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【涙色ラブレター】1~東山晶~
七月の上旬。夏の太陽が空高く上がる午後。校内の中庭には灼けるような熱い日差しが照る。空気は湿り気を帯びて漂い、むせ返るような息苦しさだ。サイレンのようにわんわん鳴く蝉 に、この声がかき消されてしまうのではないか、と危ぶみ、すうっと息を吸い込んで大袈裟 に咳ばらいをしてみる。すると、自分の声が中庭を取り囲む校舎の壁に反響して、響き渡った。
高校一年生、東山 晶 は今、張り詰めたような緊張感の中にいる。恐らく、これまで生きてきてこれほどの緊張を感じたことはない。というのも、今日ここへある人を呼び出していて、人生で生まれて初めての告白をしようとしているのだ。
準備は万端だった。この日の為に、想いを詰め込んだ手紙――つまり、ラブレターまで書き上げてきた。何枚も何枚も失敗して、便せんを買い直して、さらに幾度(いくど)かの失敗の後に出来上がったそれは、もう手紙などと呼ぶのも恐れ多く、作品といってもいいくらいだ。おかげで、つい先日あった期末テストの出来は散々だった。
まだ来ないの……。もう、純ちゃん何してるんだろう……。
そうまでして、晶がラブレターを渡したいと思う相手。それは、幼い頃から追いかけてきたヒーローともいえる存在だった。
青野 純 。それが晶の待ち人の名前だ。晶は二歳年上の幼馴染である純に、長年想いを寄せている。因みに、純は男。そして晶も、男。晶は「同性愛者」だ。自覚したのは、純への気持ちに気付いた十年ほど前からだが、それを特段、恥ずかしいと思ったことはなかった。
自分が世間一般とずれていることはすぐに理解したが、こればかりは自分でコントロールできるようなことでもなく、どうしようもなかったし、恋だと気付いてから純と過ごす毎日はこれまで以上に輝き、色鮮やかなものとなったので、諦めようという気もさらさら起きなかった。
晶は今一度、昇降口の方を気にしてみる。それから、一階の三年A組の教室辺りや、グラウンドへと続く長い廊下の先にも目をやった。待ち人はまだやって来ない。
体の中では、妙な緊張感と興奮がものすごいスピードで駆け巡っていた。純の顔が見たくて、早く気持ちを打ち明けたくて堪 らない。それなのに、恥ずかしさあまりに、どうか来てほしくない、あわよくば来ないでくれ、という何とも矛盾した気持ちをも抱 えている。それに煩 わしさを感じながら、晶はその場で待ち続けた。
校内に人の気配はほとんどない。耳には相変わらずうるさい蝉 の鳴き声と、吹奏楽部の誰かがどこかで楽器の練習をしているのであろう音色が、風に乗って微 かに聞こえてくる。ワンフレーズを何度も何度も繰り返しているそれは、校内で聞けば、生活音のように自然なものだ。
「おーい! 晶、お待たせ!」
不意に馴染 みの声が聞こえて、晶は声のする方へ振り返った。首筋に玉になった汗を流しながら、サッカー部のユニフォーム姿で駆けてやって来たのはまさしく純だ。その顔、姿を見て、一瞬で心臓が跳ね上がる。黒髪のツンツンした短髪に、細身だが男らしくガタイのいい逞 しい体。背は高く、手足は長い。涼しげな奥二重の目に見つめられればうっとりしてしまって、もう目を離せなくなった。
「純ちゃん……!」
いつ見てもかっこいいなぁ……。
「話って何? あんまり時間ないから手短にしてくれよ」
純が言った。もちろん、晶もそのつもりではいる。だが、正直なところ自信はなかった。
「うん……。あの、もう部活、始まるんだ?」
「あぁ、うん。ほら、八月のインハイまで一ヶ月切ったところだからさ――」
「青野くーん!」
突如、二人の会話に割り込むようにして頭上から黄色い声が降ってくる。見上げてもあまりに眩 しい太陽のせいで顔もわからない。けれど、その声で彼女たちが純を好いていることはすぐにわかった。
「これから部活ー?」
「おうー!」
「頑張ってねー!」
「サンキュー!」
別に甘い言葉を発したわけでもないのに、純が校舎の窓を見上げて手を振った途端、黄色い声がきゃあきゃあと騒ぎ立てる。思わず、晶は頬を膨 らませた。
彼は校内一といっても過言ではないほどの人気者だ。何しろこの外見で、毎年行われるインターハイではすっかり常連となっている我が校のサッカー部に所属し、さらに彼はその中でもスーパーエースと呼ばれているのである。一年生の時はスーパールーキーだったらしい。どっちにしても大したものだ。
ついでに、勉強も人並みにできる純の登下校時には、黄色い声が必ずといっていいほど飛び交った。去年のバレンタインにはカバン一杯にチョコレートをもらって帰ってきたし、聞くところによると、今はファンクラブまであるという。
晶は今年の春、この高校へ入学してきた時から焦 りを感じていた。純を追ってこの学校を受験し、入学したはいいものの、幼馴染で想い人の彼は、まるで手の届かないみんなのアイドル的存在だったからだ。
晶は純の幼馴染として、ただ傍 にいるだけで楽しかったし、それまでこれといった不満があったわけでもない。だが、せっかく同じ高校へ上がったというのに、明らかに彼と距離ができてしまうのは、ひどく寂しかった。
また、純が友人に「弟みたいなもんだ」と晶を紹介する度に、或 いはどこかの誰かに告白されている現場を目撃する度に、晶は面白くなかったし、不安にもなった。いつの日か、純を誰かに取られてしまうかもしれない未来を想像しては、眠れない夜を過ごすこともあった。
今回、晶に告白する決意をさせたのは、そういう焦 りや寂しさ、不安感だった。弟分でも友達でも幼馴染でもない。恋人になりたい。晶はずっとそう思ってきたし、心の中ではいつでもそれを純に訴えかけてきた。しかし、どんなに長く、そして強く想い続けていても、それはやはり言葉にして伝えなければ届くはずもないのだ。
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