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第1話プロローグ(一十木洋平)

 「本日は暑い中、弊社の説明会にご参加いただきありがとうございます」テンプレートで社交辞令を口先から溢す、某ITベンチャー企業の社長、一十木洋平。  社長自ら説明会に始まる就活イベントに顔を出して、就活生の傾向と企業のイメージアップに努める。  今回は、新進気鋭のベンチャー企業と謳われていても、就活生全体の表情がなぜか強張っている。これでは、採用人数を下回る希望者になってしまう。  一十木はテンプレートな文章を脳内から読み、その間に、俯瞰的に会場を見渡した。  ああ、と腑に落ちる。  真っ赤な髪色をした存在感抜群の就活生が、真前にどっしりと腰を下ろしているのだ。  たしかに、募集要項には服装は自由で、「遊びに行くついででも構わない」と謳い文句をつけていた。しかし、「こういう場合」はよそ行きの格好くらいが妥当であり、ましてや、目の前に座る赤髪のように、寝巻き同然の白Tシャツにグレーのスウェットは履いてこないだろう。だが、社会人前である彼らの前で注意することは憚れる。    早々に一十木の教鞭を切り上げて、各自職業ブースにて面談・相談を開始する。  もちろん、社長の役目は此処で終わってもいいが、一十木は赤髪の小さい男を就活生を縫いながら、探した。  営業課ブースに彼は座っていた。何やら一生懸命に社員に伝えているのが遠目でもわかる。身振り手振りでわちゃわちゃしているのが、なんだか愛おしく感じた。  より彼を身近で見たくて、進める歩みを止めずに、彼の隣まで接近した。社員は、少しばかり顔の表情が硬くなっているが、何分、彼が気づかない。  「ですから! 俺がもしそちらに入社したとして、営業課ではどのような教育をしてくれるのかと聞いてるんです! 将来上司となる方とお話させてください。でないと、決めるに決められないでしょう」熱弁する彼の赤髪はふよふよと 泳いでいる。 (さては、寝巻きの上に寝起きのままで此処に来たな)  一十木は、彼の熱弁を社員に代わり、「君のいうことはもっともだったね」と答える。  肩に手を置いて、回答主を知らせる。 「あ、えっと……一十木社長!!」 「よく名前を覚えていましたね」 「目の前で聞いていました!!」 「それは私も気づいていましたよ。——それで、上司となる人と先に会いたいと思う理由について、聞いてみたいんだけど」 「俺はどこの会社に就こうが、結局は人と仕事をしていくので、身近な存在にも注視すべきだと思うんです。上司と合わずに辞めてしまうなんていう事例が山ほどある中で、俺はそれを未然に防ぎたい」  熱量のこもった眼である。ハツラツとしていて、むしろそれだけが取り柄のような——いささか、扱いやすい人間だ。  しかしながら、彼のいうこともまた、一理あるし、一十木の会社がこれから大きくなっていけば必ず直面する問題でもある。  暫時の沈黙を作り、一十木はいう。「上司と対面し、合わないと思えばその会社への就活をやめる。それはとても単純明快で、合理的ですね。で、合わなかったとして、そこで何を思います?」。  一十木自身、就職面接でもないのに圧迫面接をしているようで、申し訳ない気持ちが芽生える。  赤髪のパジャマ姿の彼は、一瞬肩を揺らすも、凛とした眼差しをしたまま答えた。 「そうですね。俺なら、合わなかった原因を探しますね。でも、どう考えても俺の価値観の方が世間的モラル的に正しければ、そこの会社にいるメリットは給料だけになるような気がします。俺は、そこの会社で自分にしかできないやりがいを感じながら働きたいんです」 「……なるほど、しっかり自分を持ってらっしゃるのですね。ですが、公衆の面前では服装にも少し気を遣ってくださいね。外国の方では、コンビニに行くにもパジャマで出かけることはしないですからね。私はその感覚にとても賛成しています」 「え——っあ!!」  言われて視線を下にやる彼は、驚嘆を漏らした。「スウェットのままだ……だから、受付けの時から変な目で見られてたんだ」。  皆と同じように真剣に人生と向き合う最中、彼のような抜け感は一十木の心をくすぐった。  一笑いして一十木はいった。「後日にも似たようなイベントを行いますので、その際にも是非ご参加ください。その時に、各課の上司を連れて参りますので。ちょっと間は空きますし、その頃には就職活動が本格化するでしょうから、服装のおっちょこちょいは気をつけて下さいね」。 「っ、はい! 是非!!」  彼の元気な声を聞いて、次回のイベントの参加も確実と読んだ。彼の順番が終わり、帰宅していく背中を見ながら、それを担当していた社員に耳打ちをする。 「さっきの彼の名前は」 「——一ノ瀬音也です」 「一ノ瀬君——彼のアカウントに選考直結するイベントの案内を送っといて下さい。当日は私も参加します」  きっと彼は来る。あのやる気に満ち足りたカオなら。  しかし、イベントの少し前に社員から知らされた情報に、「一ノ瀬音也は来年就活生みたいなので、今回のイベントには非対象でした」という文言のメッセージがスマホに届く。    「では、来年の就活イベントには全て、招待してください。決して忘れないように」と返信を打って唇を噛む。  これだけしか彼とのきっかけがないことの焦燥感をスマホの連絡から感じさせられた。  祈ることしか叶わない状況など、起業してからあっただろうか。いや、ない。  舌打ちをして、狭い社長室を響かせた。  だが、祈り虚しく、赤髪の男はその後も全てのイベントに参加することなく、企業説明会が終わっているであろう年末まで来た。  初日の圧迫面接のような詰め方が萎縮させたのだろうか、それとも人前での服装の指摘で怒り心頭だったのか。彼の思うところは分からず仕舞い——「にさせませんよ。一ノ瀬音也君」一十木はニヒルに笑う。

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