26 / 26

エピローグ

 1ヶ月後。陽斗はまた元のマンションに引っ越した。しかし、もう斉藤の『お隣さん』には戻らなかった。 「凄い急展開やったなぁ」  井上が斉藤(と陽斗)の家のリビングで、床に寝転がり煎餅を食べながら、まるで自分の家にいるかのように寛いだ様子で言った。 「そうやな。まさか、こんなはよ一緒に住むとは思わへんかったわ」  淹れたコーヒーを井上に渡しながら答える。井上が起き上がって、ありがとう、とコーヒーカップを受け取った。斉藤は今、別の部屋で実家と電話中だった。 「ふふ。でもほんま、良かった。ハルくん、幸せそうやで」 「そうか?」 「おん」  嬉しそうに井上に言われて、陽斗も笑顔を返した。  井上に言われた通り、斉藤と付き合い出してからの1ヶ月は色々なことがめまぐるしく起こった。  『ハルちゃんと1秒でも1分でも長く一緒にいたい!』と斉藤がさっさと陽斗の引っ越し手続きを進めてしまったり、斉藤に説得されて陽斗の実家に電話させられたり、斉藤が会いたがるので陽斗のゲイ仲間に紹介したりととにかく忙しい日々だった。  いつもは大人しくて、人見知りなくせに。この時の斉藤の押しの強さと行動力と処理能力には、正直舌を巻いた。さすがインテリサラリーマンだけのことはある。  少々押し切られた感は否めないけれど。斉藤には感謝している。そのおかげで両親と和解できたのだから。ゲイ仲間たちにも嫉妬されながらも祝福されたし。  カチャとドアが開く音がして、斉藤が携帯片手に複雑な顔をして戻ってきた。 「家族元気そうやった?」 「おん……」 「どうしたん?」  斉藤は時々、近況報告も兼ねて実家に電話するのが習慣となっていた。斉藤家は仲がいい(陽斗はまだ会ったことがないが)。お互い包み隠さず何でも話すようで、陽斗のこともすぐに報告したようだ。  息子の相手が男だと聞いたらさぞかしショックを受けるだろうと、陽斗は心配していたのだが、斉藤の両親はあっさりとその事実を受け入れて歓迎してくれた。きっと斉藤と似て、両親も理解のある優しい人柄なのだろうと少し羨ましくなった。そんな環境で育った斉藤だから、陽斗が家族と絶縁状態だったことも気にかけてくれたのだと思う。  いつもは電話を切った後に嬉しそうに家族の話をしてくれるのだが、今日は様子が違った。 「いや……あのな……今、おかんと昔の話してて」 「おん、で?」 「ほんで、久しぶりに『はるちゃん』のこと思い出したから、聞いてみてん。そんな子おったよな? って」 「そうなんや。覚えてた?」 「うん。よう覚えてるって。なんか、めっちゃ人気者やってんて。小学校で」 「へえ。そしたら斉藤も王道を行ってたんやな、人気者の子ぉ好きになって」 「いや、俺は、どっちか言うたら、『はるちゃんの八重歯』が好きだったんやけど。まあ、それはええねんけどな……。それが、おかん、その子がな……男の子やったって言うねん」 「は? やって……可愛らしい女の子やったって、お前言うてたやん」 「うん、俺もそう思うて、確認したんやけど、男の子やって言い張んねん。確かに小さくて女の子みたいな子ぉやったみたいなんやけど、男の子やったって。あまりに可愛らしい子ぉやったし、俺も可愛い可愛い言うてたらしくて、めっちゃ覚えてんねんて」 「……なあ、その子って、途中で引っ越した言うてたよな?」 「おん……」 「それって、いつ頃?」 「うーん、はっきりは覚えてへんけど、小学2年ぐらいやった気がする……1年、2年と同じクラスやった記憶があんねんけど……」 「なあ……」 「ん?」 「斉藤のおった小学2年のクラス担任って、『渡辺のおっちゃん』やったか?」 「……何で知ってんねん……」 「……マジか……」  自分でもすっかり忘れていた昔のことを思い出した。そして、それが斉藤の記憶と一致したことで全てを悟った。  それまで黙って話しを聞いていた井上が、面白くなった展開に目を輝かせて陽斗と斉藤を交互に見ている。  なんや。俺があの『はるちゃん』やったんか。  小学2年生の時。自分は学校で『ハルちゃん』と呼ばれていた。確か、2年の途中で父親が事務所を移転するのをきっかけに違う市へと引っ越したのだ。あのクラスに斉藤がいただなんて。全然覚えていない。 「……斉藤がいたの覚えてへん……」 「まあ……俺、目立たん奴やったからな。人見知りやったし」  今頃になって気づくなんて馬鹿みたいだけど。斉藤がずっと思い焦がれてきた『八重歯』も自分の八重歯だと分かってなんだか笑えてきた。  井上が、なになに?何があったん?と興味津々に質問する中、斉藤を見る。斉藤は、今しがたのショックをまだ引きずって、困惑した顔をしていた。  ふと目が合う。  数秒見つめ合って、どちらからともなく噴き出した。 【完】

ともだちにシェアしよう!