162 / 665
狼の枷 20
「金で買う程、不自由してないと思うけどね」
「先生」
「はいはい。じゃあ、ちょっと動かないように押さえといてくれる?」
大きな手があかの細い足に伸ばされて足首を掴む。
逃げたい筈なのに、大神の体温が驚く程皮膚に馴染んで……
恐ろしい筈なのに、視線が舐めていく毎に肌に熱が燈って……
「 っ もう、 っ」
「もうちょっと」
皮膚の引っ張られる感触が気持ち悪くて、けれどどこにも縋れない不安さに眉を寄せながら肩越しに何をされているか覗こうと背を反らした。
そのせいでバランスを崩し、体がぐらりと傾いでしまった。
「あっ!」
「大人しくしていろ」
あかが暴れた所で大神の何に影響が出る訳でもなく、太く筋肉質な腕に抱えられて結果、胸にしがみつく形となってしまった。
この胸板が、押し潰すように圧し掛かってきたのを覚えていた。
腕が楽々と自分を押し倒して縫い付けたことも、不敵に上がった口角の端から覗く白い歯が自分の皮膚に幾度となく痕を残したのも。
すべて、すべて、覚えている。
体を割り拓かれる痛みを与えた大神に対して、噴き上がるような怒りを感じている事を、あかは隠さない。
「 離せ」
「治療が終わったらな」
分厚い胸板は温かくて、自分以外の心臓の音で鼓膜を震わせる。
居心地悪くて、
腕の中に居たくなくて、
なのにこの熱から離れがたい気持ちもあって……
けれど、それじゃあ駄目だと自分を抱き締める腕に逆らって頭を起こし、左右にさっと視線を遣った。
初めて連れてこられた事務所ではなさそうだ。
扉の位置と、窓の位置を確認してどちらが近いか、どちらが出やすいかを考えていると、「ふ 」と大神が息を漏らした。
「あれ、珍しいね、大神くんが吹き出すなんて」
「この期に及んでまだ逃げようとしているんですよ」
「ホントにー?往生際が悪いねぇ」
「先生。ついでにこの足首切り落としておいて下さいよ」
「ひっ」と声が喉に張り付く。
大神が掴んだままの足首は力を入れても動く気配はなく、咄嗟に大神を見上げて真意を汲み取ろうとしたが失敗した。
ポーカーフェイスと言えば聞こえはいいが、結局はただの無表情だ。
それでこちらを見下ろす大神は……
「このままへし折るのもいいですね」
「後処理が面倒だろう?綺麗に切り落とした方が後々楽だよ」
「そう言うものですか」
「ああ。オメガの肉は滋養があるからね、切り取った足首はシチューにしてとろとろになるまで煮込んで、美味しくいただこうか」
「この間の腹肉を煮込んだ物は絶品でしたね」
「あれかい?あれは時間がかかるんだよ、まず皮を剥ぐ所から入らないといけないからね」
ぞっと悪寒が背筋を走る。
そんな事ある筈ない と、質の悪い大人の冗談だと受け止めるにはあかは子供過ぎたし、演技にしては大人二人は真剣過ぎた。
段々と力の籠って行く手が足首を締め上げていく。
背後の医者は味方になる事はないだろう……
手の力は増々強くなり、痛みを感じる程になった。掴まれている箇所は熱いのに、そこから先は血が通ってないのか冷たい感触だけがする。
そこを切り落とされて調理されるリアルな想像に、あかは半泣きになって首を振った。
「や 分かったっ!逃げ、逃げないからっ!」
「 そうか。残念だ、好物を食いそびれた」
そう言って悪い笑顔を浮かべられると、やはりこの二人は人を食べているんじゃなかろうかと言う気になってくるから不思議だった。
ともだちにシェアしよう!