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【夏の終わり】4~東山晶~

 翌日から新学期がはじまった。日毎(ひごと)に暑さは和らぎ、空は高さを増していく。季節は秋へと移り変わっているのだ。しかし、それに寂しさを感じることもない。三木と一緒に甘い時間を過ごす昼休みも、自転車をゆっくり漕ぎながら帰る放課後も、晶は毎日楽しみで仕方ないからだ。ただし、三木は三年生の教室に晶がやって来ることだけは異常に心配し、なるべくなら避けようとしていた。彼は今も、ホームルームの後、相変わらず迎えに来てくれる。聞けば、晶と純をあまり会わせたくないのだと言う。ヤキモチも当然あっただろうが、その(かげ)で彼が純を気遣っていることを、晶は知っていた。  純に「三木先輩と付き合うことになった」と報告したのは晶だ。純はそれを聞いた瞬間、落胆して沈んだ表情を見せたが、「大事にしてもらえよ」とだけ言って、それからはまた元の幼馴染としての関係に自然と戻った。  また、晶はこの秋からアルバイトを始めた。場所は駅前の洋食屋だ。つまり、二人は学校やデートの時だけでなく、今や同じアルバイト先でも会うようになった。と言っても、二学期に入ってからすぐ、三木は受験の為にアルバイトを長期間休むことになったので、実際のところ三木に会えるのは、デートか学校で、ということがほとんどだった。因みに。晶は三木のことを二人きりの時のみ「葉くん」と呼んでいる。  九月の下旬。いくらか残暑が薄れてきたある日の夕方。晶は三木と帰り道にちょっとだけ寄り道をして、土手までやって来た。夏、二人でほぼ無言のまま花火を観た、あの河川敷だ。 「そっかぁ。じゃあ、大学はもう決まったんだ……」 「受かるかどうかはまだわかんないけどね」 「絶対大丈夫だよ! ……葉くんなら」 「ありがとー、晶!」  後からわかったことだが、三木は頭脳明晰な優等生だった。大学受験などまだちらとも考えていない晶にもそれがわかるほど、三木が受けようとしている大学は名門だったのだ。 「大学生になったら俺、免許取りに行くからさ。そしたらドライブデートもできるよ」 「ドライブデート……」 「そ。そのうち、旅行とかも行けたらいいね」 「旅行……! どっかに、と、泊まるの?」 「そうだよ。泊まりは嫌?」 「ううん。嫌じゃない。でも……」 「でも?」 「ちょっと、ドキドキする……」 「俺も。ドキドキする」  癖毛の髪を優しく撫でられて、撫でた後はちゃんと整えてくれる。しかし、整えたそばから指先に巻きつけたして手遊びを始めたりもする。晶は三木にそうやって()れられるのが好きだ。そうされるのをいつも期待している、と言ってもいい。しかし、こんな風に同じ制服を着て一緒に帰ることができるのも、いちゃつきながら寄り道ができるのも、あと半年ほどだ。 「あの……、葉くん。おれもさ……勉強、頑張るね」 「ん? どうしたの? 急に」 「おれ、今からすっげえ頑張って、葉くんと同じ大学、目指したい……!」  そう言った次の瞬間。晶の唇は一瞬で(ふさ)がれた。 「ん……っ」  唇はすぐに離れた。だが、晶は慌てて周囲を見渡す。 「だっ、だめだよ、こんなとこで……。誰か見てたらどうするの……」 「大丈夫だって。誰も気にしないよ」 「でも……」 「大丈夫。それより、浪人するなよ?」 「うん、絶対、現役で合格する! 今からすっごい勉強するから!」 「じゃあ、受験勉強のついでに、晶の勉強も見てあげよっかな」 「ほんとに? やった!」  葉介と出会った夏が終わって、今は秋。きっとあっという間に季節は過ぎていくだろう。やがて厳しい冬が来て春を感じる頃、愛おしい彼は高校を卒業する。だが、二人の関係はどんなに季節が巡ろうと変わらない。晶は葉介の(そば)で、来年も再来年もその先もきっと笑っていられる。ただし。できれば来年の夏には泣き虫を卒業して、自分の身長がもう少し伸びていたらいい。そしてちょっとだけ背伸びをして、今よりちょっとだけ大人なキスをしてみたい。  毎日、頑張って勉強して、牛乳飲まなくちゃ……。  そんなことを考えていた時――。不意に葉介が晶の手を取った。指先できゅっと握って笑みを浮かべ、葉介は言う。 「晶、ずっと俺の傍にいて。俺、晶とずーっと一緒にいたい」  葉介の言葉に、晶は頷いた。 「おれも……、おんなじ。葉くんとずっと一緒がいい」 「ほんと?」 「うん!」 「じゃあ……、そのうち年取って、おじさんになって、よぼよぼのおじいちゃんになっても、俺のこと好きでいてくれる?」 よぼよぼの老人になった自分と葉介を思い浮かべて、晶は思わず噴き出した。だがすぐに「当然」とばかりに頷く。 「ずっと好き。おれ、葉くんと一緒によぼよぼになる」  ふふ、と笑みを(こぼ)しながら冗談めかして言った。すると、葉介は眉尻(まゆじり)を下げ、真っ赤な顔で嬉しそうに微笑(ほほえ)みをくれた。細くなったその瞳は、やがて、うっとりと晶を見つめ始める。 「よ、葉くん……、あのさ……」 「ん?」 「あっ、あの、ちょ、ちょっと待――」 「やだよ」 言葉は呆気(あっけ)なく(さえぎ)られた。唇の上には、柔らかな熱が乗る。彼は日が沈んでいく夕暮れの中で、もう一度、とびきり優しくて甘いキスを、晶にくれた。

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