「……それだけ？」 「あ、あと……その」 　その子が少しもじもじした様子で体の前で組んでいた両手を組んだり離したりした。 　視線はきょろきょろと移り変わり、俺ですら緊張しているのがわかった。 「み、見かけたら挨拶してもいいですか……！」 「は」 　え、本当にそれだけ？ 　またもやぽかんとしてしまう。 　挨拶なんて、好きにすればいいのに。 　と言おうと思って、その子の顔を見てやめる。 　俺にとってどうでもいいことがこの子にとって大事なことと同じように、俺からして難しくないこともこの子にとったら難しいことなんだ。 　どんなに馬鹿な人間でも考えればすぐ気づけることに気づけず、自分に呆れてしまう。 　いつもの俺なら、勝手にすればと言って突き放すと思うけれど。 「それくらいなら全然いいよ」 「本当ですか……！」 「じゃ、俺は部活行くから」 「はい、頑張ってください！」 　女の子は口元を両手で押さえ、やけにキラキラした目で俺のことを見つめていた。 　その視線が若干居心地悪いものに感じて、やや逃げるように背を向けてしまった。彼女がこれで気分を害さなければいいけれど。 　あんな風に言われたのは初めてだったな、と思いながらさっきまでの女の子の態度を思い出す。 　……あ、待って。名前聞き忘れた。 「大塚(おおつか)梨奈(りな)か」 「ひあっ！？」 　丁度あの子からは見えない位置になったところで、ここ数日間で嫌というほど聞いた声がした。────そう、あいつだ。担任だ。 　声がした方、つまり茂みの影を見てみると三角座りをした麻橋先生がいた。 　どうしてここにいるんだよ…… 　呆れ通り越して恐怖を感じてきた。 「なんでここにいるんだって顔してるな」 「はあ、まあ」 「あそこの渡り廊下あるだろ、ほら」 　そう言いながら麻橋先生が指さしたのは、綺麗に掃除が施された白を基調とした渡り廊下。 　中庭が見えるようになっているが、放課後に通る生徒はかなり少ない。 　というのも、放課後になるとあの渡り廊下は教師が主に使う。 　だから生徒は使わない、という意味なのだけれど……まあ、今俺の目の前にいるのは教師なわけで。 「それでおまえが女の子と一緒にいるの見ちゃったらさあ、そりゃ気になるだろ」 「もうちょっと教師だって自覚持ったらどうですか」 「まああの子にはバレてないんだから大丈夫だろ。で、返事はどうした？」 　と言いながら俺にはバレてるけどな。 　けど、確かに麻橋先生が言っていることは一理ある。 　告白ではなかったとはいえ、呼び出してふたりで中庭にいるというのを教師に見られるのはほぼトラウマに近くなってしまうだろうから。 　 　だからといってバレてないからいいというわけではない気もするけど…… 「あれ告白じゃないです」 「あ、そうなの？」 「俺が一年前にあの子を助けたらしくて、そのお礼を言われました」 「ふぅん」 　意外そうに目を見開いたかと思えば、急に興味なさげな返事が返ってきた。 　やっぱりそのことを思い出そうとしても思い出せない。 　あれだけ顔が整っている子なら忘れないとは思うんだけど、それほど印象には残っていなかったってことだろうな。 「やっぱりおまえ優しいな」 「……いや、優しくなんかないです。さっきだってまた告白かって決めつけて冷たい態度取っちゃってたし」 「そうだとしてもそう思えるところだよ。優しくない奴はそんなこと気にしない」 　優しくないって言ってるのに。 　でも、俺のことを否定しないでくれるのはやっぱり教師なんだな、と思う。 　どんなに言動がやばかったとしても。 「俺はいつでもおまえを見てるからな」 「うわっ、え？」 　え、それはちょっと…… 「あ、嘘じゃないぞ」 「うえっ……」 「吐くな」