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ゴミ、吸血鬼の事情を理解する。

   春太は未だこちらを見ないルークの袖を控えめに引っ張った。 「テディのこと聞かせてほしい、です」 「……」  顔はそのままに、目だけでこちらを見やったルークは、窓に肘をつくと気だるそうに説明する。 「テディの母親は、私と同じく純血の吸血鬼だった」 「そうなの?」  春太は疑問に思い首を傾げた。  以前、虎牙がテディのことを、「俺と同じく母親が吸血鬼のなり損ないだから純血じゃない」と説明していたことを思い返す。  虎牙からそんな話を聞いていたものだから、春太はてっきり、テディの母親は普通の人間だと思っていた。  そしてテディのことは、人間と吸血鬼のハーフだと勝手に納得していたが、どういうことなのだろうか?  そこまで思案して気づく。  ルークは今、テディの母親を「純血の吸血鬼だった」と、過去形で説明したことに。 「……もしかして、テディのお母さんは、今は吸血鬼じゃないの?」 「あぁ。私と婚約する少し前のことだ。体に変態が起きて、血を受け付けなくなった。たとえ吸血鬼の血を引いていても、血を必要としない者は吸血鬼ではない」  ルークは、吸血するには牙が必要で、人間を惑わす特別なフェロモンを操れるのだと教えてくれた。  あの、狂ったような甘やかな時間は、やはり特別なフェロモンのせいだと納得する。  心を縛り付けてしまうほど、恍惚とした時間は、思い出すだけで体に熱が灯った。  春太は慌てて甘い痺れを振り払うと、誤魔化すように続きを急かす。 「そ、それで?」 「テディの母親のように、変態が起きて吸血鬼じゃなくなる者がいれば、吸血鬼になる者もいる。まあ結局そういう奴らは、偽物やなり損ないだと、蔑称され差別を受けるがな。……虎牙の話を覚えているか? あいつが自分を偽物や、なり損ないだと言うのは、そういうことだ」  話を理解した春太は目を伏せた。虎牙の言葉を再び反芻すると、胸がぎゅっと締め付けられる。  ── 限りなく吸血鬼に近いが、紛い物は本物にはなれねーじゃん?  ── 俺もテディも偽物吸血鬼だ。  その言葉だけでも分かる。虎牙はきっと、吸血鬼社会の中で、嫌な目にあってきたのだと。  これから先、テディも同じように心無い言葉に晒されるのだと。  変態して吸血鬼の仲間入を果たしても、両親のどちらかが人間やなり損ないの場合は、純血至高である吸血鬼社会では爪弾きにされる。  現にテディも、吸血鬼でなくなった母親をもつために、「なり損ないの息子」だと何度か罵倒されたそうだ。  まだあんなに小さいテディに、よくもそんな酷いことを言えたものだと憤る。同時に、吸血鬼の世界は残酷なのだとも、これからのテディを不安に思った。 「……そういうのって、よくある事なの?」 「体が途中で作り変わってしまう者は一定数いる。だが悪いことばかりでは無い。吸血鬼でなくなれば特別な能力も失うが、どんなに陽を浴びても体調を崩さない。……私も血を受け付けずに、能力を失う可能性は十分にある。いっその事、煩わしい事から解放されていい事かもしれない」  ルークの声音は心から言っているように聞こえた。純血の吸血鬼として、何かと責任があるのだろう。  語る様子には少しばかし、羨望も混ざっていたように思う。  同時に特別な能力と聞いて、春太の脳裏にあの日のことが蘇った。  憤ったルークが感情だけで周辺の物を壊した時のことだ。  そこまで考えて、春太はハッとする。 「ルーク! そういえば、足の裏怪我したよね? 素足で硝子の上歩いていたんだから、酷い怪我だったんじゃないのか?」 「……吸血鬼は致命傷でないかぎり、怪我や傷はすぐに治る」 「え」  そこで初めて、ルークが顔ごとこちらに振り向いた。春太は瞠目して口を閉ざす。  視界に映る美しい顔には傷が一つもなかった。  賢吾に頭突きをして血を流していたのに、前髪から覗く額は真っ白だ。  ……吸血鬼って、いったいなんなんだろう。  春太が疑問に思ったのと同時に、ルークが皮肉げに薄く笑った。 「気持ち悪いか?」 「へ?」 「言っただろう。私とお前たち人間は違う。……姿形は似ていても中身は全く別だ。……お前を壊すことなど造作もない」  紫の瞳が真っ直ぐに春太を射抜いた。  春太は数秒ほど黙り込む。そして、ゆるりと首を振った。 「……ごめん、分からない。俺と違うことは理解したよ。けど、だから気持ち悪いかって聞かれてもピンと来ないんだ。それは俺がまだ全てを理解してないからかもしれない。……でも、ルークは俺を簡単に殺せるだろうけど、そんな事はしない気がする」 「私に襲われたくせに、なぜそう言いきれる?」 「……ルークって、子供みたいだなって思うんだ。……有名な会社の社長で、難しい吸血鬼社会の中でも最上位の純血で、周りから見たら凄い人だ。