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あとがき

 このページまで開いていただきありがとうございます。  今回はホラーを書くつもりで構想していましたが、主人公の訳の分からない信仰を持つという突飛性によってホラー要素を喰ってしまい、ホラー要素があるにせよあくまでもホラーテイストという域に留まってしまいました。もともとは主人心はごく普通の記号的で無個性、それでいて洗脳されやすい男性キャラクターにしようかと思っていたのですが、モデルをわたくしの好きな一冊ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のアレクセイみたいな人物をわたくしなりに書きたいと思い、書き始めるにあたり麦也のキャラクターはプロットから変わっていきました。それでいて同作者「白痴」からも少なからず影響があるような気がします。あくまでわたくしなりの解釈とイメージモデルなので、「その作品のこのキャラクターはこんな内容や人物像ではない」といわれたら、そのとおりです。何より、先述したキリストの比喩とも言われるような清廉潔白さのある登場人物をモデルにしていると明言しながら、わたくしの宝井麦也像は私利私欲で明らかな犯罪をも黙認し、時には加担するような俗物です。   ☆名前  今回は聖剣から取りました。 ・宝井麦也→莫耶の宝剣 ・雨村青雲→天叢雲の剣 ・十塚剣→十束の剣 ・丁場レイモンド→レーヴァテイン ・楠葉蛙鯉→エクスカリバー ・久保門光月→カラドボルグ ☆雑記  これは非常にわたくし事なのですが、父方の祖父母の話でして、この祖父母はわたくしが生まれるどころか父もまだ成人していない年若い頃に亡くなりました。詳しいことは忘れたのですが、祖父母は引き離されたか仲違いしたかで引っ越してきて、父方の親族が亡くなった時に祖母と父の暮らした家で母が遺品整理をした時、すでに死没して数十年経っている祖父の畳まれた制服を見た時に、母は祖父母は仲違いしたのではないと結論付けた話を聞いて、それが非常に頭の中に残り、今回入れてみました。短編BL初作「桃の香りがする。」でも会ったこともない祖母のネタが入っています。  おそらく何の根拠もないのですが、麦也の父は、麦也を愛そうとして愛せず苦しんだ末の自殺ではないのかと思いました。これはわたくしの中の「愛とは勝手に湧き出てくるもの」というより、「愛そうとして愛せなくて苦しむことの苦しみ」が愛という認識ゆえの解釈です。とはいえ「愛とは何だ」という探究がわたくしがBLを書く理由のひとつでもあります。  人肉食を書くにあたり、食人事件よりも羆事件の本を読み漁りました。わたくしの好きな自然はあくまで人の手の入った自然であり、羆が闊歩し、蜂や蚊の飛び回る自然ではないということが分かりました。人間は食物連鎖の頂点にいると思いながらも、そんなことはまったくなく、文明と知能に頼りきった弱者なのだと知りました。ゆえに、優生思想は自然の摂理、自然淘汰であるかも知れませんが同時に自然の摂理や自然淘汰をある程度操作できる人間の社会、そしてそこに組み込まれているある程度の動物には優生思想は必要ないのだと改めて思いました。これはある意味では優生思想より残酷なことなのかも分かりませんけれども。  最後に、最終話で「先生」は一度死刑執行で終わったのですが、おそらく人肉しか受け付けないあの身体では食べるにせよ食べないにせよ身体を病み、そうなると死刑は執行されないので、病死に書き換えました。社会的・法的な裁きである死刑ではなく病死してしまうところがおそらく「先生」にとって、「運命という点では最期まで死刑囚という名の人間にすらなれなかった」というところで本人にとっては最も断罪に近い終わり方だったのかも知れませんね。  ここまで読んでくださりありがとうございました。また次回作でシュミが合いましたらよろしくお願いします。 ↓ ↓ ↓  桜が咲き、おそらく入学式の頃にはすべて散るらしかった。麦也は珍しく自ら外出した。そこは田園風景が清々しい地にある蕎麦屋で、小山の麓にあった。昼飯時を過ぎていたがまだ何人か客がいた。麦也はあの窓際の席に案内され、以前来た時と同じものを注文した。店内には近所の高校の卒業を祝うポスターが貼ってあった。今日は近くの高校の卒業式だった。店内の雅楽らしくアレンジされた最近の音楽を聴きながら蕎麦を待つ。ふと顔を上げると2席ほど離れた同じく窓際の席に見覚えのある人物が座っていた。しかし相手は麦也を知るはずがない。麦也はその者を一方的に知っていた。改めて店員を呼び、やってきた店員は伝票を持った。 「海老天をひとつ追加で。あちらのお客さんに」  訝しんだ店員に、友人の弟なのだと告げて、麦也は直後に来た蕎麦を啜ってすぐに帰った。過保護な同棲相手に騒がれる前に。

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