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第1話 龍の往路
「本当にここでいいのか? なんならもう少し先まで」
「いやいや、結構。兄貴分にもよろしくな」
そう言って踵 を返し、帰路に向かうその人の背を見送りながら、琉依 は手を振った。見えてはいないけど、と思う。それでも、そうしたくて続けている。
「あっ」
数回だけど、同じように手を振り返してくれた。嬉しくなって、声には出さないけどまた会う日を、と願う。
見えなくなるまで、立ちつくして。
ひとつ、息をつく。
「さ。戻るかな、慎 も待たせてるし」
ごう、と深く風を切る音がとどろいた。
見送った方角から、龍が重そうな巨躯をものともせず悠然と蒼穹 を駆け上がって行く。
陽射しに透ける鬣 は波のようにうねる。逆光故に黒味がかった深い海のような鱗が、強い陽射しを鈍い光沢として返しながら雲間を昇っていった。
この広大無辺な宮城に囲われて何年に経とうとも、今も煩雑な道程 に違いはない。
滅多に行かない、更には一年に一度。それどころか数年に一度しか使わないこともある。
記憶を辿れば、未踏な場所もあるだろう。膨大な数である上に足を進めれば迷路そのもの。目的までの道程は今でも気を抜けば、自分が今どこにいるのかという立ち位置すら怪しくなってしまう。
抜け道、裏道、隠し通路、行き止まり。ある部屋を通らないと行けない一角があれば、庭を抜け、門を過ぎた途端にまたしても庭が広がっているという有様。
主とは言え、好きにしていい訳では無いので、不遜に扱うこともできない。いっその事、取り潰して田畑にした方が有用と本気で考えたことも、一度や二度ではなかった。
賓客をもてなす宿泊用の小院を二つ、右に見送ると高床に雨避けの屋根がある渡り廊下に出る。
橋のように設 われたここには唯一、稀少な黒檀を使った飾り彫りの高欄 がある。特徴になり得る一種の目印のようなものと琉依は捉えている。
それを過ぎたらあの回廊――、抜けるのにどれだけかかるのか。無駄なほどの、余りある長大さが頭に浮かび、琉依はがっくりと肩を落とした。
「こんだけ歩けば健脚にもなるわな……」
「琉依」
「え、慎?」
呼ばう声を辿れば、琉依が最も信頼する従者がこちらへ向かってくるのが見える。
「依 、東伯はお帰りになられましたか」
「ん、いらないって言ったけど途中まで見送りさせてもらった」
「そうですか。外であの姿になったら大騒ぎですからね、まだ人目の少ない場所を選べるここの方がましかな」
客人を途中までしか送らないというのも、おかしなものだろう。ただ、そんな不調法も今日の来客に限るらしい。転化した姿なら、一国を渡る復路など造作もないと言うのが本人の談である。
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