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【浴衣デート】2~三木葉介~
なぜ、何も話さなかったのだろう。もっと何でもいいから話せばいいのに、言葉が一つも浮かんでこなかった。ただ二人で土手の上でしゃがんで観る花火は本当に美しくて、花弁 のように散って消えていくのを見れば、胸の奥がきゅうっと狭くなったように切なくなる。そのうち河川上ではナイアガラも始まった。微 かに風が吹くと、河川からは火薬の匂いが漂ってきて、鼻をくすぐるように通り抜けていった。
不意に隣を見れば、花火に照らされながら目を輝かせる晶がいる。刻々と過ぎていく時間をこれほどに愛おしく、また惜しく感じたことはなかったかもしれなかった。恐らく一時間半、二人はそうしていた。せっかく買ったたこ焼きも食べないまま、時々、喉 の渇きを思い出し、ラムネに口を付けては、ただ夜空を見上げていたのだ。
やがて最後のスターマインが始まって、より一層、派手に花火が上がっていく。爆音が次々に鳴り響く。そして、最後に最も美しい花を咲かせんと、これまでで一際高く光の玉が昇っていった。その後、大きな枝垂 れ花火が夜空いっぱいに花を咲かせ、腹に響くような爆音を響かせた。
「綺麗ですね……」
まるで今日、初めて打ち上げ花火を見たかのように、晶が言った。最後の最後までほとんど黙っていたのに、そう言った。
「そうだね」
三木はそう返した。本当に綺麗だった。ところが――。
「お腹、減りました……」
「……っ!」
「え……?」
晶が口にしたセリフに、三木は笑いを堪 えきれずに噴き出してしまった。確かに、三木もお腹がぺこぺこだった。花火が終わった後は、何か食べて帰ろうか、とは考えていたが、こんなに空腹になるはずではなかったのだ。本当なら、夜店で買ったたこ焼きを食べたりして、ある程度、腹を満たせたはずなのに。たこ焼きは一口も食べず、ラムネもまだ半分ほど残っている。それもこれもみんな夏の花火と、隣にいる晶が可愛いせいだった。
「了解、何か食べて帰ろう。たこ焼きは晶にあげる。晶は育ち盛りだからね。お土産」
冗談めかして言うと、晶は途端に口を尖らせた。彼のそういう幼さを感じさせる反応は、三木好みだ。寧 ろそれが見たくて、わざと怒らせてみたのもある。
「おれはこれからなんですよ」
「そうだね」
「毎日、牛乳飲んでて、もう春から一センチも伸びました」
「すごいじゃないか」
「今、一六三センチです」
「その調子、その調子」
どんなに褒 めても、晶は満足しなかった。口を尖らせたまま、鼻を鳴らしてちょっと悔しそうだ。
……可愛い。
「おれ、もっとでっかくなって、先輩と並んで歩けるようになりたいです」
「晶はでっかくなりたいの?」
「はい。だって、今じゃおれだけ子どもみたいでしょ。せめてもうちょっと、一緒にいる時に釣り合うように……なれたらいいんだけどなぁ……」
尻すぼみになりながら、晶は言った。そんなことを考えていたのかと思うと、もう可愛くて愛おしくて堪 らない。一気に晶への想いが溢れてくる。気が付けば三木は、しょぼくれた顔でため息混じりに言った晶の手を取っていた。
「せんぱ――」
「晶……、そんなのはどっちでもいいよ。それよりも俺は……」
好きだと言ったら照れくさそうに微笑 んでほしい。同じ言葉を返してほしい。いつか、そういう日が来ることを三木は出会ったその日から待ち焦 がれていた。もちろん、今の関係だってそれなりに気に入っている。晶と一緒にいる時間はとても心地がいいし、気持ちを伝えた時、それが壊れてしまうのも怖い。けれど、踏み出さなければこの関係はいつになっても変わらない。伝えなければ、気持ちは決して届かない。
伝えたい――。俺は今、こんなに晶を好きなんだって――。
「晶、俺は――」
「晶!」
今こそ自分の想いを告げようとした時、馴染 みの声が晶を呼んだ。晶は振り返る。三木はその声を聞いた一瞬で、苛立 ちと不安感を一度に覚えた。握っていた手がビクッと震えた後、するりと逃げていく。
「純ちゃん……!」
「お前も来てたんだな。浴衣なんか着てどうしたのかと思ったら……、三木と一緒だったのか」
「う……? うん……、そう……」
晶は照れくさそうに頬を掻 いている。まるで、デート現場を目撃されたようなその反応は、やはり好ましかった。だが、それになぜかいい顔をしなかったのは純だ。純はいかにも面白くなさそうに鋭い視線を三木に向けた後、やけに明るい声を出した。
