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第2話

 ミハイルが出掛けると、俺はさっそくイリーシャにコールを入れた。 『750cc のカッコいいヤツな』  と言ったのに、イリーシャが調達してきたのは、HONDA のゴールドウィングだった。確かにカッコいい。カッコいいけど、大型のクルーザーバイクだぞ。100㎞超えの長距離ツーリングならともかく、50㎞くらいの走行距離だぞ。  如何にも金持ちですと言いたげな派手な車体だ。 『イリーシャ、流石にこれは目立ち過ぎないか?KATANA とかNINJYA とかもぅ少し渋いの無かったのか?  と俺が言うと、イリーシャは少し唇をへの字に曲げて、肩を竦めた。 『ボスが安全性を優先しろ...と指示をされていたのでね。安定性もいいし、世界のHONDA だから、性能も確かだ』  そう言いながら、翌日のツーリングの時には俺の乗りたかったKATANA にイリーシャが颯爽と跨がっていた。ズルいぞ、イリーシャ。  ともかくも午前中、早々に4tのフルカバーでバイクがホテルに運び込まれ、俺はミハイルの部下にぐるりと周りを取り囲まれながら、マシンの調整に取り掛かった。お付きの部下達の荷物の中には当然、工具一式が積んである。トラックの床に座り込み、油まみれになって楽しそうにレンチやらドライバーを振り回す俺を、イリーシャが苦笑いしながら眺めていた。  そして、感心したふうに洩らした。 「小狼(シャオラァ)は、やっぱり男だな」 「当たり前だろう。今更だぜ」  満足する調整が着く頃には、午後もかなり回っていて、俺は急いで借りたツナギを脱いでチームの奴に返し、ジーンズとシャツに着替えて部屋に戻った。急いでシャワーを浴びたが、やはりニコライに『油臭いです』と睨まれた。  けれど、ミハイルは苦笑いしながら、会議の合間にオーダーしたというフルフェイスのヘルメットと黒いライダースーツをプレゼントしてくれた。特製で中にワイヤレスが入っていて、防弾になっている、という。一体どこにオーダーをかけたのか、怖いから聞くのは止めた。  ライダースーツは日本製のメンズのM だから身体にしっくりくる。勿論、アーマードのインナーは持参しているが、胸の余りの部分は修正済みだ。 「遥にもプレゼントしてやるといい」 と言って取り出したのは、ショート丈の濃茶のライダーズジャケットだ。華奢だから多少余るかもしれないが、中に防弾ベストを着れば丁度いいかもしれない。もうひとつ、バッグの中に見慣れない色合いの物を見かけたが、敢えて聞かないでおこう。  俺達は、最上階のリストランテでスカイツリーに夕陽が突き刺さるさまを眺めながら、食事を採った。ワインを断り、カンパリオレンジのノンアルコールをオーダーする俺を、ミハイルがふっ...と小さく笑いながら眺めていた。  そして、部屋に戻ると俺が切り出す前に、ミハイルが口許を小さく緩めて言った。 「マシンの調子を見に行くか?」  俺は思いっきり頷き、ミハイルはバッグの中からキャメルのレザージャンパーを引っ張りだして、防弾ベストの上に羽織った。やっぱり.....だ。そして、 「メットは?」 と俺が聞くまでもなく、バッグからフルフェイスの黒のヘルメットが現れた。  イリーシャが先導し、ニコライが渋い顔でワーゲンで着いてくる。俺はミハイルをタンデムシートに乗せ、湾岸をスマートに走っていく。 背中に感じるミハイルの体温は心地好く、腹に回された腕の力強さと温もりに胸がときめいた。このまま、何処まででも走っていけたら....とふと思った。 『そろそろ、目的地だぞ』  俺の夢を絶ち切るように、ヘルメットの中、ワイヤレスからミハイルの声が言う。 「了解」  俺は右にハンドルを切り、カップルのちらほらとそぞろ歩く傍らにバイクを止めた。 「イリーシャ、すこし見ててくれ」  俺達はヘルメットを片手に、手を繋いで桟橋をゆっくり歩いた。遠くの橋が淡い光を点滅させていた。 「レインボーブリッジか?」 「うん。キレイだろ?!」  桟橋の手摺に凭れて、潮風に鼻をひくつかせる。懐かしい、海の匂いがする。 「ほら...」  自販機で缶コーヒーを買い、ミハイルに渡す。 「インスタントか?」 「日本の缶コーヒーは美味いんだぜ?!」  怪訝そうにプルタブを開け、一口啜って男らしい口許が微笑みった。 「確かに....な」  俺達は、他のカップルを刺激しないように控え目にキスして、夜景を眺めながら、少しの時を過ごした。 「帰るぞ...」  俺は頷き、バイクに跨がろうとした。.....と、ミハイルの親指がくいくいっと後ろを指した。 「キーをよこせ。今度は私が運転する」  一瞬、ニコライがひきつっていたが、ミハイルは構わず、ゴールドウィングに跨がり、俺を後ろに乗せて走り出した。  俺はいっぱいに手を伸ばしてミハイルに掴まりながら、赤いテールランプが、幾つも流れていくのを見つめていた。 『寒くないか?』  ヘルメットの中、ワイヤレスのミハイルの声が俺を気遣う。 「大丈夫」  俺はミハイルの大きな、逞しい背中に頬を押し付けて、こっそり呟く。空気を切り裂く風に紛れて、たぶん聞こえはしない。 「大好きだよ、ミーシャ...。愛してる」  頬を背中に擦り付ける俺に、サイドミラーのミハイルの顔が嬉しそうだ。 「年取って隠居したら、またツーリング行こうぜ」 「そうだな。アルプス越えでもするか...」 「うん......」  俺達は、その夜、スピードの余韻に少し酔ったまま、今までで一番、穏やかな夜を過ごした。

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