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第52話

   十秒、二十秒……雷光が切なげに睫毛を伏せた顔を照らし出す。里沙と顔貌(かおかたち)そのものはそっくりでありながら、彼女にはない危うい色香に眩惑されてしまい、目が離せない。  天音が、階段の親柱に寄りかかった。その拍子にシャツの裾がめくれて、スポットライトが当たったように、へその横に毒々しいキスマークが浮き上がってみえた。  それも哲也がつけたものだ。天音は俺のものだ、手を出したら承知しない──わたしを牽制するような、それ。  こめかみが脈打つ。天音は真実、哲也のものか? いいや、お生憎様だ。天音は、わたしに気がある。  わたしの心を読んで、勝利を確信したのかもしれない。天音が、優美な身のこなしで階段をのぼる。後ろ歩きで踊り場に行き当たると、そこにたたずんで手を差し伸べてくる。  頭の中でレッドアラームが点滅する。行ってはいけないと、もうひとりのわたしが警鐘を鳴らす。  義兄と義弟という関係を壊すことは、自ら破滅を招くに等しい愚行だ──と。  里沙を愛している。浮気願望はないし、ゲイでもない。なのに、なぜ天音に惹かれてやまないのか、まったく説明がつかない。  警告を無視して、催眠術にかかったように躰が勝手に動きだす。段板に足を載せた。もう片方の足を上げて、次の段に載せた。  焦るな、あわてる必要はない。天音は、すでに網にかかった状態にある。  一段、また一段と踊り場に近づく。光の加減だろうか、にいっと天音が唇をゆがめたように見えた。  とたんに皮膚が粟立ち、踊り場まで数段を残して足がすくんだ。天音が一種、デモーニッシュな雰囲気が漂う笑みを深めて、そのとき雷鳴を縫って何かが割れる音がけたたましく響いた。   それは轟音にかき消されがちだったが、わたしを正気づかせるには十分な効果があった。 「今のは……今の物音は山荘の中だな」 「たぶん、物置に使っている二階の部屋のどれかだと思います」    天音は肩をすくめた。思わぬ形で邪魔が入ったことを残念がっているようでもあり、〝桧垣晶彦〟という獲物をあらためて狩る時間ができて楽しんでいるふうでもあった。  ともあれ(くだん)の部屋を見にいってみると、ブナの枝が窓を突き破り、床にガラスの破片が散乱していた。  ざあざあと雨が吹き込み、古新聞の束や、つぶして壁に立てかけてある段ボールが水びたしになっていた。

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