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かげらの子 6

 狐狸の類かと一瞬疑いもしたが、強く吹いた風のお陰で黒い物が見えた。艶のあるそれが人の髪だと理解するのは容易く、捨喜太郎はほっと安堵の息を漏らして声を投げる。 「おーい、どうもすみませんが、足を痛めてしまって、この先の村まで手を貸していただけないでしょうか?」  日向よりは涼しいと思っていたが、気にならない程の草いきれのせいで言葉が上ずった。  短い問いかけの言葉を道祖神の所まで届くようにとしただけなのに、肩が上がって息苦しさに捨喜太郎ははぁはぁと走った後の犬のように息を吐く。  ────人は、動かない。  もしかして見間違いか?そこまで視力が落ちてしまったのだろうかと訝しみ、「もし 」と声を掛けようとした所でさっとその黒髪が動いて、丸いキラキラとした鏡のような片目が石の傍の木の端からひょっこりと出て捨喜太郎を見る。  好奇心 だろうか?  捨喜太郎は怪しい者ではないと示す為に、両手を上げて似合わないと言われる精一杯の笑顔を作ってもう一度声を掛けた。 「足が、痛いんです、歩けないので、助けていただけないですか?」  繰り返した言葉にはっとその目が見開き、どうしてだろうか一瞬で木々の向こうへと消えてしまった。手を伸ばして捕まえようにも、足を腫らしている捨喜太郎には到底捕まえる事は叶わず、靴下を持った手でただ空を掻くしかない。  消えてしまった人物に悪態の一つでも吐いてやりたくもなったが、それをした所で相手はもう近くには居ない。無意味な事だと自らに言い聞かせて、少しでも体力を残しておく為にと深呼吸して体の力を抜いた。  集りに来る虫を払い、鳥の気配のする遠くを見遣る。 「さて  どうしたものかな」  二進も三進も行かないこの状況は、まるで自分の人生の縮図のようだと思い至れば、捨喜太郎の口元には自然と自嘲の笑みが現れた。  良家の産まれで、しかも長男と言う重責を担っておきながら『おめが』なんてものに傾倒し、とうとう廃嫡の憂き目に遭ってしまった。もっとも、当主の座など微塵の興味も持てない捨喜太郎からしてみれば、親を泣かしてしまったと言う事は別にして、責任はなくなり、家の柵から解放されたと言う事なので、悪い話ではなかった。  ただ、やはり未熟な男 と言う評価を避けることが出来ず、成人していると言うのに輩行名を変える事を許しては貰えず、喜びを捨てる などと変わった名前を名乗り続ける羽目になったのを、本人は指に刺さった棘程度には気にかけており、名前を告げる際はぐっと一瞬言葉を飲み込むの癖がついてしまっていた。  次期当主の重責から解き放たれはしたが、それは同時に後ろ盾を失うと言うのと同意義だ。

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