13 / 23

【浴衣デート】1~三木葉介~

 晶と出会ってから三週間が過ぎた。学校は夏休みに入っている。高校生最後の夏休みはアルバイトもほどほどにして、受験に向けて進路を決めたりしなければならず、必然的に忙しくなる。三木は勉強の成績はそう悪くなく、順位は上から数えた方が早い。すでに志望大学も決めてある。三者面談をした時にも、それには特に問題はないだろうということで、進路の方はかなりスムーズに決まっていた。そうは言っても、秋になればこれまで通りというわけにはいかず、受験勉強の為にアルバイトは一時的に休ませてもらうことにはなっている。つまり自由になる時間は今後、確実に減っていくのだ。それは晶と会う時間が少なくなるということでもある。  この夏休みの間に、晶に好きだって言いたい……。  晶とは相変わらず頻繁(ひんぱん)に会っていた。アルバイトがある日には、ちょうど退勤する時間を見計らって、晶が店先までやって来ることもある。彼は、ほんの数分、三木に会うだけの為にやって来てくれるのだ。三木はそんな晶に、途方もなく()れている。晶もきっと、三木には好意を持ってくれている。それが恋愛感情なのかどうかまではわからないが、彼が三木を人として好いてくれ、信頼してくれていることは確かだ。  こんなこと今までなかったから、自信ないけど……。でも、何となく、いい感じ……だよな。  思い返してみれば、実に妙な出会いだった。二人は互いに恋を失って、沈んでいるタイミングで出会ったのだから。晶がしたためた、純へのラブレターを三木が拾い、届けたあの時から、二人は始まっていた。  顔を何となく知っているだけの彼を思わず(なぐさ)めたのには、同情も少なからずあった。もちろん、外見で()かれたのもある。けれど感情表現が豊かで、無邪気な晶のすべてを、三木は好きになったのだ。決して楽ではなかったであろう同性の幼馴染への気持ちを告白しようという勇気や、思い切った行動に出られる真っすぐなところには憧れすら(いだ)いている。今では、間宮のことを思い出す(ひま)もないくらい、三木は来る日も来る日も晶のことばかり考えていた。  気持ちを伝えるのを怖がって、また何も伝えないまま失恋するのはもう嫌だ……。晶が誰かに取られるのも絶対に嫌だ。  ただし。気持ちを打ち明けるタイミングはそれなりに選びたいものだ。三木は二歳年上ということもあるし、ちょっとかっこよく見せたい。静かでちょっと雰囲気がいい場所で、落ち着いて話なんかできたらいいと思う。また家へ来てもらうのも悪くないが、もう少し特別感が欲しいものだ。  ふとカレンダーに目をやった。今日は八月の一週目。週末になれば、毎年この地域ではビッグイベントがある。  花火……でも誘ってみようかな。  今週末、地元では花火大会が開催される予定だ。それは、駅から少し歩いて行った先の河川敷で行われる。隣接する市との合同企画で、毎年二万発もの花火が上がるのだ。デートへ誘うならおあつらえ向きである。静かで落ち着いた場所とは程遠いが、帰り道でなら、話をするタイミングはきっとある。 「よし……」  三木はケータイを握って、晶に電話をかけた。彼はいつも通り、すぐに出てくれた。 『先輩、こんにちは。どうしたんですか?』  普段遊ぶ約束はメールが多い。そのせいか、晶は少し不思議そうだった。 「晶、今度の土曜日なんだけど夜、時間ある?」 『夜? はい……』 「もしよかったらなんだけど、一緒に花火、観に行かない? 川沿いで、花火大会あるだろ?」  (わず)かに間があって、三木の心臓が緊張の音を刻み出す。しかし、すぐに弾みに弾んだ晶の声が飛び込んできた。 『い、行きたい……っ! 行きます!』 「よかった! じゃあ決まり。夕方六時半に駅前で待ってる。あそこからなら川沿いまで近いと思うから」 『はい……!』 「楽しみにしてるよ」 『あっ、あの……、先輩……!』  不意に呼ばれて、三木は危うく切りそうになったケータイを持ち直した。 「何?」 『おれも、楽しみにしてます……』 「うん。じゃあ、また土曜日」 『はい』  通話が切れた。三木は押し入れの衣装ケースを引っ張り出す。その中からこれまであまり出番のなかった浴衣を取り出した。  花火大会の当日、夕方六時半。天候は朝から良好だった。確か、今日はテレビの天気予報でも猛暑日になると報じていたはずだ。予報はしっかり当たっていた。風が弱いせいか、体感温度も相当高く感じる。だが、こういう日は花火大会にはうってつけだ。風が強いとその時の風向きによっては煙で花火が隠れ、観えなくなってしまうことがある。真夏の夜、風があるのは心地がいいが、あまり強くなるのは花火を観る側にとっては良くない。  駅前のロータリーのアスファルトは、真夏の太陽の日差しを一日中取り込んで、日の暮れかけている今もまだ熱を発していた。その蒸すような暑さと緊張で、着慣れない浴衣に汗が(にじ)んでいく。三木はこれまででたぶん一番、緊張していた。  身に(まと)っているのは以前、背伸びをしたくて何となく買った深い藍色の浴衣。これを着たのは二度目だ。初めて着たのは、確か去年の夏のこと。あの時は、友人同士である神社の祭りへ出かけたのだった。  