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ゴミ、元彼につきまとわれる。
目を覚ます。酷い悪寒と頭痛に呻き声が出た。
「おはようございます。体調はどうですか」
視界の隅に右京が居た。
だが、そんなことは瑣末なことだと思えるほど、体調は悪くて、機嫌も悪かった。
むっつりと黙り込んでいると、冷たいタオルが額に乗せられる。
じわじわと広がる心地のいい冷たさに、体の強ばりが解けていくようだ。
「もう少し寝ていなさい。まだ体が疲れているのでしょう」
とんとん、と優しく胸を叩かれて、春太は言われるがままに目を閉じる。
瞬く間に眠りに落ちた春太だが、次に目覚めたのはどっぷりと陽が暮れたあとだった。
「右京さん、すみません」
「病人は寝ているものです。それにしても酷い声ですね……。少し待っていて下さい」
「うん」
右京が春太の頭を撫でて部屋を出ていく。乱れた髪を手ぐしで直しながら、こそばゆくて身をよじった。
体の方はだいぶ楽だ。ただ、右京の言うように、喉が腫れていて酷い声である。
言われるままぼんやりと天井を見つめていると、右京が戻ってきた。
手には盆を持っている。
「はちみつと檸檬を入れたホットジンジャーです。気休めていどですが、少しは喉の痛みを和らげてくれるでしょう」
ノンフレームの眼鏡。クールな印象を与えるセットされた髪。シワひとつない体にあった高級そうなスーツ。
どれも普段通りの右京だ。なのに、今日はなぜか近所に住むお兄ちゃんのように感じて、春太は笑っていた。
「なんです?」
「いや。……なんか、右京さんがお兄ちゃんみたいに思えた」
「あながち間違っておりません。私が一番年上ですからね」
「うそっ。まじで?」
「まじですよ。今年で34になります。ルークは年下です」
「……ほえー」
美形は歳を重ねてもなんのペナルティにもならない。
なんなら、余裕やら色気が増して深みができて前よりいい男になる。羨ましいと思いながら、ホットジンジャーに口をつけた。
辛みを打ち消してくれる蜂蜜と、落ち込んだ雰囲気を払ってしまう蜂蜜のフレッシュさに春太は笑んだ。
春の陽射しのようにぽよぽよと春太が笑うものだから、右京もつられたかのように笑っていた。
「まあ、私にとっても君は放っておけない弟みたいなもんですかね」
「……俺みたいな弟がいたら右京さん大変だよ」
「でしょうね。毎日尻を叩かねばなりません」
「それはいや」
想像して顔を顰めると、右京がますます笑みを深める。
このまま穏やかに全てを流せたらいいのに、と思う春太だがやはり右京はそうしてくれない。
「春太さん。落ち着いたところ申し訳ありませんが、昨日のことをお聞きしても?」
「……うん」
「ルークが無理矢理に襲ったことに間違いはありませんね?」
「…………はい」
気まずさに、硬く応えてしまう。
やはり昨日の出来事は夢ではなかったのだと痛感した。
全部熱で見た悪夢ならば良かった。でも、痛む股関節やヒリつくあられもない場所は現実だと訴える。
「貴方に傷をつけてしまったこと、心からお詫び申し上げます。……それから、ルークが貴方にしたことの責任はとるつもりです」
「責任?」
「ええ。どんな理由があれど嫌がる相手を襲うなど犯罪です。今すぐこの家を出ていきたいようでしたら、私がすぐに手配しましょう」
ドクン、と心臓が鈍い音を立てた。
いずれはこの家を出ていく。今関わっている全ての者と会えず、他人になる日が来る。朧気だった事が現実的になり、春太はシーツを握りしめた。
「……今すぐ出ていかなきゃダメかな」
「いえ。私は人を襲うような獣と住むなんて、春太さんの心が休まらないのではないかと思い提案したまでです」
春太が口を噤むと、右京は「好きなだけいていいんですよ」と柔和な声音で続けた。
「仮に出ていかなくともお金のことは心配なさらないでください。きちんと賠償金の方は──」
「いらないからっ」
春太の硬い声音が、右京の言葉を遮る。
「別にいいよ。お金は、……いらない」
急に他人行儀に思えて寂しい。今の関係は、春太が繋いだ縁ではなく、金で繋がれたものだと自覚するから。
貧乏でいるよりも、春太は孤独の方がいやだった。
「すみません。……急にこんな話をすれば貴方が寂しく思うことは分かっていたんですけどね。……如何せん、私は仕事人間なため、つい」
つい、と言いながら右京が眼鏡を押し上げる。右京は、仕事に対して手が抜けない人間なのだと、春太に謝った。
「いや、右京さんが悪いんじゃなくて」
「いえ。でも今、私が金銭の話をしたことで、貴方は私たちの関係に線を引かれたと感じたのでしょう?」
「うぅ、そうだけどさぁー」
わざわざ確かめなくてもいいのに。
春太は羞恥で顔を赤く染めながら頷いた。なんだか自分が子供のようで、傷ついた理由がちっぽけに感じる。
「……私がこんなんですから、ルークが変わらないままなんですかね」
こぼれ落ちた独り言に、春太が顔をあげる。
右京は眉を顰めて窓の外を見ていた。
「でも、春太さんと一緒に住むようになってから変わりました」
「……俺と?」
「貴方には失礼だが、おかしいと思いませんか?」
視線を窓から春太へと映して右京は嘆息する。
「いくら自分の餌 を他人に取られたかといってそこまで怒りますか?」
「……いや、俺には理解不能というか」
「そうですよね。私もです。……可愛がっていた飼い犬に手を噛まれたからと、その犬を犯すような奴いますかね」
右京はルークがしたのはそういうことだと言う。吸血鬼と人間には明確な違いがあり、春太たち人間は吸血鬼にとっては餌でしかないのだと語る。
だから、そんな餌にわざわざ感情を見せるはずもなく、中には餌を可愛がる酔狂な吸血鬼もいるそうだが、飽きれば簡単に捨てるらしい。
「ルークとて同じでした。ルークに魅入ってしまい、飽きられて捨てられた者は多くいます。……そんな奴が他人の匂いをつけて帰ってきた誰かを未だに手元に残そうとするのが」
──まるで、恋を知らない獣のようですね。
右京の言葉に、春太は瞠目した。
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