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第1話

 足を踏みだすたび、スニーカーの下でパキパキッと小枝が折れる。  もう一歩進んだら、いきなり地面がグジュッ……と沈んだ。 「うわっ!」  慌てて飛びのくが、もう遅い。堆積した落ち葉が泥状になっているちょうどそこへ、みごとに左足を突っこんでしまった。 「やっちゃったよ……」  あ~あ……と来人(らいと)はため息をつき、ローカットのスニーカーの内側まで入りこんだ汚泥を、足を振って払い落とした。すると背中のデイパックが振り子のように大きく揺れ、勢い余って膝からズブッと……バランスを崩して両手もベチャッと、手首まで。ついでに顔からメガネが外れ、ボトッと泥に落下した。 「……最悪だ」  四つん這いのまま、来人はガクリと項垂れた。    水上(みなかみ)来人は、小さな不動産会社勤務の二十四歳だ。  東京都心の一等地を売買するなら当社にお任せくださいと胸を張れない理由は、来人の勤める「日和(ひより)不動産」は埼玉県の西武球場駅から徒歩圏内という、便利か不便かよくわからない中途半端な場所にあるからだ。  周辺は球場以外にも中規模の遊園地や公立自然公園があり、神社や寺院も多いため、レジャー目的の乗降客は一定数いる。だがレジャー施設以外に、多摩湖と狭山湖という大きな湖を抱えているため、土地面積に対して定住者人口は少なめだ。  勤務先まで自転車で五分の社員用賃貸「日和レイクサイド・マンション」にひとり暮らしという生活環境を、「湖畔で自転車通勤って、フランス映画みたいですね」と無邪気に憧れる客がたまにいるが、そういう客には「昼間ではなく、日が暮れてからお越しください」とお願いしたい。  なぜなら、夕方にもなれば、窓の外は真っ暗なブラックホールと化すからだ。  多摩湖と狭山湖は、体を持っていかれそうなほど……もっといえば存在そのものを消されそうなほど果てしない闇に包まれており、日和レイクサイド・マンション在住歴二年の来人でも、いまだに夜には恐怖を感じる。窓の外を見つめているだけで底なし沼に沈んでいくような不安定な感覚は、深夜でも明るい都心で暮らす人間にはピンとこないかもしれないが。  こんな場所で不動産会社の看板を出していて、利益はあるのかと問われてしまうと少し困るが、都会よりも田舎を好み、忙しさを嫌い、ゆったりした時間の流れを愛し、贅沢や豪遊にも興味がなく、質素で平和に暮らせたらじゅうぶん満足な来人には適材適所だ……と、本気で語れば語るほど友人が減っていく地味な環境説明は、これくらいにして。  来人個人について、少しだけ説明しよう。見た目は、標準的な中肉中背より若干細め。ただ、容姿はさほど悪くはないという自覚はある。あるというだけで、自慢するほどのものではないから、しない。そもそも自慢する相手も友人もいないし、そういう相手を特に必要としていない。  根っからのインドア派のため、休日はほとんど外出せず、家でプラモデルか、モバイルで漫画を読んだりゲームをしたりして過ごすのが常だ。どうせ外に出ても、自分の生活とは無縁の野球場か遊園地か国立公園か湖しかないから、手元だけを見て休日を終えるという視野の狭さは、比喩ではなく現実である。来人にはベターな生活だ。べつに不平も不満もない。  就職と同時に実家を出たから、同居者はいない。彼女もいない。いない歴は、年齢と同数。取り柄をひとつ挙げるとしたら、中学、高校、大学、そして社会人二年目の現在、無遅刻記録を更新中というところか。  くどいようだが、べつに自慢するほどのことではない。……とはいっても、地道によく頑張っていると自分では思う。そう、視野は狭いが、卑屈ではないと思っている。自分のできる範囲でいいと、さほど広くない来人のキャパシティを許してくれる両親のおかげで、人並みの自己肯定感覚は育っている。要するに、身の丈ほどほど……ということだ。  そんなアクティブやチャレンジとは対極にある来人が、縁もゆかりもない「三重県伊勢市」の「山の中」を、泥にまみれながら彷徨っている理由は、ひと言でいうなら現地調査だ。  伊勢市といえば伊勢神宮で有名だが、わざわざ埼玉から、神宮参拝に訪れたわけではない。単に「日和不動産」に相談依頼が舞い込んだからだ。 