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青い正しい夢を見る 41
驚いて飛び上がるよりも、至近距離にある彼の顔を見詰めていたくて、心臓の音だけ跳ねさせて、僕はぎゅうっと胸の前で手を握り締めて動くのを堪える。
「それから?」
「それから 」
伊藤くんに、正美さんとの間にあった出来事を告げる事が出来なくて、僕の言葉は詰まってしまった。
けれど頬に添えられた指先の感触に励まされて、これだけは言えた。
「 オメガなんかに、産まれたくなかったっ‼」
叫ぶと、また、と と と水音がする。
僕を優しく見つめる伊藤くんの黒い瞳に映った僕を見て、その水音の正体に気が付いた。
彼が撫でる頬を濡らす、僕の涙は……
恥ずかしい程後から後から溢れてきて……
「普通の、ベータが良かったっ!軽蔑されたり!虐められたり!悪口言われたり!」
ただの、子供を産む存在だとされたり、
本当はぞっとした。
男の僕に子供を産ませようなんて、気持ち悪くて気持ち悪くて受け入れられなくて、最初に襲われた時も怖かったし辛かったし嫌だったし、なぜΩだからと言って蔑まれる意味も分からなくて……
君以外の人間に触れられるのが、
堪らなく嫌だった……
君以外に体の中を蹂躙される事が!
「オメガなんかに、産まれたくなかったんだ っオメガなんかにっ オメ っっ」
現実で叫ぶ事のできなかった言葉を繰り返し、声が嗄れるまで繰り返す。
言葉が千切れて、声が割れて、喉の奥から掠れた悲鳴のような息だけが出るようになっても、僕は「産まれたくなかった」と叫び続けた。
「 っ 、 、 」
やがて息も出なくなって、肺が萎むのに従って体中の力が抜けてその場に崩れた。
視線の先にあるのは、ただ僕の願望通りに伊藤くんが立っているだけ……
「俺は嬉しいよ」
こちらに身を屈め、彼は呆れ返っているのだと思っていたのに、僕を見る瞳は変わらずに深みを帯びた慈しむ深い色合いで、その唇の端には小さな微笑みさえ乗っていた。
「俺は、君がオメガで 嬉しかった」
座り込んだ僕に合わされた視線、屈託のない笑顔。
これは過去の彼の姿を借りた僕の願望が言っているだけだと分かっていても、彼からその言葉を貰えた瞬間、胸にずっとあったらしい嫌な重さが掬い上げられたような気がした。
「 えーと?名前なんだったっけ?」
「あゆむ です」
「なんで敬語なの?俺は 」
名字は知ってたけど、名前が読めなかったから……と彼は声を掛けてくれた。
もともと引っ込み思案なのに頼まれた事を断れない性格のせいで、文化祭の実行委員なんて困った事になったぞ と冷や汗を流していた所にそう声を掛けられて、にっかりと白い歯を見せて笑う彼に安堵を覚えた。
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