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第24話

 祖母の介護など何ひとつしてこなかった人間に、口を挟む権利などない。何より自分は、これから家族を捨てて夢を追うことを選ぶのだ。 「今日来たのは、ひとつ知らせておくこともあったからなんだ。もう聞いているかもしれないけど、来月カナダの大学に留学する。どこまでやれるかは分からないけれど、行くからには二度と帰らない覚悟で行くつもりだ」 「……陸」 「金銭的なことで迷惑はかけない。俺は俺でやっていくから、母さんたちも元気で」  言いたいことを全て伝え終えると、ほっと肩の力が抜けた。佳が指摘した通り、祖母のことがなければ黙って行くつもりだった。けれどこれで、きっぱりと未練を残すことなく立ち去れる。 「あんたって子は、本当に。そう、分かったわ。母さん馬鹿だから、あんたがやりたい事の難しさとかよく分からないし。やりたいことがあるなら、遠慮なく行っておいで」 「ごめん」  思わず口から出た謝罪に、母が可笑しそうに口元を歪めた。廊下の方からまた声がして、佳と祖母が部屋に戻って来たのだとわかる。 「まーちゃんは、まーちゃんはどこなの」 「ここで寝てるよ。ほら、婆ちゃんも横になって少し休もう」  開け放しているからか、微かに二人の会話が聞こえてくる。まーちゃんとは、母の昌子からきている愛称だろうか。ぼんやりとそんな事を考えていると、包紙の開けられる音がして、母が並べた菓子を開けているのが目に入る。 「昌之って名前なんだって」 「誰、が?」 「あんたの伯父さんになる予定だった人。私が生まれる前に、五歳で死んじゃった私のお兄ちゃん。交通事故でね、お婆ちゃんショックで陣痛起こしちゃって、死目にも会ってやれなかったらしい。あんたは本当に生まれる時まで要領が悪いって、嫌んなるくらい何回も何回も言われたわ」 「母さん」 「ごめんね、陸。あんたは悪くないの、そんなこと母さんが一番よく知っている。でもね、母さん弱くて馬鹿な人間だから、あんたを見てると、どうしても、どうしてもお婆ちゃんの声が聞こえてきてしまう。ごめん、ごめん……ごめ、ん」  透明な包装フィルムから出された柔らかい菓子が、母の手の中でぐしゃぐしゃに砕けていく。静かに嗚咽する母を、黙って見守ることしかできなかった。 『陸は本当に、あの子にそっくりだ』  ごく稀に、嬉しそうに笑っていた祖母の見ていたものが、ようやく分かった気がした。  それじゃあと簡単な挨拶だけをして家を出ると、しばらくしてからポケットの中のスマートフォンが鳴った。  やはりというか、誰からかは分かっていたので、出るべきか無視するべきか数秒間迷う。道を急ぎながら通話をタップすると、あちらも迷いがあるのか沈黙が落ちた。その態度に切るぞと脅しをかけると、慌てて待ったの声がかかる。 『ひでぇよ、兄貴。俺とはろくに話もしないまま行っちまうんだから』 「家で話せる内容なのか」 『違う……けど、どうせ俺には、出発日とか教えてくれないんだろう。顔みて謝りたかったのに、それもさせてくれねぇのかよ』 「謝罪は必要ない。だから俺が、お前を許す必要もない。俺たちはずっとこうだったんだ。今さら変わらないし、変えられない。それでいいんだ」  近道になる田んぼの畦道に入ると、傾き始めた日差しが容赦なく照り付けてくる。あと少しすれば、空が赤く染まり始める。急ごうと足を早めた陸の耳元で、ごめんと小さく佳が呟く。  お別れに来たからだろうか。なんだか今日は、謝られてばかりだ。 『兄貴は、兄貴はいつだって俺の自慢だった。カッコよくて、頭良くて、スポーツもできて、超人かよって嫌み言いたくなるくらいいつも完璧だった。兄貴は関心ないから知らなかっただろうけど、みんな俺を呼ぶ時はまず「鹿嶋陸の弟」から始まるんだぜ』 「佳、もういいから」 『最後まで聞けよ。俺は家族の中で兄貴が一番好きで、みんなが羨ましがる兄貴の弟でいられることが嬉しかった。でも俺たちは兄弟だから、いつか離れていくしかない。だから暁人のことは認められなかった。兄貴が好きになる相手は、美人で、優しくて、頭良くて、兄貴に新しい家族をくれる女の人でないと許せなかったんだ。だって、暁人じゃあさ、思っちゃうじゃん』 「佳」 『俺が弟じゃなかったらって、思っちまうじゃんかッ』  立ち止まってしまった陸の周囲で、穂ので始めた稲が緑色の波のように揺れている。噛み締めた唇の痛みが、少し遅れて脳に伝わってくる。 「俺は、お前のことが嫌いだ」 『……うん、知ってる』 「お前は俺が羨ましいと思うものを全部持っていて、いつも俺から何かを奪っていく。俺がお前の手を引いたのも、面倒を見てきたのも、全部母さんに褒められたかっただけだ。何もしなくても母さんに愛されているお前なんて、俺は大嫌いだった」  だけど、だけどやはり愛おしいのだ。父も、母も、佳も、祖母も、疎ましいと憎むほどに恋しく愛おしい。どんなに心が通じないと思っても、この身体の中に流れる血が離してはくれない。呪わしくて切ない、けれどもかけがえのない存在。 「佳、俺とお前は兄弟だから、どこまでいっても、どんなことがあっても、俺たちの繋がりは消えない。ずっと、お前のことを、みんなのことを思っている」 『っ、うん、うん』  もしも異国の空の下で最後を迎えるとしても、自分はきっと思い浮かべるのだろう。うだるような草いきれと、家族と過ごしたこの時間を。  

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