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after & another story

gift3の数年後のお話になります。 カイトくんが大人になり、佐東のもとから離れていった後の物語を書き下ろしました。 短編ですがよろしければお付き合いください。 ****************** 『世話になったな、泉水』  まったくどうかしている。  死ねばいい、と、何度も本気で思っていたのに。  留守電の最後に聞こえたガシャガシャという不快な異音が耳につき、いやに胸をざわつかせた。  病院を探し出して駆けつけたのは、胸騒ぎの原因を確かめておきたかったからだ。それだけに過ぎない。  あれほどの事故で命が助かったのは奇跡だと担当医も言っていた。  事故じゃない、自殺だ。高速道路にかかる陸橋の鉄柵を無理矢理乗り越えて飛び降りたらしい。死ぬ間際まで傍迷惑な男。  まったくよく生きていたものだ。骨はあちこち折れていたが臓器の損傷は事故のわりに少なく、意識こそ戻らないものの脳も一応生きてはいるらしい。自活呼吸もできるようだった。やれやれこの男の頑丈さたるや。  死んだように眠り続ける男の枕元には常に僕の花束しかなく、見舞いに来る者もいないのだと思うとさすがに同情を禁じ得ない。僕に同情されるとは。この男もいよいよおしまいだ。  同情の花束を、前の花が枯れるたびに暗い病室へ持ち込んでやった。  病院が用意してくれた花瓶に花を挿し、ベッドの横に腰掛けて、何年も寝ていなかったかのように眠り続ける男の寝顔を見つめながら、僕は、じっと思案した。  この死にかけの男の息の根を、どうやって止めてやろうか。  粗野で乱暴で自尊心の塊で、いつだってわけのわからない自信に満ち溢れていた傲慢な男。  その男の生死はいまやこの僕にかかっている。  点滴の管に毒物でも入れてやればいちころだろう。その気になればいつでも出来る、簡単に。証拠の残らない薬物も僕なら容易に手に入れられる。 …実に愉快だ。  男の寝顔を眺めながら優越な妄想を繰り広げる小気味よいひとときは、やがて僕のささやかな楽しみとなった。  いつでも殺せる。  誰からも憎まれ続けていただろうこの男の最期を、僕だけが楽しむことが出来る。  そうだ。  どうせ殺すなら完璧な状態で殺してやりたい。  寝たきりであっても、生きていたころと変わらない状態で死なせてやろう。  合鍵は以前に男から渡されていた。あの子がいなくなってからは男の自宅に出向くことも無くなっていたが、捨てずにしまっておいてよかった。  許可も無しに男の自宅へ忍び込む。昔僕がされていたことだ。罪悪感など微塵もない。  洗面台の鏡の奥に男の香水を見つけた時は小躍りしたい気分だった。  何気なくマスクの上から香りを確認すると、胸の奥を突然刺すような痛みが走り抜け、思わず動揺する。 …この男に苦しめられた過去の記憶が蘇ったに過ぎない。香りと共に血気盛んだったあの頃の男の姿が脳裏をかすめたからといって、それが何だというのだ。  香水をジッパー付きの透明なビニール袋に入れてポケットに落としてから、それとなく他の部屋を散策してみた。  昔幾度となく訪れていたある小さな部屋に入り、思わず顔をしかめる。  あの頃のままだ。  ベッドもそのままで、勉強机まである。 ―― あの男…  とたんに吐き気ともつかないざわつきが体じゅうをよぎり、僕は慌てて男の家をあとにした。  なんだか殺す気も失せた。  僕の知っている男じゃない。  こんなくだらない男に、僕は今まで仰々しいまでの殺意を抱き、計画の実現を夢想しては心を躍らせていたというのか。 …立ち入るべきではなかった。これまでとは全く異なる感情で男を見下ろす。 ――早く死ぬべきだな、佐東。  とんだ生き恥だ。死にかけとはいえ、僕なんかに同情され、あげく自らの脆弱さを暴かれてしまうとは。 「…殺してほしいですか?先輩。」  ぽつりとした自分の声が灰色の病室内に響く。  