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司「棘の鳥籠」→翔希「言えない言葉」

 人の悪意に鈍感だと、誰かに言われた記憶があった。  けれど実害はなかったし、晒されるとも思ってなかった。 「行くんでしょ?ホテル」  店の扉を出た途端、強い力で引っ張られて蹈鞴を踏んだ。煉瓦風に作ってある壁は固く、ぶつかった腕がずきりと痛んだ。  はっと怯えて見上げるも、薄暗い階段の照明では相手の表情が分からず、ただただ相手からの這い上がってくるような悪意だけが感じ取れた。 「あ、あの   店を変えて飲み直すんじゃ  」 「え?本気にしたの?」  事も無げに言われ、こう言う場所で話して気が合って……そうしたらホテル?  それが常識なのかはわかりかねたけれど、自分の希望でないことは確かで。 「す、すみません!オレ、  勘違いしちゃったみたいで、そう言うんじゃ  」 「だって機嫌よくついてきたでしょ!?」 「それは、 た 楽しかったから」 「あんな色っぽい顔して誘って、はいおしまいってないでしょ?」  強引に肩を掴まれると、運動が苦手なこの体では抵抗しきれなくて…… 「や、やめてっくだ   」  引きずり上げられた階段の壁で、また腕を擦った。  痛かったけれどその手を必死に伸ばして壁のとっかかりを掴んだ。 「こっちこい!」  いやだ!と声を荒げると、道を挟んだ向こうの歩道にいたサラリーマンが驚いたようにこちらを見てくれた。助けてくれるかも一縷の望みで視線を送ってみるも逸らされて……  他にいた通行人も見て通り過ぎるか見ずに足早に駆けていくかだけだった。 「たす  ……」  背に視線を感じて振り返った。  街灯の向こう、暗くてよく見えないけれど人がいた。  逃げて行かないその足が嬉しくなって、血の滲んだ腕を伸ばして助けを呼ぼうとした瞬間、 「何してんだ!」  オレの腕を握り締めていた手が弾かれ、倒れかけたところを抱きとめられた。  抱きとめてくれた腕から、微かに消毒液の臭いがする、そろそろと視線を上げると、柔らかな笑顔で「もう大丈夫だよ」と頭を撫でてくれた。 「出禁にすんぞ!!」  「gender free」のカウンターで話していた時よりも低い声で脅しつけ、男を追い払ってから店長はほっとした顔で振り返る。 「翔希、知らせてくれて助かった!店の前で騒ぎとか勘弁だし」 「それより救急セットある?」  オレの腕の傷を見た二人が顔をしかめる横で、オレは街灯の向こうに立っていた人物が気になって、そちらばかりに目を遣っていた。  スタッフルームはお店の雰囲気は欠片もなくて、コンクリート打ちっぱなしで殺風景で……華やかなものの舞台裏を見れて、こんな状況だと言うのにちょっとわくわくした。 「消毒液は?この長さだと、小さくつけるよりガーゼで一気にやっちゃうか」  手際よく腕の怪我の治療をする人物に、「お手数をおかけして申し訳ないです」と頭を下げると、いやいやと笑って首を振ってくれた。 「痛いだろう?大きな擦過傷  擦り傷ができてるね」 「ぅわ!」 「傷を見ちゃうと痛くなるから、向こう向いてていいよ」 「あ、ありがとうございます」  店長に親しく話しかけているところを見ると常連かもしれない。 「ああ、なんかこの傷」  そう言われてしまうと、見なくてもいいと言われた傷口を見たくなるのが人間で。 「棘みたいだね、ところどころ小さな花の咲いた」  手首から肘までの柔らかな部分についた傷は、薔薇の蔓のようで、ところどころ出血の激しい部分は確かに、薔薇が咲いているように見えた。  自分が、棘になったような…… 「医者が何馬鹿なこと言ってんだよ」 「ああ、ごめんごめん。えっと  名刺が、確か」  スーツのポケットから名刺入れを取り出し、こちらへ差し出してくる。 「鏑木病院勤務医の谷翔希といいます、もし具合が悪くなったり、他におかしいと思うところが出たら診せに来てください」 「すみません、名刺はまだ持っていなくて。私は三船司と言います、この度は手当てをしてくださってありがとうございます」  頭を下げると、丁寧に下げ返してくれる。  雰囲気の柔らかな人だと思った。 「怖かった体験が、谷さんの手当てでいい思い出に代わりました」 「そんな大したことしてないよ」  照れてぱぁっと顔を赤くする姿を見ていると、本当に嫌な気分が霧散するようだった。 END.  

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