「三木、悪いなぁ。ここんとこ晶がすっかり面倒かけてるみたいで」
「いや。花火は俺が誘ったんだ。晶と一緒に行きたかったからさ」
「そうか……」
また。純の顔色が曇 った。目を逸 らし、彼は三木の顔を見ようとしない。どこか、視界に入れないようにしているようにも見える。晶はそれに気が付いてはいないようだ。照れくさそうに頬を真っ赤にして腹の辺りで両の手を握り、何度も何度も握り直している。
「じゅっ……、純ちゃんは? 彼女とデート?」
純は「あぁ、まぁな……」と返事を濁 した。その手にはラムネが二本握られている。大方、彼女とデートにでも来たのだろう。喉 が渇いたと言い出した彼女の為に、ラムネを買って、戻るその途中で晶を見つけた、といったところか。ただ、なぜだか彼はそれについて、あまり話したくはなさそうだ。
「晶、お前三木によくお礼言っとけよ。こいつは受験で忙しいのに、お前にわざわざ付き合ってくれてるんだからな」
「わかってるよー……」
嫌な言い方をする。それではまるで、三木が晶の相手を仕方なくしているようではないか。先にも言った通り、晶を花火に誘ったのは三木だ。三木は晶に会いたくて会っている。だが、純はそれを聞き流して、まるで三木が晶と嫌々 会っているようなことを再び口にした。それはどこか純が、「そうであって欲しい」、「その方が都合がいい」と言っているようにも見える。
まさか青野……。いや、まさか、な……。
「晶。お前、メシはどうするんだ? 花火終わったら帰るんだろ?」
「えっと――」
「夕飯は晶と食べて帰ろうかって思ってるよ」
三木は答える。それに返事すら返さない純は、こちらを見ようともしていなかった。だが、三木は真っすぐに彼を見つめた。
「本当はね、さっきたこ焼き買ったんだ。でも花火に夢中になって、食べるのすっかり忘れちゃってさ……。ね、三木先輩!」
「うん、そうだね」
「へぇ……」
純はさも興味がなさそうな声を出したが、どこか不服そうでもあった。間違いない。彼の様子は明らかにいつもと違っている。晶は気付いていないが、苛立 ちを必死に堪 えているようだ。さっき向けられた鋭い視線だって気のせいではない。しかも、その原因はどうやら三木にあるらしい。と言っても、彼に対して何か気に障 ることをしたような記憶は、三木にはなかった。思い当たることがあるとすれば、たった一つだ。
「先輩、もう行きましょう。早く行かないと店いっぱいになっちゃいそう」
「あぁ、それじゃ青野。また――」
「あ、三木……」
「何?」
「いや、いい。後で連絡する」
「……わかった」
元々、純とはそれほど仲がいいわけではない。彼はクラスメイトではあるし、きっかけはもう忘れたがケータイの番号だって知っている。しかし、本当にそれだけだ。データはデータとしてあるだけのことで、その番号にかけたことはたぶん一度もなかった。普段、教室内でも、三木は純と必要最低限しか話さない。そもそも、性格的に合わないのもあった。それなのに、「電話する」と言うのだから、純には余程、話したいことがあるのだろう。
三木は晶を連れてその場を後にした。帰る人の波に乗って土手を上る。だが、背中には鋭い視線が刺さっていた。それを感じて、三木は確信する。
もしかして青野 ――。
三木が推測するに、純はさっき、嫉妬していた。三木とほとんど目を合わさなかったのはそのせいだ。苛立 った口調も、背中に刺さっている視線も、たぶんそのせいだ。
でも、青野は付き合ってる子がいるんじゃなかったのか。なんだって、急に晶を気にするんだろう……?
理由はわからない。だが何にせよ、純は面白くないのだろう。晶への気持ちが恋愛感情なのか、友情なのかは定かではないが、晶が三木と一緒にいるのは我慢できないようだ。
「勝手な奴……」
「え? 先輩? 何か言いました?」
「あぁ、ううん。なんでもない」
ひとまず今は、彼がライバルかもしれない、ということを隠して笑顔を見せる。ただし、その陰 で不安を抱 いた。晶はどう思うだろう。失恋したとばかり思っていた恋が急に叶うとわかったら。ヤキモチを焼かれていると知ったら。忘れかけていたはずの気持ちでも、あっという間に再燃してしまうのではないだろうか。
晶を、青野には渡したくない……。
だが、その可能性は決して低くない。三木は悶々 としながら、晶と共に駅前へ向かった。
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