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第2話
右京の言葉に、春太は瞠目した。
「それは、ないよ……。絶対にありえないよ」
「……はあ。やはりそうです? 一緒に住む貴方が言うならそうなんですかね」
「うん。絶対ないない。……ていうか、ルークって今より酷かったの?」
右京は過去を思い返したのか、うんざりしたように髪を撫ぜた。
「それはもう。……調教するのに互いに手が出るのは日常茶飯事でしたよ。そのたびに虎牙が止めに入るので、あいつもうんざりしてましたね」
皆してどこかしら怪我をしていたと、右京は懐かしげに笑った。
彼らの関係はもっと他人行儀なものと思っていた。だが、そんな三人の関係が前よりも明確に見えてくる。
彼らは春太が思うよりも、互いになくてはならない存在なのだ。
「右京さんはいつからルークの秘書してるの?」
「10年ほど前ですかね。従者として傍にいたのは、私が高校を卒業したときです」
約15年。右京はルークと一緒に居るのだと知って驚いた。さぞかし苦労したであろうことは、想像しなくとも理解できる。
むしろ今よりもうんと大変だったのだろう。でも、なぜ右京はルークと居ることを選んだのだろうか。
右京のことだから早々に愛想をつかせて、ルークを捨ててもおかしくない。
そんな考えが顔に出ていたのか、右京は苦笑まじりに言った。
「……私はあいつを獣にしたくなかったんですよね。吸血鬼と人間は相容れない存在です。互いの生きる世界が違います。それは存在するルールが違うということです」
「はあ」
「分かりにくかったですかね? 吸血鬼にとって、私たちをどう扱おうが罪にはならないということですよ」
なるほど、と思う。
初めてルークと出会ったときの冷たい瞳を思い出した。たしかに春太のことなんかどうでもいいと、冷々とした瞳だった。
「人間のルールを吸血鬼に押し付けるのは間違ったことなんでしょう。……ですが、私はルークに心を持って欲しかった」
喜び、悲しみ、怒り、楽しみを知って、感情がないといわれる吸血鬼にも、心があることに気づいて欲しかった。
そう話す右京の声音は、まるで自分の弟を語るように優しい。
「初めてルークと出会ったとき、あいつは真っ白な小さな部屋で一人きりだったんです」
瞠目する。春太の頭に、テディに似た幼い顔立ちのルークが、白い世界で孤独に佇む姿が描かれる。
「詳しくは説明できませんが、純血の吸血鬼には、一定期間の隔離が必要らしいのです。ですがどうにも、初めて見た頃の人形のようなルークを思い出すと私は弱くて」
ルークは周りに興味が無いかもしれない。でも、そんなルークを思ってくれる人が居る。羨ましくて、ちょっとばかし妬ましい。
お互いに口を閉ざし、どこか物寂しい静寂が訪れた。
だが、右京が皮肉に笑い静寂を破る。
「歳を重ねるものではないですね。……年々、卑怯になっていて嫌になります」
「卑怯?」
首を傾げると、眩しげに目を細めた右京に頭をなぜられた。
こういう触れ方には慣れていない。褒めるような、慈しむような、そんな柔らかな触れ合いに春太は顔を赤くする。
「許してはなりませんよ」
「なにが?」
「ルークのことをです。……貴方が怒っていないことに気づいて、私は卑怯なことに同情を得るような昔話をしてしまいました。……ですが、ルークのしたことを仕方がない事だと許さないでください」
「いや。でも、俺もダメだって言われたことしたし──」
言いあぐねる春太の言葉を右京が止める。
「貴方はどうしてルークを殴ったのですか?」
「それは……その」
「嫌だったから、やめて欲しかったからなのでしょう? その芽生えた思いを忘れずに大切にしてください」
右京が言うことは特別な台詞でもなんでもない。むしろ当然の事だ。けれど、従順に生きてきた春太にとっては新鮮で聞きなれない。
「……嫌なことは、嫌って言っていいの?」
恐る恐る尋ねた春太に、右京は情けない表情で笑った。
「当たり前でしょう。自分を守るのは自分なんです。嫌だと思ったなら抗いなさい。今までとは違う自分を見つけて、──新しい自分を認めてあげてください」
右京の手が恭しく、ルークを殴り付けた右手を包み込んだ。慰撫するように撫でられて、言葉に背中を押される。
大の大人になってまで、そんな簡単なことも分からないのかと呆れるだろう。
でも、春太は右京の言葉を何度も反芻する。
今までとは違う自分を見つけて、新しい自分を認める。
そっか。そうすればいいのか。変わりたいと溺れるように喘いでいた自分が、少しだけ呼吸の仕方を覚えた。
それでもまだまだ分からないことばかりだ。
けれど、心を殺さずに生きていきたい。自分らしく生きたい。不必要になればゴミ箱に捨てられるような存在から抜け出したい。
──お前はどうしようもない出来損ないだ。だから、俺の言う通りに生きていればいいんだよ。
何度も何度も聞かされた義兄の言葉がまだ胸を締付ける。そんな義兄から逃げたくて家を飛び出したくせに、結局その先でも捨てられたくなくて、相手のご機嫌ばかりうかがってきた。
でも、変わりたいのなら、抗う心を忘れてはならない。怖くても、逃げたくなっても、どこかで踏ん張らなければ春太は変われない。
嫌なら嫌だって言っていいのだから、その当たり前を今になって掴むために、春太は自分を変えたいと思い出した。
なんだか、ルークを殴った自分が誇らしかった。
たとえどんな事があろうとも暴力はダメ。
そんな詭弁をゴミ箱に捨てて、春太は初めて自分を守った己の拳に感動した。
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