「先月、親父が亡くなってね。行きもしない三重県の田舎の山を相続させられて、困っているんだ。一日も早く売り飛ばすか、有効活用する手はないか?」という、よくある遺産処分の相談ごとだ。  来人の上司・剛胆で恰幅のいい山岡(やまおか)社長と、社長の姪の秘書兼事務・ヒマさえあれば漫画を描いている美和(みわ)さんと、来月四十歳の頼れる先輩・爽やかナイスガイの角崎(つのざき)さんと、そして来人の計四人という弱小会社だから、基本的に、どんな依頼でもウェルカムだ。  ただし、その物件が実在するのか、価値はあるのか、周辺環境はどうかなど、実際に現地調査をしてから請け負うのは、不動産業界の鉄則だ。でなきゃリスクが大きすぎる。  だが日和不動産に入社後、来人が個人で担当した仕事といえば、自社が管理するマンションや戸建ての賃貸契約に、空き家の取り壊しや建て替えの仲介および立ち会い程度。今回のように山まるごとという、大きな不動産を扱った経験は一度もない。  それが一体どういう神様のいたずらか、山の依頼人・山田(やまだ)さんが来社した日の午前、いつもいるはずの美和さんが、「家の水道管が破裂した」とかで、たまたま半休を取っていた。そのうえ春の引っ越しシーズンで、山岡社長も角崎さんも大忙し。会社にいたのは来人ひとりだったのだ。  社長も先輩社員も不在であれば、自分が商談の席に座るしかない。とりあえず来人は名刺を渡し、あとで社長か角崎さんに回せばいいや……と軽い気持ちで受注書を作成したのだが、山田さんは来人を「担当」と決めつけ、一日も早く手放したいから、明日にでも現地調査に行ってくれと、無理な要求を強いてきたのだった。  困惑の末に山岡社長に相談してみれば、「それならお前が責任を持ってやり遂げろ。入社二年目なら、このくらいの仕事はひとりでやれるぞ。一泊二日で行ってこい」と丸投げされたというわけだ。  正直、責任の重すぎる仕事は気が進まない。金額の大きすぎる業務も、ひとりで扱う勇気がない。それよりなにより現場が三重県となれば、いつものように湖畔を自転車でチョロチョロ往復しているようにはいかない。つまり、面倒くさい。  難しい仕事は疲れる。新しいことを始めるエネルギーが勿体ない。テンプレの繰り返しなら、大きな失敗をすることもない。だから、テンプレから外れる業務は尻込みする。 「対象不動産近隣の会社を紹介してあげたほうが、絶対いいと思います」と、なんとしてもこの件の担当から外れたい来人は、自分にしては珍しく目に力を込めて社長に訴えたのだが、 「なに言ってやがる。依頼人は埼玉県民だぜ? こっちでやりとりするほうが、楽に決まってるだろうが」  と、これぞまさしく不動産会社のオヤジ的な濁声で、一蹴されてしまった。 「じゃあ、その……僕だけでは荷が重いので、角崎先輩も一緒に」 「バカヤロウ! ツノひとりで、どれだけの物件を抱えていると思ってるんだ! 十件だぞ、十件! このクソ忙しい時期に、三重県くんだりまで飛ばせるわけねーだろ!」 「……ツノさんはダメでも、僕は飛ばしていいわけですか、そうですか、そうですよね、ツノさんはひとりで五人分の仕事をこなしますもんね。僕なんて車の免許も持ってないから、徒歩圏内のお客様しかご案内もできなくて、いまだに半人前ですもんね。自転車しか運転できないって、不動産会社の社員として失格ですよね……ははははは」 「たりめーだ! 荷が重いというふざけたセリフは、運転免許を取ってから言えッ!」  ……訂正も、してもらえなかった。  そのうえ山岡社長には、「万が一にもショッピングモールを誘致できそうな土地だったら、ヨソに譲るのは勿体ねーだろ。うまく処分を持ちかけて安く買い叩いて、高値で転売すりゃ儲けはデカい」という、不動産転がしならではのギャンブラー的思惑もあるようで。 「……というわけで、僕が東海道新幹線と近鉄電車を乗り継いで、はるばる東京からやってきたわけだけど……」  インドア人間なだけに、陽気な春の日差しを浴びただけで体力を消耗する。  それでも来人は課せられた使命を果たすべく、気の進まない社会科見学に強制参加させられる小学生のような気持ちで、やや寂れた感のある駅で降りたわけだ。  