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140 冷静になれ:S

「もう少しかかる」  906号室のドアの向こう側で、友井が言った。 「おとなしく待ってろ。お前らはダチを迎えに来ただけで、俺たちと揉める気はない。そうだな? 坂口」  待て……だと!? 「ふ……」 「ブン殴って止めなきゃなんねーコト、まだやってんのか?」  ざけんじゃねぇって怒鳴る前に、坂口が静かに問い返す。 「博己(ひろき)が?」  数秒の間。 「用は済んだ。今、2人は……身なりを整えてる」  友井の答えに。 「じゃあ、中に入れてくれ」  坂口が言う。 「終わってんなら、かまわねーだろ」  友井が嘘を吐いてないなら。  その『用』ってのが、玲史と清崇(きよたか)がやられることなら。やられるのと引き換えたのは『コレを限りに自分たちと関わらないこと』で、それが終わってるなら。  もう、邪魔することにはならない。 「かわいい後輩を犯した俺たちに一発見舞わなけりゃ、気が済まないか」 「……そんなんしねーよ。高畑が納得してんのに俺が仕返しとか、おかしいじゃん?」  坂口が、友井の言葉を否定し。 「ただ……こういうコトしたヤツがどんな顔してんのか見たい」  続ける。 「八代と城戸はともかく。お前もリュウさんも博己も、俺の知んねー顔してそうだからさ」 「……俺を責めたけりゃ、好きなだけ責めろ。けど……」 「けど?」 「……博己を、責めないでくれ」  さっきまでと違う、弱さのにじむ声音で友井が乞う。 「頼む」  振り返り、坂口が片眉を上げる。  幸汰(こうた)が頷いた。  玲史をやったコイツの頼みなんぞ聞く義理はない。聞きたくもねぇが、それで中に入れるなら……。  責めずにいられる……か?  ヤツらの前でバカな真似はしない。  怒りに任せて殴りつけたりはしない。俺との関係がバレちまう素振りも見せない。  そうするつもりで。そう出来る自信はあると思ってる。  それでも。  坂口の言う通り……あいつが納得してるのに、友達の俺が仕返しするのは不自然だとしても。  ヤツらをブチのめしたい。罵りたい。  クズどもに思い知らせてやりたい…。  握る拳にさらに力を込める俺に。 「きみはここで待つか?」  幸汰が小声で聞いた。  待たない。待てない。1秒でも早く……! 「いや……」  首を横に振り。 「大丈夫だ」  博己を責めない。  友達のテイを崩さない。  玲史と一緒にここを出るまで。  頷く俺を見て、坂口が前を向く。 「わかった。開けろよ」  一呼吸置いて、ドアの鍵がカチャリと開いた。  友井、坂口に続いて中に入り。バカみたいに広い、リビングスペースらしきところへ。 「坂口じゃん。おせぇって。もうオヒラキだっての」  ソファーから腰を上げた城戸と。 「お前の後輩? すっげイイな。もっかいヤる気満々だったのに、残念だぜ」  八代に。 「黙れ。このクソが……」 「ダメだ」  向かってこうとする坂口を、幸汰が止める。 「2人が解放されるまでは、こっちに非を作るべきじゃない」  恋人を犯したヤツらを目の前にして。自分を抑えるのがやっとの俺と違い、幸汰はどこまでも冷静で。 「清崇(きよたか)と玲史くんはどこにいる?」  尋ねる。 「バスルームだ」  答えて友井が左を見やった。  途切れた壁の向こう。そこに玲史がいる……。 「リュウさんと博己は?」  坂口が問う。 「奥の部屋だ」 「ベッドルームか。来ないなら行く」 「……もうすぐ、来るはずだ」  友井の後方にある閉じたドアを見て、頭を振った。  嘘じゃない。  もう、終わってる。今、玲史はバスルームで……。 「あれ? そのデカいの、沢渡んとこの風紀委員じゃね? 俺らの邪魔したヤツ」  城戸が言い。 「そん時見かけたかわいいのと今日ヤれて、俺らラッキーっしょ。博己の元カレってのもアソコの具合、超よかったしな」  下卑た笑みを浮かべる。 「玲史のオトモダチ? 心配しねぇでも、ちゃんと気持ちよくイカせてやったぜ」  八代も。 「ッ……!」  唇を噛んで声を殺す。  上昇する血流で眩む目でヤツらを睨みつける。  握りしめて爪が食い込む手のひらの痛みで自分を保つ。  腹で唸る怒りを宥める。  俺が今出来ることをする。  冷静になれ。 「いい加減にしろ」  友井の声。 「坂口。八代と城戸は帰らせる。俺が呼んだ、ただの数合わせだ」 「……いい、よな?」  クズどもをブチのめすためにここに来たんじゃない。  玲史と清崇を確実に解放させるため。  確認する坂口に頷いた。幸汰とたまきも。 「またな」 「リュウさんにサンキューっつっといて」  無言の俺たちの圧の中。八代と城戸が部屋を出ていった。  そして。  それを見計らったようにベッドルームのドアが開き、現れたのは2人。 「ほんとに来たんだ。会うの久しぶりだね、とーじ」  この声。長めの薄茶の髪で涼しげな顔で微笑むこの男が……。 「博己……お前……清崇さん、を……」 「やったよ」  即答して、俺たちを見回す博己に。  誰も何も言わない。坂口も。幸汰も。たまきも。俺も。  博己を責めないと、友井に承知したからってだけじゃない。博己が、音もなく……泣いてるからだ。  涙に同情したわけじゃなく。怯んだわけでもなく。戸惑った。  悲しげじゃない。苦しげでもない。ツラそうでもない。もちろん、嬉しそうでもない。無しかない博己の瞳にぶつける言葉が、見つからない。 「坂口」  止まった空気の中。通話の画面で見た、真ん中分けの黒髪にメガネのマジメそうな男が沈黙を破る。  友井と2人でコレを仕組んで実行した、神野だ。 「宮内とたまきと、どういう繋がりだ?」 「……この川北が高畑のダチで、幸汰さんの知り合いなんだよ。んなことより、リュウさん。あんた……」 「何でこんなことをしたのか。どんな理由で。何を考えて。何のために」  坂口を遮り、神野が続ける。 「部外者のお前に説明するつもりはない。どうしても知りたけりゃ、清崇と玲史に聞け……聞けるならな」  外見と似つかない強い口調。 「2人と話はついてる。それでも納得いかないなら、俺を殴って気を張らせばいい。あとから文句は言わない」 「リュ……」 「俺もだ。やり返しはしない」 「友井……」  坂口は手を出さない。  幸汰も。たまきも。俺も。  手は出さないが、責める言葉はあるはずだ。なのに……出て来ない。  また、空気が静止する。  友井と目が合った。  悪びれず。かといって、挑むような目つきじゃなく。じっと俺を見つめる瞳は暗く。逸らされないその闇を見つめ返す。怒りを込めて睨み射る。  コイツが玲史を犯すのを見た。見せられた。見ちまった。  俺の玲史を……!  何を言うかわからないまま口を開け。  何をするかわからないまま足を動かしかけた時。    無音の中。やけに大きく、ドアを開閉する音が聞こえた。

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