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第七章 第14話

 喫茶店で出してくれるモーニングセットを思い出しながら、昨日恐るべき女性たちに囲まれて買ったパンとコーヒー――と言ってもインスタントしかないが――と卵料理にしようと思った。  卵は完全栄養食品なので、滋養には良いハズだ。  今朝の彼の唇の感触を思い出し思わず微笑がこぼれてしまう。何となく鼻歌まで歌いたい気分だったが、教授は大分良くなったとはいえ病人に違いない。そういう人の前でそこまで陽気なことは出来ないし、万が一何故そんなに上機嫌なのか…を聞かれると答えに窮する。  祐樹の頭には卵料理として第一に候補に上がったのはオムレツだったが、そんなものをどうやって作れば良いのか分からない。仕方なく目玉焼きにしようかと思う。確か中学だったか高校だったかの調理実習で作った覚えがある。手順を思い出して実際にやってみる。  キッチンスペースに教授がワイシャツとネクタイ姿の通勤用の服を着て現れた。が、髪はまだ整えていないので、ひどく新鮮な感じだった。 「手伝おうか?」 「そんな…病人に手伝いなどとんでもないです。昨日の後片付けもして下さいましたし。座っていて下さい」 「祐樹がそう言うなら…」  椅子に腰を下ろした彼の視線を背中で感じながら料理をする。昨日は祐樹の知らない料理だったので悲惨なシロモノに成り下がってしまったが、一回作った料理なら何とか再現は出来そうだ。もともと記憶力には自信は有る。教授ほどではないだろうが…。  目玉焼き三個を焼き上げ――これは自分でも驚くほど上手く出来た――コンビニで貰って来たパンの景品の白い皿に移す。ちなみに景品と言っても本当ならばそのメーカーのパンを買ってシールを台紙に貼りその台紙が一杯になったら貰えるというシステムのようだった。モチロン、ろくに家にも帰れない身の上ではそんなにも溜まるはずがない。たまたま早朝立ち寄ったコンビニで入手出来た皿だった。店で顔見知りになった、どこぞの主婦がパートで働いているという風情の女性がこっそりと皿を呉れたのだったが。しかも4枚も…。  きっと皿が余っていたのだろうな…と思う。それとも祐樹の人並み以上だと自負しているルックスのせいかもだが。 「上手いじゃないか…びっくりした」  目玉焼きを見た教授が感心したように言う。「感心」ということは、昨日の料理はイマイチだったのだな…と、諦めの境地で自嘲する。絶対本を買おう!と何度目か分からない決意をした。 「有り難うございます。味もそんなに悪いとは思えないので全部食べて下さいね」  にっこりと笑ったが、声は強制の響きを滲ませた。貧血なら出来るだけ食べさせるほうが良い。 「コーヒーはインスタントしかないですが、飲めますか?」 「もちろん飲める。そんなに味にうるさい方ではないのは祐樹だって知っているハズだ」  少し不本意そうな返事が返ってきた。 「パンは、トースターがないので…温めることが出来ないのですが」  言いながら自分の分も教授と同じく卵三つ分の目玉焼きを作った。同じ分量なら、多すぎるなどのクレーム(?)は出ないだろうと踏んだからだ。昨日の食事で彼は祐樹と同じくらい食べていた。同じだと文句を言えないらしい。  出来上がった目玉焼きを皿に盛ってテーブルの上に置いた。 「別に冷たくても気にしない」  その返事を聞いて、昨日買ってきたパンも皿に入れて出した。  野菜が欠けている食卓だったが昨日買ってきた野菜は綺麗に食べつくしたので仕方ない。  昼食を買いに出た時にでもコンビニのサラダか何かで補給させようと思った。  コーヒーを入れて椅子に座ると、彼は先に食べることなく待っていることに気付く。  さり気無く自分の焼きたての目玉焼きと彼のを取り替えた。 「そんなの悪い・・・」 「いえ、病人優先です」  そう言い切ると、彼は少し切なそうに目を細めた。 「二日もぐっすりとしかも長時間寝た。体調は悪くない」  確かに彼の白皙の顔は少し血色が良くなっているような気がする。目の下のクマも取れたようだった。 「それは何よりです。しかし、エビデンス(根拠)に欠けますから早めに食べて採血して検査しましょうね」  多分、祐樹が食べ始めるまで召し上がらないだろうと思って、食べ始める。  目玉焼きにいつもしているように醤油を垂らしていると、一瞬躊躇ったような気配が有った。 「私は塩と胡椒で食べて居るのだが……」  小さい声で呟く。そういえば目玉焼きに何を掛けるかは人によっても違うと聞いている。 「あ、塩はあるのですが、胡椒は買ってないです。すみません」  1人暮らし、しかも病院に泊まることの多い職業とあって、調味料もそんなに揃えていない。 「謝って欲しいわけではなく…祐樹のように醤油で食べるのも美味しそうだ」  そう言って醤油を掛けている。 「頂きます」  箸を持って神妙に頭を下げる教授の表情はとても綺麗だった。 「どうぞ」  同じように頭を下げるとその動作がおかしかったのかクスリと笑う。  鍋を食べた時――内容は別にして――から彼の笑いがどことなく変化したような気がした。もちろん、良いほうにだ。 「杉田弁護士はバイ・セクシャルだったのだな…」  独り言のようにポツリと言った。 「そのようですね。ただ、いかにも女性らしい人は苦手らしいですが…」 「祐樹はどうなんだ?」 「私は女性とも付き合ったことは有りますが、男性の方に断然惹かれます。教授は?」 「私は女性と本当の意味で付き合ったことはない。男性だけに惹かれると…」  今まで何人と付き合って来たのですか?と聞きたい欲求に駆られたが、朝っぱらからする話でもないと思い返す。  今度、ベッドの上ででも聞いてみようと思った。 「ご馳走様。美味しかった。出勤のために髪を上げたいのだが…ムースか何か貸してくれるか?」 「お安い御用です。歯ブラシは買ってきてあるので新しいのを使って下さい。教授がバスルームで準備なさっている間にテーブルの後片付けしてから着替えておきます」 「済まない…な。手伝おうかと言っても無駄なんだろう?」 「もちろんです。早くバスルームに行って下さい」  目玉焼きの皿は何も残ってなかった。自分の思いつきにニンマリする。  彼の気配がバスルーム兼洗面所に消えると、大急ぎで皿を洗い、出勤用のスーツに着替えた。  教授の血液検査が昨日よりは良い数値が出て欲しいと思う。  彼に朝用の注射をしてから出勤しよう。
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