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第11話【R18】

「お前に、他人のお前に俺のなにが分かる。知った風な口聞くんじゃねぇよッ」  感情のままに襟首をつかみ上げてくる佳に、いっそ笑いがこみ上げてくる。だって滑稽だ。自分も佳も、馬鹿みたいに足掻いて振り回されて、結局どこにも行けずこうして二人蹲っている。 「うん、ごめんね。本当にごめん。佳くんのささやかな気持ちを裏切るのは本当に心苦しいんだけど、俺と寝たって何も手に入らないんだ」 「な、にが言いたいんだよ」 「俺と陸には、何もなかったから」 「は?」 「キスしたり、触ってもらったりはしてたけど、いつもそこまで。あの人さ、俺相手だと駄目なんだ。男ってそういうの丸わかりになるから、結構……きつかった」  未成年、遠距離。最初の三年は、いろいろな理由がつけられた。けれど高校生は子どもではない。努力をして作った会える機会に、少しでも触れたいと思うのは当然だ。  戸惑いは疑念に変わり、やがて確信を持つに至るのに時間はかからなかった。いやもしかしたら、初めから気付いてたのかもしれない。ただ認めたくなくて、必死に手を伸ばしてすがりついていた。 「俺じゃない」  俯いたまま上げることの出来ない視界には、フローリング模様のクッションフロアが見えるだけだ。素足に触れる偽物の木の感触が、べたりと肌にくっついてきて気持ちが悪い。 「梶聡介」 「……え」 「鹿嶋陸の唯一絶対者は、俺の父親だよ」    ようやく涙が止まって落ち着く頃には、時刻は午後十時を過ぎていた。思いっきり泣いて罵ったからか、随分と気持ちはスッキリしている。  さすがに恥ずかしく思いながらずっと肩を抱いてくれていた恩師を見上げると、そこには変わらない笑顔の聡介がいた。  どんなに情けない醜態を晒しても、聡介は陸を軽蔑したり突き放したりしない。まるで子どもが無条件に親の庇護を期待するように、陸の中での彼への信頼は絶対的なものだった。 「あれ」  安心したのか気が抜けたのか、陸の腹が盛大に空腹を訴えた。すると釣られたのか、聡介の腹の虫も大きな鳴き声をあげる。 「先生、ゼリー飲料ならあるので飲みますか?」  さすがに何か口にしなくてはと提案すると、腹を抑えていた聡介の眉尻がへにゃりも下がる。 「え、それだけなの。さすがにちょっとお腹空いたよ。そうだ、冷凍のたい焼きがあるから、あれを温めよう」 「いまから胃に物を入れると良くないですよ。第一、九時以降の甘いものは太ります」 「ん、んん、そうか、僕も年だからな」 「先生は鍛えていらっしゃるから大丈夫ですよ。たい焼きを食べたりしなければ」 「はいはい、食べなければね」  化石の発掘作業は、直感と体力を限界まで使う作業の繰り返しだ。彼の生きがいである発掘作業を手伝うため。いや本音を言えば、彼の果たせなかった夢そのものを自分が叶えるため、陸はどんな時も日々の鍛錬を欠かさず、体作りには細心の注意を払ってきた。  キッチンの棚からゼリーパックを二つ取り出して顔を上げると、まだ明かりをつけていないリビングの窓際に座った聡介の背中が見えた。なんとなくこの時間が終わることが惜しくて、付けた明かりをもう一度消してから、先ほどまで座っていた場所に戻る。  どうぞと言ってパックを差し出すと、青白い月を見上げていた聡介がこちらを見た。柔い月明かりに照らされた顔が、いつもの恩師とは違う人のようでどきりとする。 「陸くんは、真剣にこの道に進もうと考えているのかい」 「はい。狭き門だと分かっていますが、中学生の頃からの夢ですので」 「……そうか」  先生と呼ぼうとした声が、そっと手首を握られる感触の前に霧散する。何事かと掴まれた手首を見ていた顔を上げると、驚くほど近くに聡介が居て鼓動が早くなった  引き寄せて抱きしめられると、これが現実なのか自分の妄想なのか分からなくなる。頬が熱い、頭に血が上る。硬直したまま動けないでいる陸の身体を、そっと線を確かめるように聡介の掌が撫であげていく。 「っっ、せ……んせ」  どうしてと言いたいのに、痺れたように声が出なかった。繊細な手つきで化石を扱うあの手が、同じように陸に触れている。乱れたシャツの隙間から侵入した指に脇腹を触られると、みっともない声が耐えきれずに漏れた。 「先生、駄目、です」 「僕にこうされるのは嫌か?」 「ちが、ぁッ」  肩甲骨を確認するように動いた指が、そのまま前に滑って胸を摘んだ。やわやわと触れたかと思うと、痛いくらいの力できゅんと引っ張られて、腹の奥がざわめくような感覚がびりりと走る。  いまにも触れてしまいそうな距離にある聡介の唇が、陸と確かに名前を呼んだ。それだけで、ぞくぞくと腰が抜けそうな性感に犯されてしまう。 「っめ……だめ、です。せんせに触られ、たら……俺は、おれ」  必死の思いで抵抗をするのに、まるで水中でもがいているかのように身体が動かない。聡介が自分に触れている、その事実だけで、脳がとろけて死んでしまいそうだ。 「ぁ、な……んで?」  聡介との間に引かれた、教師と教え子という絶対的なライン。自分が恩師をどんな目で見ているのかなんて、中学生の頃から自覚していた。  二人が変わらない関係でいられたのは、聡介が気付かないふりをしてくれていたからだ。あの離れの化石のように、変わらないまま残される永遠の距離。 「……せ」 「聡介、だよ陸。先生ではなく、聡介と呼んでごらん」 「ぁ、っあ、あぅ」  優しく吹き込まれる吐息のような声に、反射的に腰が跳ねる。耳たぶを食んでいた唇と舌に骨を嬲られると、怖いくらいの刺激が全身を走る。気持ちが良いと、脳が、心臓が、身体が訴えているのがわかる。 「陸」  だめ押しのように呼び捨てにされた名前に、触れられてもいないのに軽くいってしまった感覚がした。くちくちと耳を犯す舌の動きに、まるでセックスそのものをしているような錯覚に陥る。  目の前にあるのは深い深い奈落の底だ。飛び込むべきではないと、ずっと、苦しい程に踏みとどまってきたその一歩が、あっけないほどに愛しい人の手で背中を押されてしまう。 「そ、すけ……さん」  ついに口にしてしまったその一言に、良い子だと褒めるように優しいキスが与えられる。  粘膜が擦れ合う音と、溢れて頬を伝う濡れた唾液の感触。舌先に感じているのは聡介の味だと自覚すると、陸の身体は糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

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