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1章 うわさ
人生で最悪の朝を迎えたと思う。
よく眠れなかった。
もう死んだ方がいいだろうかと思った。
それでも、頭の中で自分を叱って、無理やり体を引きずって電車に乗った。
高校までは2駅。
近くて良い学校に入れた……と満足していたけど、まさか、通学時間の短さを呪う日がくるなんて。
何の心の準備もつかないまま、最寄り駅に到着。
どばっと人波に押し出された、と思った……その時。
「うわっ」
右頬に堅いものがクリーンヒット。
よろけた視界の端に見えたのは、頭の上の高さまである黒い鞄だった。
「すいません! 大丈夫ですか!?」
呼びかけられて我に返り、見上げる。
鞄……ではなく、ギターのケースを背負った高校生が、慌てて俺の顔を覗き込んだ。
「ごめん、当たっちゃったよね? 怪我ない?」
「……あ、平気です」
よく見れば、隣のクラスの人だ。
軽音部に所属している、目立つタイプ。
しかし、陽キャにありがちなウェイウェイした感じはなく、成績優秀、礼儀正しく、さわやか。優等生。
要するに、一生関わることはないであろう人。
「どこ当たった?」
「頬ですけど、ほんと平気なんで」
彼は、俺の頬をじっと見た。
「見た目には赤くはなってないけど……ほんとごめんね。えっと、2-3の小宮 達紀 って言います。なんかあったら言いに来て?」
「あ、はい。えと……2-4の藤下 碧 です」
早口に言って、頭を下げた。
小宮くんは申し訳なさそうに眉をハの字にしながら、両手をパンッと合わせた。
「ほんとごめんね。それじゃあ」
王子さまみたいなさらさらの黒髪ボブを散らしながら、ダッシュで階段を駆け上がる。
走り去るギターケースをぼーっと眺めながら、ため息をついた。
現実に引き戻された。
学校、行かなきゃだ。
再び気が重くなりつつ歩き出す。
頬を1発ガツンとやられておいてちょうど良かったのかも知れない、なんて思うくらいには、足取りが重い。
教室に入ると、やはりすぐに噂が回っていたのか、クラスメイトの俺を見る目が白かった。
後ろの席、昨日まで大親友だった祐司 の机は、ギリギリまで離されている。
鞄があるから、登校はしてきているんだろうけど……。
惨めに思いながら座ると、ほどなくして祐司がクラスに入ってきた。
努めて普通に。
「おはよう」
しかし祐司は、チラリともこちらを見ず席に座った。
泣きそうになりながら、俺も顔を背ける。
ややあって、周りからヒソヒソ声が聞こえてきた。
「何あれ、陰キャの仲間割れ?」
「いや。藤下が前田 に告ってたらしいよ」
「え!? ホモ!? どこ情報!?」
「リョウが見たって。昨日の放課後」
……死にたい。
告白なんて、しようと思ってしたわけじゃない。
するつもりはなかった。
一生胸にしまって生きていくつもりだった。
事故だ。
机に突っ伏すと、ひと晩中ぐるぐると頭の中をかけめぐっていた記憶が、再びよみがえる。
発端は、昨日の放課後。
いつも一緒の4人で帰るつもりで、他のふたりが準備を終えるまで、祐司としゃべっていた。
祐司とは、中学から一緒。
めちゃくちゃ仲が良くて、同じ高校に行こうと言って一緒に勉強して――ずっとずっと、片思いをしていた。
でもそんなことを言うつもりは毛頭ないから、良い友達として大人になってもいられたらいいなと、本気で思っていた。
しかし、俺はうかつにも、スマホの写真フォルダを見られてしまったのだ。
『なにこれ……』と言った、祐司の引きつった顔は、2度と忘れられないと思う。
祐司の写真を集めたフォルダ。
ふざけて撮ったやつ、思い出に撮ったやつ、それに、黙って撮った寝顔。
300枚以上あるそれを見て、祐司は『何だよこれ!』と大声を上げた。
そして俺は、まだ人が残る教室の真ん中で、好きだったと告白する羽目になった。
クソミソに暴言を吐かれ、周りからは、うわっという奇異の目を向けられ、そして3人は俺を置いて帰ってしまった。
そこからどうやって帰ったかは、よく覚えていない。
とにかく、色々終わった。
「ねーねー、前田ぁ」
調子乗りっぽい男子が、祐司を呼んでいる。
祐司は心底嫌そうな表情を浮かべながら、その男子に近づいた。
「藤下に告られたってホント?」
「……それは本当だけど、付き合ってないよ。むしろキモいんで、もう関わらない」
「ああ、そうなんだー。ごめんな、変なこと聞いて」
「いや、別に。平気」
声はうなるように低く、怒り心頭という感じだった。
恨まれるのは仕方ない。
祐司は何も悪くないのに、俺のせいで要らぬ憶測を呼びまくって、変な噂を立てられそうになっているんだから。
祐司の名誉のためにも、死んだ方が良いかな――そんなことを考えているうちに、担任が入ってきて、ホームルームが始まった。
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