……それなのに些細なことに真剣になる。俺の知る当たり前を知らない。……ルークといると心が真っ白で、子供みたいだなって、そう思うんだよ。だから、たまに口出してウザがられるけど」  ルークは根っから傲慢なわけじゃなく、知らないが故に傲慢になってしまうだけだ。  交換日記の時も、テディとのことでぶつかった時も。リビングで吸血したくないと、拒んだ時もだ。  一から何故なのかを説明したら、ルークはきちんと考えてくれる。  逆に、こちらが当然だと思っていたことでも、ルークはそんな事考えてもみなかったと、少しだけ驚いた顔をする。  この人は、愛情を知らないだけだとすぐに分かった。  だから知れば変わるのだと思う。きっとルークは、それに触れれば、テディのことも右京たちのことも、大切にするはずだ。 「くだらない」  ルークは鼻を鳴らすと、春太の考えを一蹴した。でもその僅かな瞬間に、紫の瞳が少しだけ細まったのを見逃さかなかった。  ルークは何かに心が反応した時、目を細める癖がある。  それに気づいた春太は、いったいルークが何を思ったのか気になった。けれど、聞くのは無粋な気がして、言葉を飲み込む。  聞かなくとも気づけるようになりたいと思ったのだ。  ルークの残す小さな感情の欠片を、拾えるようになりたい。  それは、ルークだけじゃなくて、テディや右京や虎牙にも言える。この人たちのことをもっと知りたい。  春太はいつの間にか、この居場所を依存心からではなく、純粋に好きになっていた。 「それよりまだ大事な話を聞いてないよ。これまでの説明がテディに関係があるってことは分かるけど」 「……吸血鬼でなくなった者との間に生まれた子供は、大抵の者が吸血鬼にはなれない。現に、テディもそうだった」 「もしかして」  途切れた言葉の続きを想像する。  春太が息を飲んだとき、ルークがその想像を認めた。 「テディに吸血の衝動が起きた。……あいつは今、体が吸血鬼になろうとしている。……変態するときは、凶暴になり理性などない。だから今はホテルに隔離している」 「……一人なのか?」 「そうしなければテディに襲われて、死ぬまで血を啜られるぞ。テディを殺人者にしたいか?」 「……」  春太が黙り込むと、車内には重い沈黙がおちた。  ルークはおろか右京さえも口を閉ざしたままだ。  春太が退くか進むか見定めるつもりなのだろう。 「俺行くよ。テディに会うまで帰らないし、テディがホテルにいるなら、俺は暫く有給をもらってホテルにいるから!」  拳を握って宣言をすると、ルークが呆れたようにこちらを見た。  そして、嘆息すると好きにしろと言う。 「きっと、ひとりぼっちで寂しい思いしてるはずだ。……大丈夫そうなふりをするのって、大人でもしんどいんだから」 「……一人前の吸血鬼になるためには、誰だって通る道だ。そればかりは純血だろうと偽物だろうと関係ない」  右京の言葉が浮上する。  ── 初めてルークと出会ったとき、あいつは真っ白な小さな部屋で一人きりだったんです。  ── 純血の吸血鬼には、一定期間の隔離が必要らしいのです。  その時聞いた話の真相を今になり知った。隔離されることは当然だと言い切る姿に、強がっている様子はない。  それだけルークは孤独が日常である環境のなか生きてきたのだ。 「……ルークも、同じ経験したんだよな」 「当然だ。……外に出れば至る所に餌が彷徨いている。湧き上がる吸血衝動を自分でコントロールできない奴は、吸血鬼と名乗る資格のない飢えた獣だ」 「……ごめん」  思わず謝ってしまう。  言葉が凶器になると知っていたのに……。  襲われた日に投げつけた「獣以下」という言葉は、きっと、ルークに強い衝撃を与えたはずだ。  春太が俯くと、温度が失われた無機質な声が投げかけられる。その声音がますます春太の心を締め付けた。 「……お前にあの日言われた言葉は真実だ。……あの日の私は獣以下だった。それは確かな事実で、被害者であるお前が気にすることではない」 「……」  違うともそうだとも言えない。どうして、こうも拗れてしまったかと項垂れる。  春太にとっては、自分の体を今更尊いものとは思えない。これまで愛されるために自分の体をいくらでも捧げてきた。  でも、ルークを慰めたいからと、あの日の行為を仕方がないことだと、流してしまうのは違う気がする。  それはルークにとっても、春太にとっても、簡単に流しちゃいけない問題だからだ。  そんな重い沈黙を破ったのは、またしても右京だった。 「着きましたよ。辛気臭い顔をしていないで、さっさと行ってください」  運転席から降りた右京に、ルークも春太もぽいぽいっと外に放り出される。  唖然としていると、再び車内に戻った右京は「二時間後に迎えに来ます」とだけ告げて去っていった。

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