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かげらの子 25
「 ────あなた、だぁれ?」
それは不躾で、まるで切りっぱなしの布の端のようにざっくりとした言葉だった。
声を出した唇が答えを求めて閉じられるのを目で追い、動かない事に何故だかがっかりしながら頬のふくらみを見て、こじんまりとした鼻を見て、柳眉を見た。好物は最後まで取っておく悪癖が出たのか、双眸に視線をやったのは最後の最後だった。
鏡のような、凪いだ水面のような瞳が瞬き一つせずに捨喜太郎を見詰めている。
心の中を引っ掻くようなそんな視線だ……と、捨喜太郎はその目を見詰めながら思う。ざわざわと落ち着かなくなる胸中の表面を、子猫の鋭い爪で丹念に丹念に引っ掻かれている気分だった。
「私 は、榎本 捨喜太郎だ。君は 」
「宇賀」
彼はそれ以外の言葉を持たないように簡潔にそれだけを言い、そしてまた唇を引き結んだ。
洗い髪が、思い出したように吹き出した風に嬲られて翻り、蜘蛛の糸のような細い髪を混ぜ返す。
艶めかしさのある白い肌を、元は上等だっただろう襤褸切れになってしまった着物で包み、微動だにせずそこに立ち尽くしている。
「今日は、あなたなの?」
さり と足を踏み出す音に紛れそうな声は不服を含んでいるようだ。
捨喜太郎は意味が分からず怪訝な顔をして見せるが、宇賀はその事に対して何も文句はないようだった。
「 なぁん?先に誰か来てやがん ぁっ」
下の方から聞こえた声に慌てて振り返ると農作業着の男が二人、捨喜太郎を見て目も口も丸くして驚いている。
一人は捨喜太郎が村に来た日に、妻を庇いながら声を掛けてきた男だ。名前を思い出そうとする前に、もう一人の男の方がずぃっと捨喜太郎の方へと歩み出した。
「あんたぁ 村長さんになんぞ言われたんか」
「え あ、の、何も 」
「やぁ。なんでこんなとこおんねん」
下からねめつけるように見上げられると言葉が出ず、明らかに威嚇をされていると分かって捨喜太郎は転がるようにその石の上から飛び降りた。
「寝付けなくて、散歩に出てただけなんで」
「やー、まだ起き出すには早いんやけ、戻られたらどないやら?」
それが提案なんかじゃないのは雰囲気で分かる。
ちらり と宇賀の方を見遣ってみるが、宇賀はまるで木で良く作った像のようにそこで微動だにせず、風が吹いて髪が顔を叩いても眉一つ動かさない。
そんな宇賀が助けになるとは思えず、もう一人の男を見ても味方になる事はなさそうで……
「 ……そうですね、もうひと眠りします」
「せやね、お客人はゆっくり寝なさるもんやら」
捨喜太郎がそう折れると、男は無精髭だらけの口元を歪めて嘲る風を隠しもしないで笑う。
捨喜太郎は一歩踏み出してみるも、朝の空気に冷えてしまったのか爪先が痺れたようにうまく動かない。引きずるようにして何とか体を動かし、村長の家の方へと歩き出すと背後の気配も動き出した。捨喜太郎には会わなかったとばかりに、もうその存在すら頭の隅にないような気配に、すごすごと踵を返すしかなくなった情けなさに肩を落としながら振り返る。
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