当時、すでに間宮に恋をしていた三木は、間宮がその祭りに毎年行っていると話していたのを聞いて、祭りを楽しむことも二の次で彼の姿を探したのを覚えている。どこかでばったり会えやしないだろうか――と、帰り道まで周囲を気にして、友人には最後まで怪訝(けげん)そうな顔をされた。結局、間宮とは会えず、ひどく落胆したが、それも今となっては懐かしい思い出の一つとなっている。  いつかはこれを好きな人とのデートに着ていきたいと思っていた。浴衣を着て、大好きな人と祭りへ行きたい。夏の花火を観たい――と。それが今夜、叶うのだ。もっとも、今日をデートだと思っているのは三木だけなのかもしれないが。  晶……。早く来ないかな……。  晶がやって来るのが待ち遠しい。今日という日をあまりに楽しみにしていて、三木は夕べ、夜遅くまで寝られなかったくらいだった。ただし、もうあと数時間もしないうちに気持ちを打ち明けることを思うと途端に緊張して、汗は余計に(にじ)んでくる。晶も、純にラブレターを渡そうとしたあの日、こんな気持ちで待っていたのだろうか。高鳴る心臓の鼓動を感じながら、晶をひたすらに待つうち、遠くから声がした。 「三木先輩!」  三木は声のした方へすぐ振り返った。 「晶……!」 「すみません……! 遅くなって……!」  その声と姿に、高鳴っていた心臓を鷲掴(わしづか)みされたような心地がした。胸の奥がきゅうっと狭くなって、微かに痛みまで感じる。よたよたと不格好に、だが、懸命に歩いてくる晶は、浴衣を着ていた。 「晶も浴衣で来たんだ……!」 「だって、その……、せっかくだし……」  恥ずかしそうに頬を()いて目を()らしながら、晶は答える。  あぁ、もう……。すっごく可愛い……。 「もしかして、今日着るのに買ったの?」 「いえ。従兄がいるんですけど、おれと似てて、チビなんで借りたんです」 「そうなんだ」  明るい灰色のしじら織りの生地が晶に本当によく似合っていた。自分で結んだのか、そうでないのかはわからないが、帯もしっかり結ばれ、手には浴衣に似合いの信玄袋を持っている。どれもこれも晶にぴったりで、借り物とはわからないほどだ。 「行こうか」 「はい!」  二人は駅前のロータリーから河川敷へ向けて歩き出した。駅を背にして歩いて行けば、そこへはほんの数分で着く。だが、歩道はいつもとは違って多くの人でごった返していた。それどころか、人の流れにうまいこと乗り損ねると、ただ進むことすら難しい。晶は小柄なせいもあるのか、時々人の波に押し戻されそうになりながら、懸命に三木の隣を歩いていた。 「すごい人だな……。晶、はぐれないように――」  そう言って隣を見たが、晶はいつの間にか忽然(こつぜん)と姿を消している。見れば、三木の五メートルほど後ろを埋もれそうになりながら必死に歩いている晶が見えた。父親(ゆず)りの百八十三センチの身長は、こういう時には本当に役に立つ。三木は晶が来るのを待ってから、手を取って歩き出した。 「あ、あの……、あの、先輩、手……」 「ちゃんと俺の(そば)にいて。晶」  俺が、手を引くから。  晶は顔を真っ赤にしながら無言でこくこくと頷き、ぎゅっと三木の手を握り返す。晶の体温が手の平からじんわりと伝わってくる。その熱が愛おしくて胸が苦しくなる。 「……よし」  とりあえず人の流れに乗って、川の土手の上まで何とか上ることができた三木は、晶の手を引き、そのまま河川敷に並んだ屋台を見て回った。人混みの中でもみくちゃになりながら、やっとたこ焼き一パックとラムネを二本買う。屋台で買い物をするのに握っていた手はやむを得ず離したが、その熱はしばらく冷めなかった。 「さてと、どの辺りで観ようか」 「あっちの階段の方とか……どうですか?」 「あっ、あの辺なら()いてるかもね――」  そんなやり取りが続いた、次の瞬間だった。夜空には突如、ヒュルルル……という高い音が響き渡り、大輪の花が次々に咲いた。途端に「わあーっ!」という歓声が上がる。あちこちから拍手が上がる。連続して上がった花火が、夜空に咲いては次々に散っていった。それを追いかけるようにドウン、ドウン、と腹の底に響くような爆音が鳴る。 「おぉ……」  隣で小さく、とても控えめに晶が感嘆(かんたん)の声を漏らした。それを横目で見て、三木は目を細める。ほどなくしてまた花火が上がると、晶がまた控えめに「すごい……」と声を出す。音が鳴らないくらい控えめな拍手をする。そういう反応がいちいち可愛くて、三木は晶への気持ちが揺るがないものになっていることをしっかり確認させられた。体の中では花火の爆音と、胸の鼓動が一緒になって響いていた。  ふと見ると、花火に夢中になっているせいか、晶が手に持っているたこ焼きは、今にもその手から落ちそうになっている。三木はそれを受け取るようにして手に取った。晶が三木に目を向ける。 「持っててあげる」 「あ、ありがとうございます……」  三木はたこ焼きとラムネを持ち、晶と共に河川敷の比較的、空いている場所を見つけると、その草の上にしゃがんだ。言葉はさほど交わさなかった。空を見上げ、降るような花火をひたすらに見つめる。夜空に次々に上がるスターマインから、大輪を咲かす枝垂(しだ)れ花火、ハートや花の形をした可愛らしい花火が次々に上がっては散るように消えていく。

ともだちにシェアしよう!