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【勘違い】2~東山晶~
その翌日――。そろそろ夏休みの課題にも手をつけなければ、と晶は日中から珍しく机に向かっていた。課題は各教科一つずつ出されている。しかし、集中力は五分と持たなかった。さっきから晶は足をぶらぶらさせて、ノートの隅 で三木の名前を書いては消し、書いては消しを繰り返している。言わずもがな、これは夕べ、三木に抱きしめられた時のことが、繰り返し頭の中で思い出されてしまうせいだった。
はぁ……。先輩と両想いだったらいいなぁ……。そしたら一緒に勉強とかして、デートもたくさん行きたい――。毎日メールして、大好きだって伝えるんだ――。
恋人になったら、呼び方だって少し変えたりしてみたい。今は『三木先輩』とか、『先輩』と呼んでいるが、たとえば、『葉介先輩』と下の名前で呼んでみるのはどうだろう。それとも……。
「葉、介……」
名前を書いて、また消した。その名前を口にしただけで、頬がかあっと熱を持つ。
「い、いくらなんでも呼び捨てなんて失礼だよね……」
独り言を言いながら、へらりと笑う。だが、ハッとして、葉介の葉の字だけをもう一度書き直し、その下に、「くん」と書き足した。
「葉くん……」
もう一度、名前を呼んでみる。一度も呼んだことのない呼び方で、親しげに。だが、そういう自分にも恥ずかしくなって、晶は机に突 っ伏 した。
「うぅ……。先輩に会いたいなぁ……。――あ、そうだ!」
ふと、三木に勉強を見てもらうという下心丸出しの誘い文句を思いついた。だが、彼は夕べ連絡をくれると話していたはずだ。大丈夫。待っていれば三木は今日きっと連絡をくれて、また会える。そして今度こそ、誰にも邪魔されずにゆっくりと話ができる。晶は自分にそう言い聞かせ、会いたい気持ちを堪 えた。よし、気晴らしがてら、真剣に勉強をしよう、と思い直したものの、残念ながらその集中力はやはり五分と持たない。
おれ、先輩の恋人になりたい……。次に会ったら今度こそ絶対に言うんだ。慌てないで、ちゃんと落ち着いて、大人の男っぽく、ズバッと、ストレートに好きだって――。
その時、一階で玄関が開く音がした。母親と誰かの話し声がして、階段を軽快に上がって来る足音がその後に続く。微 かに聞こえる声と足音で晶にはすぐわかった。
……純ちゃんか。
今日は珍しく部活が休みらしい。明後日にはインターハイが控えているので、サッカー部は調整期間に入っているのだろう。
「おーい、晶ー? なんだぁ、お前。勉強なんかしてんのか」
「夏休みの課題。休み入ってから全然手つけてなかったからさー」
「遊びすぎなんだよ、お前は」
部屋へ入って来るなり純はそう言うと、純は晶のベッドの上に寝転んだ。ここへ来ると、彼は大抵そうする。昔からずっとそうだった。ただ、気のせいだろうか――。今日の純は、どこか仏頂面で、苛立 っているようにも見える。
「いいじゃん、別に。純ちゃん、なんか用なの?」
「ああ。まぁ、大したことじゃないんだけどさ」
「何?」
「お前さ、もう三木に面倒かけんのはやめろよ」
晶は思わず手を止めた。一体、どうしてそんなことを急に言い出すのだろう。
「何それ。おれは別に、先輩に面倒なんかかけてないよ」
「かけてるだろ。懐 くのはいいけど、ほどほどにした方がいい。あいつだって暇 じゃない。受験生なんだぞ」
まるで親か教師みたいな口ぶりだ。えらそうにそう言う純は、いつも通りではある。ただ、三木のことに関してとやかく言われるのは我慢ならない。今は単純に、幼馴染としての好意だとしても、純が憎たらしくなった。
「わかったな。どっか遊びに行きたいなら、オレが一緒に行ってやるから。明後日で部活も終わりだし――」
「……やだ。三木先輩がいい」
「お前な……、ガキくさいこと言ってんなよ」
「なんだよ、えらそうに! 純ちゃんだって受験生じゃん!」
「オレはスポ薦 だから。ほぼ決まってるようなもんなんだよ。でも、あいつは違うんだぞ。勉強して一般で受けるんだから。夏休みに入ってまで遊んでもらうのは、あいつにとっても重荷になるんだよ。――お前、迷惑になってるってわからないのか?」
その言葉に思わずドキッとする。いつも優しく世話焼きな三木にとって自分がどういう存在なのか。それはずっと気になっていたことだったし、もし恋人になった時にも、二つも年下の自分で大人びた三木と釣り合うのかどうか、それに不安がないわけではなかった。それでも三木が優しいから、晶と一緒にいてくれるから、きっと同じ気持ちなのだと信じて疑わなかった。まさか、自分が迷惑になっているなんて思いもしなかった。
「迷惑……?」
「そうだよ。オレはあいつと二年間クラスが同じだからわかるんだけどさ。あいつは優しすぎるとこがあるんだ。だから、お前が懐 いてくるのを突っぱねたりできないと思うし、断れないんだよ。お前からもう少し遠慮してやれ。受験勉強の邪魔することになったら、良くないだろ」
「ねぇ……。もしかして三木先輩……、昨日、おれのこと何か言ってた?」
晶は思い出したのだ。夕べ、二人は何かを話したはずだった。それはもしかしたら、自分のことだったのかもしれない。晶はドキドキしながらそれを訊 ねた。すると、純は頭を掻 き、言いにくそうに答えた。
「あー……。いい加減、お前がちゃんと面倒みろって言われちゃったよ。あいつも忙しいんだってさ!」
笑いながら言った純の言葉が胸に刺さる。体の力が抜けていく。やっぱり、三木も晶を弟のように可愛がって世話を焼いてくれているだけだったのだろうか。夕べ抱きしめられたのは、可愛い弟みたいな存在だから。花火に誘ってくれたのも、手を握られたのも同じ理由かもしれない。
「あぁ、そっか……」
晶は立ち上がって部屋のドアを静かに開ける。昨日、彼が別れ際 に言っていた「晶に話さなければならないこと」というのはたぶん、この事だったのだ。
「晶……?」
「純ちゃん、ごめん。今日はもう帰ってくれる?」
「晶……。おい……」
「ちょっと一人になりたい……」
体が重くなっていくような心地がする。晶は勝手に「三木と両想いかもしれない」と浮かれて、すっかり期待していた。その分、ショックは大きい。もう何も考えたくない。しばらく毒虫のようになって、ベッドで丸くなって眠っていたい。ところが。
「晶……」
「何――わ……っ」
純は晶が開けたドアを強引に閉める。そうして、そこに押しつけるようにして、晶を突然、抱きしめた。
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