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かげらの子 16
床が滑らかなこの家でならば壁伝いに移動も出来ようものだったが、起伏の大きな踏み固められただけの道を上下に移動するのは困難だった。宛がわれた部屋の窓から外を眺めて、山手側の木ばかりの外を眺める。
この窓からでは村を観察すると言うのも難しいだろうと諦めて、留夫に返す案が出ないままに肩を竦めた。
「では、手の空いた者を寄越しましょう、面白い話の一つ二つ聞けようものと思います」
「や、 でも今はお忙しいでしょうから……」
丸い顔をくしゃりと笑みの形に歪めて、留夫は「大丈夫ですよ」と言って部屋を去ってしまった。田植えが忙しいのは携わった事のない捨喜太郎でも良く分かる。
僅かな労働力でも惜しい時期に手を取らせてしまう申し訳なさと、余所者でありながら忙しい時期に邪魔をした自分に、今後快く話を聞かせてもらえるのかと言う不安で捨喜太郎は顔を曇らせた。
「是非と言う割には、この時期は良くなかったんじゃないか?」
ではいつならば と問われても、山間の生活を知らない捨喜太郎にはこの時期だ と言うのは答えられなかったが、今ではない事だけは確かだ……と小さく呻く。
少し突っかかるような手応えのある窓を面倒そうに半分だけ開けると、枠に肘を置いて何とはなしに外を見た。
都会暮らしの質か最初こそ木で向こうが見通せないと言う事に新鮮な驚きもしたが、慣れてしまえば刺激のない景色でしかない。木の種類でも分かればまた違った見え方もするだろうが、生憎と捨喜太郎は不得手だった。
「 ────先神様の おなり……」
ふと昨日聞いた田植え唄を思い出し、引っ掛かりを覚えて口籠る。
あの歌はこの村で祀られている先神を讃えるもので田神を讃える文言は入ってはいなかった。いや……と捨喜太郎は首を振り、ここでは蛇神を祀っており、その正体は蛇神だ。蛇は水の神であるのだから、この小さな村では田神と同等の扱いをしてもおかしくはないだろう。
けれど……内容を細かく思い出してみると、田植え唄よりは娶り唄に思えてくる。
「いや、雄の神か雌の神かと尋ねているのだから吉凶……いや、豊饒か不作かを問い掛けているんだろうか?」
この場合、更に不思議なのはその吉凶を判じる雄神か雌神かを選ぶのは、こちらから提供される人間の性別に因る事だ。
元来、神の伴侶は人間である事が多い。
この歌に当てはめるのだとしたら、こちらから差し出す人間がどうか で、豊作にもなりまた凶作にもなると言う話になってしまう。
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