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後日談 しあわせな男
レース越しの陽光が、柔らかそうな頬の上にチラチラと斑紋を作る。
生ぬるい風が絹糸のような黒髪を撫で震わせていく。
朝からこのぬるさでは昼には暑くなりそうだな、などと思いながら丸みを帯びた額に鼻を寄せる。
彼に合わせて調合させた植物オイルの甘酸っぱい香りに、温められた汗の匂いが交じる。耳の上辺りに鼻先を押しつけ、胸いっぱいにショウの匂いを吸い込む。
――ふぁあああああ! 芳しいーーーー!
嗅ぐ度に感動を覚えずにいられない。じわじわと胸の辺りが引き絞られる。
――奇跡だ……
「ショウ、お前はまさしく奇跡の存在だよ」
つぶやきが口から漏れてしまう。
この滑らかで吸い付くような柔らかさの頬。
しみ一つも見当たらない象牙色の肌。
もっともこれは我々の密かな努力のお陰でもある。ショウを慈しみ、より一層輝かせる努力を、同士であるリァンとメイと共に日々重ねているのだ。
慎ましやかではあるものの、ツンととがった鼻。鼻先だけ心持ち上を向いているのがまた愛らしい。
続く上唇も心持ちとがらせて、密やかな寝息を漏らしている。ほんのりと開く口を彩る唇は、ぷくりと桃色に盛り上がり奥へと誘うようだ。濡れているわけでもないのに艶めき、触れたいという欲を沸き起こす。人差し指で触れてやれば吸い付くように迎えられ、ふるりと震えた後にむにむにと食むような動きをする。
にわかに下腹部に熱が集まっていくのを感じる。
長いまつげが揺れ、瞼がかすかに震えるが、目の覚める様子はない。瞼に隠された黒曜石の潤み。見上げられれば貪らずにはいられなくなる。束の間それを見ることは我慢しよう。
この僥倖を逃す手はない。逸る心を抑えつつ掛布をゆっくりとはぐってみる。
先ほどより幾分か強くなった陽光を照り返し、眩しさが広がる。
目をすがめ、その曲線を楽しむ。
――本当に奇跡だな。
密かに息を吐き出し、心を鎮める。俺の中心が脈打ちますます熱を上げている。
女性の体ほど押し出しは強くない。凹凸はささやかなものの、肩は薄く張り出し肩甲骨が影を作る。
何よりもこの背筋を走るくぼみ。ほんの僅かにしなりを見せて背から腰骨に走る。
その終点にはまさしく俺の手に収まる大きさの双丘が広がる。
血筋ゆえ、俺は幼少の頃から様々な女性に迫られてきた。
それこそ下働きから皇太后まで。
幼少期から口さがない女達に囲まれていたことで、女達の本性も知っていたし、兄の不審死に女の影がちらついていたことで、青年になる頃にはすっかり女嫌いができあがっていた。
だからといって、軍部でよく見られる男色にもどうにも食指が動かなかった。試しに幾人かと関係を持ってはみたものの、心が動かされることもなく、愛というものを実感することなく過ごしてきた。
それがどうだ。
彼のものだというだけで、触れていたい、摘まんでみたい、吸ってみたい、舐めてみたい、挙げ句には噛んでみたいと欲求が際限なく湧いてくる。
うつ伏せで上を向いている双丘にそっと手を添える。柔らかいが小ぶりに締まっており、女性とは明らかに違う形をしている。だからといって自分たちのように四角い尻でもない。
張りがあるのに、表面は柔らかく指を迎え、もちもちと吸い付いてくる。すべすべとした感触を楽しんだあとは、背のくぼみに戻り指を沿わせてみる。背中にも薄いながら柔らかな肉がついているが、その下は締まりしなやかな筋肉を感じさせる。
浮き出た肩甲骨を撫でていると、「くふっ」と息を漏らし、もぞもぞと寝返りを打つ。くすぐったいのか口端が僅かに上がり、きゅっと唇を噛んだ。はじけそうな下唇に齧りつきたいがそれは後にしよう。
ちょうど反対側も愛でたいと思ったところだ。
仰向けになった体をまずは心ゆくまで眺める。
ささやかだか健気に尖る喉仏が愛おしい。浮き出た鎖骨ははかなさを際立たせ、舌を疼かせる。視線を滑らせれば、密やかな寝息に伴ってわずかに上下する胸。甘いものがこみ上げる。なんとも形容しがたいこの胸。やっと肉が乗ったとはいえ痩せ型の体。なのにここにはうっすらむちりとした肉を纏っているのだ。ああ、すぐにでも揉みしだきたい。そしてその中心に輝く至高の二粒。淡い桜色のそれは周りの肌よりもさらに柔く心持ちしっとりとしている。閨宿直として迎えた当初は、ここに触れてもむず痒いと尻込みするばかりだった。根気強く導き続けた結果、俺の所作一つで紅梅のように色づき健気に立ち上がるようになり、これを俺が育てたかと思うと胸の高鳴りが抑えられない。周囲にいくつも散る赤紫色の印を見れば、今すぐまた含み転がしてやりたいと唇と舌が主張しジンジンと痺れてくる。
