいてきた。
「それではこれより『伴切』を始めさせて頂きます」
彼の発する低く澄み渡る声に、私も、慌てふためていた神主さんも押し黙った。
「伴切とは、姫巫女様の御身体に死者の魂を憑依させたうえ、縁を切り、番を解消させる儀式のことです」
そうスラスラと説明する青年の言葉が、しかし私にはすんなりとは入ってこなかった。
死者の魂を憑依?縁を切る?
そのような疑問を浮かべていると、急に神主さんが立ち上がって怒鳴った。
「さっきから何いってんだよ!!意味分かんねぇよ!!」
いきなり怒鳴った神主さんの方を見て、青年は怒りと怒気を孕んだ冷たく低い声で制した。
「……あまり大きな声を出さないでください。今の貴方の身体は姫巫女様のものです……『高野様』」
「高野?高野って……恭?」
「あぁそうだよ……そんなことよりもこの状況を早く説明しろ!」
そう睨みつける視線は、正しく亡くなった恭そのものだった。
答えに言い淀み、助けを求めるように青年を見たが、青年はそんな私を無視するように、部屋の隅に置かれていた2つのツボの内片方に水を注ぎ入れた。
「今より、この瓶に水が満ちるまで、故高野恭様の魂を黄泉の国より現し世に呼び戻されております」
「魂?黄泉の国?何わけわかんねぇこと……」
「貴方は既に亡くなっております」
声を荒らげた神主さんに、青年は冷たく言い放った。
「そ……んな馬鹿なはなし……」
「事実でございます。貴方は3年前に交通事故で亡くなっております、今は魂のみ姫巫女様の身体に憑依しているのです」
そう言って、青年は懐から丸い鏡を取り出して神主さんに見せた。
鏡をみた神主さんは目を見開き、両手で顔を覆いながら叫んだ。
「うそだ……嘘だ!嘘だ!!嘘だ!!!嘘に決まってる!!これはなにかの夢だ!!」
神主さんは顔をバッと上げ私に迫ってきた。
「おい!忍!!嘘だよな!?なにかの間違いだよな!?夢だよな!?」
「………ッ」
神主さんの細くて小さな手が、恭の様に私の胸ぐらを掴んでくる。
「おい!忍!!なんとか言えよ!!」
「ッ……嘘じゃ……ないよ……、夢でもない……恭は……3年前に死んだ……もし、貴方が私の知ってる高野恭なら、貴方は……死者だ」
「そんな……わけ……」
「事実なんだよ!!あの日、私と喧嘩して家を出ていった日に!!お前は……トラックとぶつかって……」
私が事実を言うと、神主さん……いや、恭は再び目を見開いたあとに顔を歪ませ、涙を流した。
もうどうにもならない事実が恭の背中にのしかかっている。
私の背中にも同じ物が乗っている。だからこそ、恭になって言えばいいかわからない。
でも、もう降ろさなきゃ。お互い。
「恭……お前と番になって辛いこともあったけど、良いことも沢山あったよ……」
恭は、少しだけ顔を上げて黙って聞いていた。
「でも、もうお前はいない……居なくなってしまった……それはとても悲しいことだけど、でも私も前に進むためにお前との番を解消しようと思う」
「……めだ」
「ん?」
「駄目だ、そんなのは認められない」
「ッ……どうしてお前はいつも……!」
「認めるわけにはいかねぇんだよ!!」
ドンと床に拳を叩きつける音が響いた。
「……おい、ケータイを貸せ」
「え?……なんで……」
「会社に電話する」
「だからなんで……」
「いいから貸してくれ!」
「無理だよ……ケータイは今持ってない……それにお前の会社はもう……」
「ならアンタでいい、電話を貸してくれ!」
恭は部屋の隅にいる青年に声をかけた。青年は少し不機嫌そうに顔をしかませた。
「儀式の途中でこの部屋から出ることも外と連絡を取ることもできません」
「どうしてだ!!」
「そのような決まりですので」
青年のとりつく島もない言い方に恭は怒ったように立ち上がった。
「いいから言うことを聞け!さもないと舌を噛み切るぞ!!」
「恭!!何言って……」
「…………ッチ」
先程までは少し苛ついていただけだった青年は明確な敵意を恭に向けていた。そんな敵意を感じた恭は逆に嬉しそうにうっすら笑った。
「早くしろよ、いいのか?こいつの身体が傷付いても」
そう言って、恭が自分の身体に爪をたてる姿を見て、遂に感情が爆発した。
「いい加減にしろよ!!」
普段大声を出さない私の声に、恭は驚いて目を剥いた。
「もう……止めてくれ……恭……、お前は死んだんだ……あの日、私と喧嘩した日に……私を………私をおいて逝ってしまったんだ……」
「……嘘だ」
「嘘じゃない……嘘じゃないんだよ、恭。お前が死んで3年間、ずっと辛かった……お前に付けられたこの番痕が疼く度にお前のことを思い出してしまう……楽しかったこと、辛かったこと、お前と過ごした全ての日々をおもいだしてしまうんだ」
「……嫌だ」
「だから頼む……私との番を解消してくれ……」
「……ダメだ」
「恭……」
「そんなのは駄目だ!!」
顔を歪めた恭の目から涙が溢れる。
「後少し……後少しなんだ……会社も軌道に乗ってきて、金だってそれなりに稼げるようになった……会社をもっと大きくして、沢山人を雇って、そしたら……」
私は恭の口から出る夢物語に思わず目を伏せた。やっぱり会社の事ばかりだ。私のことなんて微塵も……
「そしたら自由な時間を作って忍と世界一周の旅に……」
「……え?」
恭の口から私の名前が出たことに驚いた。
「何だよ、驚くことないだろ……約束したじゃねぇかよ……」
「約束?」
「あぁそうだよ、高校生の時言ってただろ?忘れたのかよ」
高校の時?約束?