そして慣れないバスを乗り継ぎ、該当物件の麓に辿りつき、標高にして四百に少し足りない「小山」程度の物件の内地調査に赴くべく、木々が生い茂る中を歩き回ったというわけだ。  歩いても歩いても、森の中。人の声は一切しない。誰かが歩いた形跡もない。たいした高さじゃないからと、舐めてかかった自分が甘かった。そして疲労のピークに達したタイミングで、手足とメガネを泥に突っこんじゃいましたというのが、一連の流れである。  アスファルトですら一時間も歩けば疲れるのに、慣れない山ではもっと疲れる。枝やら蔦やら雑草やら、腐葉土と化した濡れ落ち葉やらに、足どころかエネルギーを吸い取られているこの場所は、伊勢の外宮からバスに乗って、降りて、しばらく歩いた先にある、奥深い山の中……というところまでは理解している。  問題は、どちらが北で、どちらが南で、どこへ向かえば、入山場所に戻れるかだ。  リュックを背負い、モバイル片手にグーグルマップをチェックしつつ、車道から林道に入ったところまでは、よかった。そこまでは至ってスムーズだった。  そのあとだ。いきなり圏外表示になったのは。通話を試みても、通じない。メールもラインも届かない。  そこでひとまず引き返し、土地勘のある地元住民に案内を頼むなり、日を改めるなりすればよかったのだ。それなのに、一分でも早く仕事を済ませて帰りたいという気持ちが勝り、安全策を練るより先に、足が前へ進んでしまった。  先月から手がけている熊本城のプラモデルが気になりすぎて、早く石垣部分を塗装したいとか、ジオラマ用の小物も買って帰らなきゃとか、他のことに気を取られ、判断力が鈍っていたのかもしれない。  そのうち通じるだろうと軽く考え、モバイルをマウンテンパーカーのポケットに押し込み、ハイキング気分で進んでしまった自分の落ち度だ。  気持ちも足取りも重さを増し、ついに行く手を阻まれた。 『地図で見たところ、たいして標高があるわけじゃねぇな。山ってぇより丘だ、丘。景観も、この付近と変わらねぇだろ。だったら、たいしたことねぇよ。ハイキングのつもりで行ってこい』と、山岡社長は笑っていたが。 「ハイキングなんていう軽い言葉を、鵜呑みにするんじゃなかった」  いまなら社長に自信を持って反論できる。ハイキングではなく、開拓ですよと。丘ではなく、山でしたよと。高さはなくてもジャングルですよ。猿や猪や熊に突撃されてもおかしくないほど、鬱蒼と木々が茂っていますよ。結論としては、山登りの素人には到底無理な任務です、と。  それも単独行動だ。あまりにも危険。迷ったらそこで終了だ。脱出口を捜したくとも、もはや疲労はMAXで、判断力も欠如して、二十四にして迷子で…………。 「迷、子……?」  来人はゴクリと息を呑んだ。  リアルな言葉を発したとたん、ゾワゾワッと悪寒が走る。 「そうか。僕、迷子なんだ……」  迷子といえば三歳のとき、池袋の水族館に展示されていた海の動物たちの模型に夢中になっているうちに両親を見失ってしまい、館内放送されたことがある。そのあと四歳の夏にも、海で親とはぐれたか。記憶が遙か遠すぎて、これが迷子という状況だと納得するまでに、少しばかり時間を要した。 「山の中にも、インフォメーション・カウンターがあればいいのに」  いい大人が迷子になるわけがないという理由なき自信は、モバイルのナビゲート機能によって確立されたものだったのだ。その頼みの綱のモバイルは、電波をキャッチできなければ、ただの照明。来人の手元を弱々しく照らしこそすれ、人里への誘導能力はない。  来人はメガネを拾い、付着した泥を指で拭って装着した。逃げ場を求めて空を仰げば、来人を取り囲む樹木は、来人が暮らす三階建てマンションに匹敵する高さだ。びっしりと葉が茂り、視界を濃い色で遮っていて、果てしない高さと遠さに目眩がした。  一カ所だけ、枝と枝の間から空が覗いている。間違いなく外へ続いているという、ただそれだけで安堵する。全力で叫べば、人里まで届くのではないかと、無駄な期待を抱きそうになる。  だが、そこから見える空に浮かぶスモーキーピンクの飛行機雲が、「そろそろ日が暮れるよ。早く脱出しないと、今夜はそこで野宿だよ」とカウントダウンして、急きたてているようでもある。

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