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最終話
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すっかり体に馴染んだ本部支給の車を駆り、見慣れた路地を徐行で曲がる。いつも通りの駐車場に車を止めて運転席から降りると、車をはさんだ向こう側から、大柄な体躯と短く切りそろえられた黒髪が現れた。
助手席から降りた男は、どこか不審そうな顔であたりを見渡す。涼し気な一重の目が、これまた輪をかけて涼し気な、薄いクリアフレームの眼鏡越しにこちらを見た。
「……あの、合わせたい方ってどちらにいらっしゃるんですか?」
「心配しなくても、変な場所に連れてったりしないって。こっちだ」
怪訝な表情の男……今日から支援班の新しいメンバーとなった米原 明 巡査は、ビジネス仕様のリュックを手に、手招きする俺の後をついてくる。
そわそわと落ち着きのない様子は、約一年前、ここに連れてこられた俺とよく似ていた。
建物が居並ぶ裏路地を進み、クリーム色のビルの前で足を止める。二階へ続く細い階段を上り、踊り場に出ると、背後から訝しむ声が聞こえてきた。
「探偵事務所……?」
二階部分へ入る扉の横には、『桂木探偵事務所』と書かれたプレートが掲げられている。が、この事務所が本当の意味での“探偵”として機能したことは、おそらくほとんどない。
いつもならノックなどしないが、新人を連れている手前、形式的に扉を軽く叩く。数回のノックの後に扉の向こうに声をかけた。
「桂木さん、吉野です。入りますよ」
扉を開けた瞬間、コーヒーの香りがふわりと鼻先をかすめた。
部屋の中には、中央にソファとローテーブル、その横に籐編みの衝立があり、その奥に窓を背にして事務デスクが置かれている。
窓から差し込む日の光が、弱弱しく陰影をつける室内に、事務所の主はいた。
日差しに照らされてできた陰影の、ちょうど境目に立ったそのシルエットは、上半身から上が影になっていてよく見えない。まるでその体が影の中に溶けてしまったかのようだ。俺の横で、ハッと息を呑む音が聞こえてくる。
薄い影の中で人影が身じろぎする。ゆらりと揺れた前髪の合間から、妙に鋭い半眼がこちらを射貫いた。
「どうぞ。……お待ちしてました」
FILE 07:山魅 笑う 事件終了
―開示資料は以上である。記録は随時更新、詳細は以下に連絡されたし。
M第1事業所 常駐調査員:浦賀洋一
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