「ごめん、ごめんなさい……」
「……まぁそんなことだろうと思ってたけどよ」
「……因みにどんな約束?」
そう私が尋ねると、恭は少し拗ねたように顔をそらしながら教えてくれた。
「……高校生の時、将来の夢を聞いたらお前旅に出たいって……ここじゃない何処かへ行きたいって……だから『じゃ俺が世界一周の旅に連れてってやる』って約束したんだ」
「え?それだけ?」
「それだけって、お前の夢なんだろ?」
「……ふふっ……あはははは」
「な、なんだよ!なんか俺おかしいこと言ったか?」
「ごめんごめん、ふふ、なんか、ふふふ」
「わ、笑うことねぇだろーよぉ……」
そういうと恭は、顔を伏せて耳を触った。恥ずかしがると出る恭の癖だ。
そういえば高校生の時は良くその癖やってたっけ。あの頃はお互いウブだったし、初めての恋人で浮かれてたから、よくキスはしたけど、した後は決まって耳を触ってたな。
私がΩだからってからかってきた相手と喧嘩したこともあったっけ
そういえば帰り道も反対側なのに毎日家まで送ってくれたな
恭が後輩から告白された事に嫉妬して、喧嘩もしたっけ
どんどんと恭との思い出が溢れてくる。
修学旅行の夜、二人でこっそりホテルから抜け出した時
私の就職先が決まった時
恭の受験が成功した時
二人で部屋探しした時
記念日にお互いにサプライズを用意してた時
朝起きて、コーヒーを入れてくれた時
……あの時は本当に、人生で一番幸せだったな。
あぁ、そうか幸せな時、いつも恭と一緒だったんだ。
「……久しぶりに見たな、忍の笑顔」
「え?」
「俺、お前を楽にさせてやりたかった、幸せにしてやりたかった、お前の不幸に慣れきった顔を沢山笑顔にしてやりたかった……でももう出来ないんだな」
「恭……」
「ごめん、ごめんな忍、俺自分の事ばっかでお前のこと傷つけて……次はこんな駄目なαに捕まるんじゃねぇぞ」
そう笑いながら恭は立ち上がる。そしてまるで旅に出るかのように青年の元へと歩いた。
「……っ恭!」
背を向ける恭の手を思わず握ろうとして止めた。
ここで引き止めては駄目だ。やっと恭が旅立つ事ができるのに……
涙で視界が歪む。
あんなに楽しかったのに……あんなに嬉しかったのに……あんなに幸せだったのに……
彼が行ってしまう
私を置いて、もう一度、行ってしまう……
「恭!!」
恭は振り返らず顔を少し上げた。
「お前との生活!すっごく辛かった!全然帰ってこないし、仕事もさせてもらえなかったし、何より……お前を支えてやれない自分が嫌だった!!でもね!お前と出会えて、お前と共に歩んで来れて!!とっても幸せだった!!!だから最後に!!!最後に……」
震える声を必死で抑える。
「あの日、あの朝はごめん!!!私でも忘れてた夢を覚えていてくれてありがとう!!私を選んでくれてありがとう!!私を……わたしを幸せにしてくれてありがとう!!!」
ゆっくりと恭が振り向く
全てをさらけ出し、無防備な私に、彼は何も言わず微笑んだ。
そうして、恭は光の中へと旅立っていった。
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