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3 愛の夢~七瀬晴希~

     三 愛の夢~七瀬晴希~  おいおいおい……。どうなってんだよ?  今、目の前では一人の青年が、若いサラリーマン風の男と一緒に酒を飲んでいる。すっかり出来上がっている彼らを気にしながら、晴希は客のリクエストに(こた)え、有名な九十年代のポップス曲を演奏していた。  なんであいつがこんな所にいるんだ……。  晴希が働いているこの店の客層は、音楽好きなサラリーマンが(おも)だ。学生時代はバンド活動をしていたとか、なにかしら楽器や声楽を習っていたとか、純粋に音楽が好きだという客がどこからともなく集まってくる。こんなビジネス街にも、音楽を愛する人間というものは割合多いようだ。  東京駅近くとは言え、隠れ家的で、一風変わったバーでありながら、この店は実に繁盛していた。店主の瀬谷(せや)愛斗(まなと)は、元々の音楽好きが高じて、このミュージックバーを数年前に始めたらしい。それまでここは、四十年近く営業するスナックだったそうだ。店主が高齢になって閉業する際、ここを居抜きで契約したため、店にはどこかノスタルジックな雰囲気が漂うが、それもまた、しゃれている。  晴希がこの店で働き始めたのは、三年前。外に貼り出してあった求人票を見つけたのは、本当に奇跡だった。ギターを弾いて食べていけるなら、どんなに多忙でも、貧乏でもいい。わがままは絶対に言わないから、どうにかしてギターを弾くことを生業(なりわい)にしたい、という夢を(かか)えて上京したはいいものの、現実は厳しく、さてどうしたものか、と考えていた矢先に、晴希はこの店の求人票を見つけたのだ。ただし、それに気付いたのはもちろん晴希だけではなかっただろうから、倍率は相当、高かったはずだ。だが、晴希はたったひとつしかない、この店のギタリストという椅子を、見事にオーディションで勝ち取った。  中にはクセの強い客もちらほらいるものの、落ち着いた大人たちが(つど)うこの店を、晴希はとても気に入っている。この店のマスターである愛斗は、先月三十二歳になったばかりの若い店主だが、人柄が良くて優しく、面倒見がいいし、ボーイの菊川は英国紳士を思わせるように穏やかで品がある。おまけにバンド仲間もみな、気さくで腕のいい演奏者ばかりだった。ここは晴希の心のオアシスなのだ。しかし今、お気に入りのこの空間に、妙な男がいる。二週間前、よく行く楽器店でピアノを演奏していた青年だ。  面倒くせえ……。しかも、なんなんだよ、さっきのは……。 『俺、ずっと探してたんです。あなたを――』  突然、立ち上がって拍手もせずに言った彼のセリフと、柔らかい笑顔を思い出して、晴希の顔が思わずカァッと熱くなる。あの瞬間、店内にいる誰もが呆気(あっけ)に取られていた。曲が終わったのと同時に鳴り響いていたはずの、割れんばかりの拍手が突然止んでしまったのが、確たる証だ。みな、何事かと青年と自分を見つめていたに違いなかった。この店で働き始めてから、あれほどにステージが、しん、と静まり返ったことがあっただろうか。――否。  やっぱり変な奴なんだ。関わらないほうがいい。絶対、関わらないほうがいい!  そう心の中で、何度も自分に言い聞かせながら、それでも彼の存在が気にはなって、目をやる。すると、ほぼ百パーセントの確率で目が合う。彼が晴希ばかり見ているせいだ。これにはたまらず、晴希は(まゆ)を上げた。  いくらなんでも見すぎだろうよ……。ほんと、なんなんだこいつ……。

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