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第1話

1 「いや、ほんとお前がいてくれて助かるよ」 「別に何もしてないですけど」 「話聞いてくれるだけでありがたいし」  よく晴れた空は、屋上からだと特に広く感じられる。 「ありがとな」 「だから別に……」  むっすりとした顔をしているが、別に怒っているわけではないのはわかる。信士は、俺より二歳年下だ。友人の篤士の弟だった。篤士の家に遊びに行ったときに顔を合わせてはいたが、こんな風に二人で話す仲になるとは思わなかった。  地上では野球部が投球練習をしていた。 「がんばってんなー、篤士は」  それをまぶしい思いで見下ろす。もともとここに入り込んだのは、こっそり練習を見るためだった。  小学校からの付き合いだからもう長い。部活が忙しいからすれ違い気味だが、篤士とは今もいい友人同士だった。だけど俺だけ、そこからはみ出た気持ちを持ってしまった。  いつからか、篤士のことが好きになっていた。彼は普通に片思いの女の子がいる。険悪になりたくもないし、告白するつもりもなかった。  だけど思いは膨らんで、出口を見つけていた。そうしてこっそり練習を隠し撮りしていたとき、信士に見つかった。 〝誰にも言わないですから、大丈夫ですよ〟  今年この高校に入ってきたばかりの信士は、兄よりもよほど大人びた少年だった。無骨な篤士よりも顔立ちはむしろ整っている。性格はぶっきらぼうで、俺は最初少し怖かったのだけれど話してみるといいやつだった。 〝俺なんかでよかったら話、聞きますけど。絶対に兄貴には言わないです〟 「告白、しないんですか?」  もう七月になってしまった。篤士と一緒にいられる時間は長くない。大学は別々になるだろう。 「だって、可能性ないだろ」 「でも、気持ちの整理つくかもしれないじゃないですか」 「……つかなくていいよ。バカみたいかもしれないけど、俺は、ずっと篤士を好きでいたい」  少しだけ信士が眉根を寄せる。実際、バカだと思われているのかもしれない。  でもこうして遠くから彼の姿を見れるだけで、満ち足りていた。確かに彼女ができたら辛いと思うけれど、でも、彼が幸せならそれでいいとも思う。 「あ、そうだ。これ篤士に返しといてくれないか? 前借りたマンガ。面白かったって言っといてくれ」 「わかりました」  信士は塾に通っている。その分、部活はしていなかった。 「部活、やればいいのに。モテるぞ」 「モテても意味ないですから」 「ほんとクールだよな」  そのまま一緒に駅まで向かい、そこで別れた。最近は信士が話を聞いてくれて助かっている。たまに彼は、家での篤士の様子も教えてくれる。普段見たこのない彼の話を聞くのは最高の楽しみだった。  篤士はもうすぐ部活の引退だ。屋上からのぞき見することもできなくなってしまう。信士の言う通り、告白ができたらいいのかもしれない。でも、まだそこまでの決意は持てなかった。  ・  塾のトイレはクリーム色の壁で、見ているとなんだか胸がむかむかしてくる。その苛立ちをぶつけるように、マンガの表紙を破り取った。カラフルなイラストが、小さなかけらになっていく。もう十分かと思って、水を流す。かけらはそのまま飲み込まれていった。  一冊を全部流すには時間がかかる。でも個室にこもったまま、紙をやぶいては何度も水を流していった。どうせ鈍感な兄は、マンガを返してもらっていないこと自体忘れているだろう。 〝ずっと篤士を好きでいたい〟 「……ふざけんな」  兄と二人で遊んでいるのを、遠目に見ることしかできなかった頃とは違う。やっと親しくなれたと思ったのに、彼の口から出る言葉は篤士、篤士ばかりだ。兄のこともこうして切り刻んでしまいたかった。兄より勉強ができても、顔立ちがいいと褒められても、欲しいものは手に入らない。 「俺の方が好きなのに……」  何ページもの紙を破り続けて指が痛かった。涙が紙と一緒にトイレの中に落ちていく。 「俺の方が」  呟きと一緒に、いっそ自分自身を流し去ってしまいたかった。

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