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第二章 第3話

 その時、医局に電話が入った。たまたま木村先生が取ったが、名前を聞くなり、直立不動で応答をし始めるので、皆の視線が集中する。 「はい、承知致しました。明日の朝一番でこちらにお見えになるのですね。分かりました。医局全員と医局のナースをカンファレンスルームに7時に集めます」  電話は当たり前のことだが、相手がどんな動作をしているか分からない。それなのに、木村先生は頭を下げながら話している。相手はかなり目上の相手だ。齋藤医学部長か香川先生か・・・。 ――医局全員を呼ぶというからには、香川先生だろう。すると教授の辞令は下りたに違いない――  案の定、田中先生が言った。 「香川先生からの電話だ。明日、全員に挨拶するから、どうしても手が空いていない者以外は7時にカンファレンスルームに集合だそうだ」  皆の雰囲気が「いよいよか・・・」というオーラを発している感じだった。喜んでいる者、悲しんでいる者の差は有ったが。  帰り際に職員用の通用口を通ると、医局は違うが外科の師長が疲れた感じで私服で煙草をふかしていた。看護師は医師以上に人手不足だ。ストレスも溜まるだろう。しかも看護師長なら尚更だ。キャリアが長いので祐樹よりは20歳程年上だろう。女性に年を聞くほど無神経ではないので正確に確かめたわけではないが。それに、性格も男っぽいので祐樹に取っては話しやすい相手だった。  これが妙齢の看護士だと迫られる恐れがある。落ちるつもりは全くなかったが、相手の意味深な視線を感じただけでうんざりしてしまう。 「田中先生は上がりですか」  元気のない声だった。気になって話しかけた。 「上がりです。森師長も上がりですか?」  私服なので見当をつけて聞いてみる。 「そう、三日振りにマンションに帰れる。ずっと仮眠室泊まりだったから。しかも明日はオフなの。良かったら愚痴聞いて貰えない?」  祐樹は噂話が好きではないので、愚痴を聞かされることが多かった。祐樹に話しても漏れる心配がないと分かっているのだろう。 「いいですよ」  そう言って、行きつけの洋風居酒屋に行った。 「今日も、中堅の看護士が人工呼吸器の電源を間違って抜いてね。私が気付かなかったらその患者さん死んでいたわ」 「『ヒヤリ・ハット』事件ですね。でも森婦長が気付かれて何よりでした。八割の看護士や医師が『ひやり!ハッと』してますから・・・。人手不足ですよね。やはり複数のチェック体制が必要ですね。医師も積極的に監督すべきだ。それでも医療従事者が足りないのが現状ですからね」 「そうなの・・・でも、そっちの香川先生目当てに患者が急増してまって・・・今は差額ベッドの高い部屋から埋まっていく。しかも世界中から集まって来ているので会話一つでも大変よ。語学の出来るナースはほとんど居ないし、教授秘書で語学が出来る人間も駆り出されて本来の業務が出来ないって文句言っている。ああ、齋藤医学部長のお嬢様、K女学院大学の英文科だからバイトに来てるわよ。」 ――そういえば齋藤医学部長は香川先生と娘を結婚させたいと漏らしていたとか。その一環なのだろうか――  手ごろな価格のシュバルツ・カッツをフルボトルで注文していたのだが、婦長のピッチが早いので二本目を注文する。 「外国人では健康保険は適用されませんね」 「そう、だからここだけの話、保険の点数以上の請求書を作れと事務室に齋藤先生直々の命令があったとか」  齋藤医学部長の商魂のたくましさを感じた。  後は同僚の噂話などに興じて、程好いところでお開きにした。勘定は祐樹が持つ積りだったが、割り勘にしては多めの紙幣を無理やり受け取らされ、彼女は「聞いてもらえて嬉しかったわ」と言いつつタクシーに乗りこんだ。  翌朝7時15分前にカンファレンスルームに行った。医局の朝は早い。それでこのような時間に集合することになったのだろう。普通の教授なら、着任の挨拶は殊更せず――というのも大学は年功序列がまだまだ残っている。教授が退官すると准教授がそのまま教授に昇格することの方が多い。なので、気心の知れた者同士、形式だけの挨拶をして、歓迎会のクラブなどでお祝いを兼ねた顔見世をすることが多いからだ――そのまま診療に入ることも多い。  今回は香川先生だからこその異例の早朝ミーティングとなったわけだ。大学病院に勤務していると、シフトの関係で朝も夜も感覚がなくなる。その代わり、ベッドに1人寂しく入った時は昼夜を問わず、ほとんど一分で眠れるようになっていた。早朝のミーティングもどんなことを言い出すのか興味は有った。その上あの顔とスタイルを朝一番で見られるのはなかなか楽しそうだった。話を熱心に聞いていると見せかけて、じっくり鑑賞しよう。  既に殆どの医局員が揃い、看護師も緊張した表情で後ろに控えている。  5分前、香川先生が白衣姿で入って来た。後ろに黒木准教授と例の美人内科医が従っていた。

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