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第68話
わたしは、日本有数のグループ企業を統べる神崎家の財力を見くびっていた。
白昼の花火に、うら悲しさを覚えた翌々日、山荘近くの空き地にヘリコプターが飛来した。それは山荘が孤立した状態にあることを聞き及んだ岳父──つまり天音と里沙の父親が、わたしを折り返し東京まで送り届けるために手配してくれたものだった。
車は後日、ひいきの整備工場に陸送してもらう手筈が整っていると聞かされては否も応もない。わたしは、しぶしぶ荷物をまとめた。
岳父を恨むのはお門違いだが、ありがた迷惑だ、と舌打ちせずにはいられなかった。心遣いには感謝する。だが帰京する、しないの判断は、わたしに任せてほしかった。
「天音、頼む。顔を見せてくれないか」
西翼の廊下を進んで、突き当たりの部屋の扉をノックした。そこは天音の工房だが、ヘリの操縦士が迎えにきて以来、彼は口をきいてくれるどころか、ここに閉じこもったきり、ちらとも顔を見せてくれない。
最後にもう一度くちづけて、あの唇の感触を唇に刻みつけていきたい。
盗っ人猛々しい言い種だが、心残りだ。
「天音、後生だ。こんな半端な気持ちのままじゃ帰れない、天音……っ!」
ノブを摑んで、がちゃがちゃ言わせた。鍵がかかっている。それは百万言を費やすより雄弁に物語る。わたしは、この山荘から、ひいては天音の心から締め出されてしまったのだ。
山荘をいよいよ後にするまぎわ、庭に回り込んで二階の窓を振り仰いだ。カーテンが揺らめき、その陰にたたずむ人影は打ち沈んでいるように見えたが、それは天音にも別れを哀しんでほしいという願望が生み出した錯覚だろうか。
後ろ髪を引かれる思いで搭乗したヘリが、ゆっくりと上昇をはじめる。風圧で草がなぎ倒されたあとに機影が映り、それは見る見るうちに小さくなっていく。
機体が地上百数十フィートの高度に達し、その場で旋回した。それから機首を南に向けると一路、東京をめざす。
湖面が乱反射した。鬱蒼とした森に抱かれて、山荘はマッチ箱のようにちっぽけだ。
天音は、話し相手といえば通いの家政婦程度という環境で若さを浪費していくのだ。
籠の鳥のごとく、あまりに淋しい明け暮れだ。だが、それは偏った見方で、天音は実際にはひとり暮らしを謳歌しているのかもしれない。
第一、〝義兄と義弟〟という枠からはみ出したくせに保身を図る男の分際で、天音の生き方を云々するのは、おこがましい。
さしずめパンドラの箱。
わたしにとって、それに相当する日々は、ともあれ唐突に終わりを告げた。
──第一部 完──
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