腹にはスッと縦に薄く筋が入る。臍へと導くしなやかさを引き立てるこの線は俺の気に入りである。後ろから抱く際にはついつい指で確かめ辿ってしまう。宦官時代の癖なのかショウはとにかく細々とよく動く。下働きもいとわず手を出すのでこちらはハラハラすることもあるが、だらしのない体にならないのは良い。
おお、下腹部は見えそうで見えないな。言わずもがなの最高に魅力的な箇所だが、ここはせっかくなので、目を覚ましてから愛でることにしよう。10年もこうして側にいるのに、未だに見せてくれる羞恥にまみれた表情が俺を最高に奮い立たせる。
そう、こうやってこの美しく愛おしい生き物を愛でるのが俺の至福の時だ。
美食は、求めずとも在位中にし尽くしてしまった。そのせいか、今は特に珍しいものを食べたいとも思わず、むしろ家庭料理がもっとも美味しいと思える。滅多にないことだがショウの作るパンケーキなどは、例え真っ黒だとしても舌が快楽に痺れ喜んでしまう。まあ、家族と囲む食卓でショウが笑い、みなと和気藹々と食べるのを見るのが楽しいのだろうな。
ショウと家族たちを着飾らせるのは楽しいが俺自身は着心地さえ良ければこだわりはない。家電や最新機器も試すのは面白いが事業にも繋がっているので趣味というわけでもない。
だから、ショウを愛でることが俺の唯一の純然たる趣味なのだ。
こうしたことに存分に金が使えるのが、なんとも幸せだ。つい力が入ってしまい事業もトントン拍子である。財産も元々あるのだが、新生活の基盤整備と事業を興すのに使ったくらいで、その後の稼ぎで資産は増え続けている。
――奇跡だ。
改めて思う。胸の辺りに無限に沸き立つものがむずがゆい。
愛しい。この愛しい生き物を逃してはならない。この腕に囲い込み愛で続けていきたい。
ただ、それだけではダメなのだ。初めて見かけたときの澱んだ感情のない目を思い出す。大きな美しい形をした目に光がないことが異様だった。その後も自らの価値に気付くことはなく、その無私無欲に歯がゆい思いをしてばかりだった。先を見て希望を持たせるのに腐心し、屈託ない笑顔を見るためにどれだけ奮闘したことか。
慎ましく、贅沢もしない。穏やかで優しく感情の機微に聡いからか、子供たちにも慕われている。問いかければ機知に富んだ答えが返ってくる。見ていて良し、触って良し、語り合うも良し。この手の中にあることが奇跡だ。
読書と多少の庭いじり以外は特に趣味もないようだが、それでも仕事にやりがいを感じているようだから何よりだ。近頃はこども図書館の立ち上げにただならぬ意気込みを見せていて、キラキラと輝く瞳が見られて重畳の至りである。
常日頃、目立たぬようにボディーガードを着けているが、それに加えショウの上司、同僚ともに実は特殊部隊経験者を充てている。帝国時代の将軍が選りすぐった人材だ。子飼いの元諜報部員も備えて、ショウの身辺管理には万全を期しているつもりだ。
俺の手で、楽しませ、健やかに、幸福に過ごさせてやりたい。
更に輝く笑顔を見たい。
宦官とはなんと 人権に悖る存在であろうか。刑罰として、職業を得るために、はたまた出世するために。己の象徴を奪われ、愛を交わす機会を奪われ、性別というアイデンティティーをも奪われるのだ。子供にこれを行うなど人権蹂躙の最たるものといえよう。
即位した際に二度とこのような人権侵害がおこらぬよう厳しく禁止した。
ショウのような存在は二度と生み出されてはならない。
これは私だけのもの。
さて、今日はどうやってこの愛しい顔を輝かせようか。
鼻をすり合せたたあと、唇に甘く噛みついた。
了
最期までお付き合いくださりありがとうございました!
読んでくださった方、リアクション下さった方、心から感謝いたします。
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