手に入れた香水を取り出し、死体のような男ではなく自分の首筋につけてみた。 「…この匂い、きらいではないんですよ。」 …何を言ってるんだ、僕は。 「このまま僕がもらっていいですか?」  返答などない。あるわけがない。  僕はいよいよおかしくなってしまったのか。 「…今日は、あなたの家に行ってきました。」  は、と、ため息のような笑みがこぼれる。 「ひどいものだった。あなたは」  いまだに、そう言いかけて喉がつまり、僕はだまった。  外界から隔たれて取り残され、時間の止まった空間に立ち尽くしたまま、僕はうなだれた。 「…何か言え……」  硬質の床に透きとおった雫がぽたり、ぽたりと落ちていく。  その光景を眺めながら、僕は初めて、僕の心がずっとからっぽの喪失感にあえいでいたことを思い知った。  死ねばいい、と、何度も本気で思っていたのに―― ――ぱちん  頬の上で何かが弾ける。  椅子に座っていて、いつの間にかベッドに伏すようにして寝入ってしまっていたらしい。  目を開けると、太い指先が目の前にあった。 (……!)  片腕がかけ布団から抜け出ていた。  組んでいた腕もそのままに思わず片手で握りしめると、指が引っかかっていたのかマスクの紐が耳を引っ張る。  握った指がかすかに動いた。  顔を上げるとマスクが耳から弾けて落ちる。  男の目がうっすらと開いている。  酸素マスクの下にある唇がわずかに動いた気がした。  なに?  なんて言ったんだ!  布団を駆け上がるようにして男の顔に近づくと椅子が床をこすって音をたてた。  酸素マスクの向こうで、男は確かに笑っている。  僕の目を追おうとする黒い瞳。  意識が、確実に戻っている。  なんと言おうとしたんだ、さっき。  男の言葉を確認したくて耳を男の口元に寄せた。  男は、ややあって、かすれた声で呟いた。 ――泣くな  その言葉を聞いた途端に全身が雷に打たれたように震えはじめ、僕の呼吸はちりちりと乱れて焦げつき始めた。 ――泉水…泣くな  男の呟きが再び鼓膜を揺らす。  誰のせいでこうなったと思ってる。言い返したいのに僕はすっかり混乱してしまっているらしい。  殺したいほど憎んでいた。  実際殺してやろうとしていた。  なのに出来なかったのは、そうしなかったのは… …この涙の理由は?  僕はどうやら狂っているようだ。  同情と愛情とをはきちがえているだけ。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。あまりにも陳腐で愚かしい。  だが僕は、この男のすべてを知り過ぎた。  そしてこの男は…僕のすべてを知っている。 「…ひとりに…しないでください…… …ッ」  僕の心が勝手に吐露した言葉の、その先は…  男の顔の横で突っ伏したまま頭を上げることが出来なくなった僕の背中を、肘から折り曲げられた男の指先が弧を描くようにして不器用に軽く撫でる。  ざわつきがない。  自分の体の、こんなに近くに男の肌を感じているのに。  粗野で乱暴で自尊心の塊で、いつだってわけのわからない自信に満ち溢れていた傲慢な男。  まったくどうかしている。  死ねばいい、と、何度も本気で思っていたのに―― ――きっとこれからも何度となく思うだろう。  今日のことのことを後悔する日が来るだろう。  生かしてはならない男を生かした。  留守番電話を聞いた後の妙な胸騒ぎは、このことを予見してのことだったのかもしれない。   なのに今は、それがうれしくて、男の前で無様に泣きむせぶ自分がいる。 (これでまたひとりきりにならずにすんだ) 「…あぁ… ……タバコ吸いてぇな…」  今度は割としっかり呟いて、ふふっ、と笑ったところで「ッシぃいって…」男は顔をしかめたようだった。  嗚咽しながら男の香りを吸い込むたびに、からっぽの心に、少しずつ、あたたかなミルクが注がれていくような心地がしていた。 ==== END ====

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